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かがっちはこんな人|広報前の世界2

まめでらすか。
今日は前回の続きを書いていこうと思う。かがっちについての自己紹介続編である。ちなみに前回の記事では「かがっちが昔蟻を食べていた話」を書いている。(嘘つけ~)是非下記リンクから読んでください。


好奇心と勢い

大学1年生からバイトがてら行っていたレースクイーン業。そのまま在学中の4年間続けただけではなく、卒業してからも継続していた。新卒で内定をもらっていた会社は複数あったが全て辞退し、所属事務所のプレイングマネージャーとして就職した。

しかしプレイングマネジャーという立場にあまりしっくりとこなかった私は、8カ月ほどでフリーのレースクイーンに戻ることになる。そうして数年月日は過ぎていった・・・・・。

そして20代後半に差し掛かったある日、ふと思った。

「私この先どうなるんだろう?」

レースクイーンやモデル業は、はっきりと年齢制限があるわけではないが(モデル業にも色々な種類があるし)20代後半になると漠然と将来に対する不安が巡ってきた。しかし、ある程度の長い期間行っていたレースクイーンやモデル業。そこそこの給料も稼げるようになり、将来の不安はあっても仕事内容に関する不満は全くなかった。

「このままだと、いつまでたっても今のままだ。」
都内に住んで、事務所に所属している限りだらだらとぬるま湯につかり時間ばかり過ぎていくのではないかと思った。そこで・・・・


関西に越してみよう

となったのである。笑
いや、何の脈絡もなく引っ越すなんて、普通はならないかもしれないが「新しい土地」に行き、距離の問題から強制的に事務所からの仕事も出来なくなる。そんな状況下でどんなことを思うのか試してみたくなった。

思ったことは即時行動。勢いに任せて、私は関西に引っ越した。(かがっちは秋田からどんどん南下している説)


関西に越してきてから

2016年本当に関西に越してきた。
事務所にも関西に行くことを伝え、実質引退のような形で引っ越してきた。引っ越してきて数週間、何をしようか考えてみる。レースクイーンはモデル業以外にバイト経験もないので、何かひとまずバイトでもしてみようかとも思った。色々と考えた結果、「20代後半のうちに会社員を経験しておこう」にたどり着いた。

関西に来なくても関東で就職したらよかったんじゃないかって思うかもしれないが、それはごもっとも。しかし、私の性格上関東にいたらいつまでもレースクイーンやモデル業をしてしまう気がしていた。だって、短時間高収入だし・・・(笑)

さっそく就職活動を開始した。
勢いで関西に引っ越してきた為土地勘もなく、どこの地域で就職活動を行ってよいのかも分からない。そこで、「家から近い」を一つのテーマにして就職活動を行った。正社員で募集しているもの、契約社員で募集しているもの何個か目途をつけてエントリー。

その中の一つが、三陽工業だった。
三陽工業は私がエントリーしていた企業の中で一番家から近く、徒歩で通える距離。しかし業務内容は営業職だったため、「とりあえず面接に行ってみよう」くらいの気持ちで受けていた。しかし1時面接は通過、最終面接で社長面接があると連絡がきた時、私には第一志望の会社が・・・。





長くなってきたので、続きは次の記事でお届けします。
次回は三陽工業に入社するまでの「偶然は必然」な出来事をお届けします。

「かがっちについて」もっと詳しくなってください。
んだば!今日はこの辺で。まんつね~☺



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