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50mmという基準 その2

50mmという画角をもう少し自分なりにかみ砕いてみた。

そもそもなぜ標準レンズと呼ばれるのか

50mmは標準レンズと言われる。何が標準なのかウィキペディアでも諸説あるようだ。その中でもやはり対角線長に基づくというのが一番説得力があるように思える。ライカ判なら、24mm×36mmで対角線長43.3mmだけれど、本来レンズのイメージサークルは円形で、36mm×36mmをトリミングして記録しているに過ぎない。36mmの1:1の正方形の対角線とすれば、36×√2≒50.9mmとなる。フィルムサイズ、つまりセンサーサイズによって標準レンズは変わるということで、わざわざ35mm判換算焦点距離という言い換えをするという面倒なことになっており、これがまたカメラ初心者にはわかりにくいことになっているのである。そういうわけで、最初の一文は言葉足らずで、50mmは「ライカ判の」標準レンズである。水平40°など画角で表現すれば統一的でわかりやすいのだろうなあとも思うのだが、35mm判がフィルム時代にあまりにも普及したため、35mm判のレンズの焦点距離でイメージされる画角が半ば常識になったのだろうと推察される。もう少しよく考えてみると、先述したように画角は記録サイズで変わるので、レンズ自体の物理的性質を表していないとも言える。メーカーの技術者としては、やはりレンズ焦点距離が真なのだろうと思う。

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標準レンズは自然な画角というまことしやかな話

さて、標準レンズがいかに物理的に標準であることを説明しても、実際に世の中でここまで愛される理由にはならない。メーカーのサイトには50mmをお勧めする理由として、肉眼の視野に近い自然な画角と言及されたりするが、果たして本当にそうだろうか。そんなこという割に、50mmだと室内だと狭いかもしれません、などと書かれていて、舌の根も乾かぬうちに28mmや35mmをお勧めされて、おいおい結局レンズ売るための方便かと思ってしまうのである。

自然な画角という言い方は少し語弊があると思う。きっと、最初に50mmを見た7割ぐらいの人はおっ狭いな、と思ったはずなのである(個人的な感想です)。そもそも肉眼の視野は、意識すればわかると思うが、180°ぐらいはあるのだ。ここで言う自然というのは、何かに意識を向けた時の視野という意味に近いと思うが、私はそれでもまだ何かが足りてないと感じている。一体何が自然なのか?

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50mmが自然なのは対象との距離感説

前の記事で、50mmの距離感の話を書いた。例えば人物なら、フルサイズの50mmレンズで全身入れようとしたら3~4mぐらい離れなくてはならない。バストアップなら1mぐらいだ。複数人いて、背景も含めようとすると、5~10mである。この1~10mぐらいの被写体との距離感がミソなのではないかと思う。

子供が並んで座っているところを撮影する距離。親である自分が近づいて、こちらに顔を向けて表情が良く見える距離。友達と追いかけっこして遊んでいる様子が分かる距離。これがおおよそ、それぞれ3m、1m、10mであった。これが広角なら窮屈なほど寄らないといけないし、望遠ならカメラに気付かれないだろう。撮影者と被写体がお互い意識しつつも、時には撮影者を気にせずにいられる自然な距離感、それが50mmなのではないだろうか。

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