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塗り壁

すっかり目が見えなくなっていた。

初めは目を酷使したせいかと思った。朝から晩までPCと睨めっこしながら仕事をこなし、帰ってからはスマホを見続ける。こんな生活が目に良いわけがない。

目が霞む、と思っていたらある朝すっかり見えなくなっていた。急いで家人の名を呼び、慌ただしく病院へと駆け込む。

医者はあちこち検査して、出した病名がヒステリー。目の機能も神経系統も全く異常がなくとも心が視覚を奪う。心なのか脳なのか、という話はこの際どうでもいい。眼圧を下げるという注射を打たれなんとか見えるようになった。

しかし、暗闇に入ると目の前に壁が出来てるように何も見えない。手を伸ばしてみてもそこに何かあるわけでもない。そのままそろそろと歩き脛に机の角をぶつけて痛みに悶絶する。いわゆるトリ目というやつかと思い医者を転々とするもどこにも異常がない。

やがて私は気がついた。私の目が見えないのではなくそこに壁が立ち塞がっているから見えないのであると。

目の前には確かに壁がある。黒く視界を覆う塊以外何も見えない。手を伸ばしても自分の手は見えない。しかし、手は何かに触れたような感触はなくそこに壁か何物かがある気配もない。確かに見えるがそこには何もなく、尚且つそれ以外は何も見えないという奇妙なジレンマ。

その奇妙な状態にありながら、私はそれに馴染んでいった。同じ状態が続けば人はそれに順応するようにできている。多少不便なだけだ。故に私は気づかなかった。壁が数ミリ単位で自分の方へとジワリジワリと移動していることを。

つま先、鼻の先、額と毎夜毎夜私は少しずつ壁に埋没した。ようやく事態が飲み込めた時はすでに体の半分は壁に潜り込み身動きが取れなかった。私の四肢は同じ形のまま硬直し、そのまま天井を見上げて布団に横たわるしか出来なくなった。

ある日、トブルと音がして体はすっかり壁の中に飲み込まれた。息をつくのもしんどいと思いつつ、私は身じろぐこともできずにそこにいた。

私が壁だと思っていたのは人の塊だった。無数の人の塊が隙間なく密着し壁を形成している。同じリズムで苦しげに息を吐きながらそれでもどこか楽しげに笑みを浮かべている。

皆、壁になるのだ。私も壁を構成する一員になるのだ。

体はますます圧縮される。それでも私は皆と同じように苦痛に呻くような息をしながら喜びの笑みを浮かべていた。どこまでも続く壁と一体化する安堵感に包まれながら。

                                                 (終わり)

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