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「親指が行方不明」

こちらの本を読んだので、読書メモを。

概要

親指が動かず、骨盤は曲がり、背骨がねじれ
脅迫性衝動(未満)、自律神経失調症(未満)、学習衝動(未満)…等々
数えきれない「ままならなさ」を抱える
著者による、当事者研究の新しい極北。
自らの身体の層に宿る「さまざまな他者」
との出会いがもたらすものとは。

「親指が行方不明」カバー

著者の尹さんは、インタビュアー&ライターとして、たくさんの著書を出されている人です。

身体の感覚が希薄で「両手の親指が『行方不明』になりがちだ」という尹さん。自らの体験(ままならなさ)を通して、身体、社会、意識、統合などについて問いかけているような本でした。(問いかけばかりで答えを明確に置いていない感じの本だったので、要約は無理)

印象に残ったところ

自分の外からであれ、また自分自身であれ、自らをコントロールしようとすることそのものが暴力なのではないか。

「親指が行方不明」p37

尹さんは、幼い頃、衝動的に破壊的な行動に走ってしまうことがあったらしい。(自転車に乗りながら突然両手を離して転けたり、親指をホッチキスで止めたり)
そういった衝動がある一方で、5歳のころプレゼントでもらったブーツを履いて、ナチスのように行進をし強い高揚感を覚えたという話が書いてあった。

別の章。

ゴールを定めて意識的に取り組む。裏を返せば意識が自分を統御できると信じて疑わない。コントロールできないとしたら意志が弱いからで、意志の弱さは意識して強くし、乗り越えていかなければならない。そうでないと人生がパワフルでポジティブなものにならない。
反面、統御できないことが起きると、わりと簡単にうろたえたりパニックになってしまう。意識で現実を統御することが、そもそも本当に可能なのか?と問うことにあまりに慣れていない。まとまりを欠くとはバラバラに離散していることで、統合できていない状態だから欠陥とみなされる。

「親指が行方不明」p59

意識に担わせている働きが統合だとすれば、その結果として起きるのが、「自分が支配し、自分が隷従させられる」という奇妙な関係だ。それを当然のように受け入れている。

「親指が行方不明」p67

意識して頑張ればうまくいく。うまくいかないのは自分の頑張りが足りないから。そういう自己啓発的な考え方は、広く一般に浸透してるように思いますが、それに対して「意識して自分をコントロールするって暴力じゃない?」「そもそも意識すればコントロールできるって本当?」と問いかけている感じが、個人的に好きでした。

ままならないことばかり

尹さんほど極端ではないかもしれませんが、僕自身の生活の中にも、ままならない場面はたくさんあります。

仕事の場面では、二度三度とチェックしたはずの資料にチェック漏れがあって怒られたり、そもそも仕事の時間に全くやる気が起きずSNSを見てしまったり、上司や先輩に質問されたとき慌てすぎて間違ったことを言ってしまったり。

プライベートの面でも、暑くもないのに汗が止まらなくて、汗が止めたいと願えば願うほど汗が流れ出たり、初対面の人や気になっている人と会った時に緊張して全く喋れなかったり、逆に変にハイになって思っていることと全く違うことを口走ってしまったり。貧乏ゆすりやペン回しが止まらなかったり。

その度「なんとか次はうまくやりたい」と思って、改善策を打ってみるんですが、それ自体で改善することはあんまりなくて、「あーあ…もうだめだな」って諦めた気持ちになったころに、ふと改善してたりします。改善したと思ったら、また別の場面でふと顔を出すこともあります。

そういう体験やらを通して思うのは、「人間は変化するし、できるが、変化の方向性をコントロールすることはできない」ということです。

理想の自分を掲げて、それに向かって努力をしても、必ずしもそうなるとは限らない。でもそれは別に悲観することじゃないと思っています。

まとまりがないですが、今日はこのくらいで。

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