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「センス」の正体を本気で考えてみた。

「あの選手はセンスがあるから強い。」
「やっぱりセンスがある選手は違う。」
「結局のところ、センスには勝てない。」

僕はそんな言葉を何百回と聞いてきた。

でも僕は「センス」を勝てない理由にはしたくなかった。

『センスとは何なのか。』

それは僕の競技人生を通して最も重要な意味を持つ疑問になった。僕にとって、彼らと本気で戦うということは、彼らのセンスと真正面から向き合うことだった。そうして考え続けた結果、「ある仮説」に辿り着いた。

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そこで今回は、僕が考える「センスの正体」「凡人が天才に勝つ方法」をご紹介していきたいと思います。

(*これから書くことは一般論ではなく、あくまで経験則に基づく考察です)

センスとは何か

ランナーは基本的に練習を積み上げていくことでパフォーマンスを向上させる。日々の地道な鍛錬による土台作り、練習内容とその組み合わせ、適切な強度での練習、そして、レースに向けた緻密な練習計画の重要性は言うまでもない。

だが、その先にある、成長の個人差を考えた時、それだけでパフォーマンスの全てを説明することは出来ないと思った。いわゆる「センス」のある彼らは「走る動作の土台となる何か」が圧倒的に違っていたからだ。それは「努力の量」や「気持ちの強さ」とは全く別次元の何かだった。

そんな風に思ったのは、何より僕自身が身近に「センス」がある人間(以下、天才)を何人も見てきたからだ。彼らは僕よりも少ない練習量かつ、少ない努力量で脚が速くなっていた(ように僕には見えた)。

妙なたとえだが「センス」は食材に似ている。ある程度ふるいにかけられているとはいえ、大学や実業団も様々な選手がいる。残酷な言い方をしてしまえば、スーパーで安売りされている食材もあれば最高級の食材もある。どんなに腕の良いシェフ(コーチ)が絶妙に調理したとしても、多くの場合は最高級の食材で作った方が簡単に美味しく出来上がってしまう。

たしかに調理方法は大事だが、僕はそれよりも「その最高級の食材がどのように作られるのかを考え、産地まで行って、食材そのものを作り直してしまえばいい」と思った。つまり、先天的な「センス」が無いなら後天的な「センス」を作ってしまえばいいと思ったのだ。

だから僕は彼らを観察し、自分とは何が違うのか考えた。

凡人が天才に追いつく方法

まず、天才たちの共通点は「優れたランニングフォーム」だと思った。「ランニングフォームを構成する要素」は無数に存在する。その要素の総合的な結果として、優れたランニングフォームが作られる。

しかし、彼らにだって調子の波があり、スランプに陥いることだってある。それに応じて「ランニングフォーム」は変わる。つまり、「ランニングフォームを構成する要素」は変動するということになる。

それならば、その要素を洗い出し、体系化し、考察し、自分にとって必要な要素を伸ばすことが出来れば、優れたランニングフォームを手に入れられる。そして、その結果として脚が速くなるはずだ。僕はそれこそが「凡人が天才に追いつくための唯一の方法」だと本気で考えた。

センスの正体とは

では、「ランニングフォームを構成する要素」とは何なのか。それはすなわち、「身体を思い通りに動かすことが出来る技術」だと思う。

「身体を思い通りに動かすことが出来る技術」の土台がしっかり作られていなければ、その上に「練習の量」を積み上げづらく、「練習の質」を積み上げづらい。つまり、その土台があることで、より良いランニングフォームになり、走りの質やトレーニングの効果が上がる。

ランニングは他のスポーツと違って、どんな型(ランニングフォーム)であっても行うことが出来る。それは、初心者ランナーも実業団選手もプロランナーも誰であっても同じだ。

だが、「身体を思い通りに動かす技術」に劣っていれば、本来必要な刺激ではない刺激が身体に加わる。その不必要な刺激が繰り返し加えられることによって、ランニングフォームはその刺激に「適応」する。そして、適応したイメージの範囲内でしか身体を動かせなくなる。あるいは、イメージと実際の動きに差異が生まれ、身体はどんどん歪んでいく。

その一方で、「身体を思い通りに動かす技術」に優れていれば、長く速く走るために必要な刺激だけが身体に加わる。そのため、ランニングフォームは「長く速く走ること」に適応する。その結果、今までよりも少ないパワーで「楽に走ること」が出来、今までよりも高い負荷に対して「我慢して走ること」が出来る。また、レースでの局面だけでなく、全ての走動作の質が向上する。(例えば疲労抜きのjogの質でさえも)

僕は、この「身体を思い通りに動かす技術」の土台こそが高いパフォーマンスを支えるセンスの正体だと考えた。

身体を思い通りに動かす技術とは

「あの選手は調子が良いから、動きがキレている」「あの選手は一皮むけて、動きが良くなった」「動きが悪いまま追い込まないようにしよう」

このような言葉や現象は「身体を思い通りに動かす技術」の重要性を示している。

ある筋肉の力が抜けていたり、固まっていたりすると「悪い動き」になる。そのため選手は、「良い動き」に近づけようとする。走る前には動き作りを行い、走っている最中には様々な意識を向ける。

このように「身体を思い通りに動かす技術」は「走る前の技術」と「走る最中の技術」に分けられる。「走る前の技術」は「走りやすい身体の土台を作り」、「走る最中の技術」は「その身体を思い通りにコントロールし続ける能力」を作る。

さらに、「走る最中の技術」は「入力する技術」「出力する技術」に分けられ、それらは「楽に走る技術」「我慢して走る技術」を生み出す。

一般的に「センスがある」と呼ばれている人は「入力する技術」が特に優れ、良い動きと悪い動きを感じる能力が高い。「なんかしっくりこない」といった感覚や「この感覚なら絶対走れる」と感じる感覚だ。そのため、認知バイアスが起こりにくく、トレーニングの方向性を定めやすい。

一方、「入力する技術」に劣っていれば、トレーニングの正しい刺激が分からず、ただ闇雲に量を追いかねない。例えば、「今日のポイント練習では想定したタイムで走れなかった。原因はよく分からないけど走り込もう」といった思考になりかねない。(結果として走り込みが足らない可能性はあるが)

(余談だが、短距離と長距離の最も大きな違いは「入力する技術」と「出力する技術」の比率の違いではないかと想像している)

このように徹底的に技術について考えれば、「メンタルは技術に集約される」と言っても過言ではないと思う。(メンタルトレーニングは技術の習得の手段になり得るかもしれない)

「走る前の技術」と「走る最中の技術」の細分化、そして自動化

では、「走る前の技術」と「走る最中の技術」には具体的にどんなものがあるか考えてみようと思う。

「走る前の技術」
<目的→走りやすい身体をつくる>

・全身のアライメントを整える技術
・全身の歪みを整え、フラットにする技術
・全身を繋げてコアから始動させる技術
・全身を細分化して、細部を使いやすくする技術
・細分化した身体の各関節の力を上手に連動させる技術
・良い動きをイメージする技術
などなど…

「走る最中の技術」
<目的→思った通りに身体を動かし続ける>

①出力する技術
・正確に脚を回す技術
・楽に脚を回す技術
・大きく脚を回す技術
・地面からの反力を上手く推進力に変える技術
・リラックスする技術
・乗り込む技術
・しなやかに走る技術
・リズムを刻む技術
・イメージした動きで走る技術
・イメージしたペースで走る技術
・良い動きを再現する技術
・シューズに動きを調整する技術
・風や路面などに動きを調整する技術
・「タガ」を外す技術
・追い込む技術
・追い込みながら動きを崩さない技術
・何も考えない技術
・動きを切り替える技術
・違和感や疲労や痛みを無視する技術
・違和感や痛みを避ける動きをする技術
・レースで練習と同じ動きをする技術
・相手のリズムに合わせる技術
などなど…
②入力する技術
・良い動きを感じる技術
・悪い動きを感じる技術
・ペースを感じる技術
・変化に敏感である技術
・変化に鈍感である技術
・心地良さ、心地悪さを感じる技術
・違和感や疲労や痛みを感じる技術
などなど…

このように走る技術は場面によって数え切れないほど沢山ある。これら技術の総合的な結果がその瞬間のランニングフォームとなる。

これら一つ一つに対して考察すれば、膨大なテキストになってしまうので割愛するが、例えば、「全身を細分化して、細部を使いやすくする技術」はその部位や程度によって、ランニングフォームに細かく作用する。

また、「全身を細分化して、細部を使いやすくする技術」に長けているランニング初心者が走っても、優れたランニングフォームは得られない。その理由は、走る前の技術は走る前に身につけられ、走る最中の技術は走る最中に身につけられるからだ。

ここで重要になるのが、「技術の習得」は、「トレーニング」と「良いランニングフォームの獲得」のつなぎ役となるという点だ。

つまり、ストレッチや、ウェイトトレーニングや、スプリントドリルや、不整地を走ることや、インターバルトレーニングなどといったありとあらゆるトレーニングは「技術の習得のための手段」になり得る。もっと言えば、それらのトレーニングの瞬間瞬間は良くも悪くも手段として作用する。

そして、技術を習得するとは、それを意識せずとも行えることを指す。繰り返しになるが、センスがある天才たちが考えるべき技術が少ないのは、既に自動化されている技術が多いからだろう。とはいえ、彼らが技術に関して全く考えていないとは言わない。ただ、そもそも考えるべき項目が少ないように感じる。

トレーニングの個別性の原理を突き詰めて考えれば、骨格や筋量以上にこの「技術の習得」が実際のトレーニングの方向性に大きく影響するのではないだろうか。

センスが無いのなら、自分に足りない技術について考え、そこから目を背けずに課題を克服するしかない。そのための手段を探し、試行錯誤し、正解を探す。そうして初めて、天才たちと同じ土俵に立てる。凡人は天才と同じことを考え、同じことをするだけではいつまで経っても彼らには追い付けない。

「走る前の技術」と「走る最中の技術」がランニングフォームに及ぼす影響

先述したように「走る前の技術」と「走る最中の技術」がその人のランニングフォームを構成する。これらの技術の高低によってランニングフォームを4分類すると次のようになる。

A:「天才」タイプ
(「走前の技術」高・「走中の技術」高)

より少ないパワーで効率よく速く走ることが出来る。長く速く走ることに適応したランニングフォームをしている。だが、このタイプも突き詰めると上には上がいる。最上級は世界トップレベルの選手たちのランニングフォーム。

B:「ガラスのエース」タイプ
(「走前の技術」低・「走中の技術」高)

一見、優れたランニングフォームをしている。走ると速いが、身体の土台が無いため、実際の動きとイメージに差異が生まれてしまう。身体が歪み、すぐに脚を痛めてしまう。

C:「練習番長」タイプ
(「走前の技術」高・「走中の技術」低)

練習量をこなせるが、速く走れない。身体が強いため、走る量を増やし、結果として故障せずに生き残る。長く走ることに適応したランニングフォームになる。
パワーを使って質の高い練習をこなせるが、いざ本番になるとごまかしが効かず、天才タイプには勝てない。
ただし、「走る前の技術」が一定以上高まった時、「走る最中の技術」は自ずと高まり、「天才」タイプに変わるため、ある意味では「走る前の技術」が中途半端に高いタイプと言える。

D:「凡人」タイプ
(「走前の技術」低・「走中の技術」低)

言わずもがな凡人タイプ。速く走れない為、走る量を増やす。すぐに脚が痛くなる為、脚に負担がかからないように走る。そして、ゆっくり長く走ることに適応するランニングフォームになる。

ランナーのタイプを4分類してきたが、先述した通り、このタイプは技術によって変動する。僕自身の経験を振り返ってみても、良くも悪くも技術の変化があり、それに応じてランニングフォームは変化してきた。いずれの時もやはり良いランニングフォームで走れていた方がトレーニング効果は高かった。

技術は反復練習によって習得可能である。であれば、どんなトレーニングを行うにせよ、まず「天才タイプ」に変えることが重要ではないだろうか。

また、自身の経験や、先輩方の引退を間近で見てきた経験から想像するに、ベテランランナーの多くは最終的に「ガラスのエースタイプ」に収束する。つまり、ベテランランナーのケガの増加の主な原因は、摩耗や年齢による身体機能の衰え以上に「走る最中の技術」が高まった結果、「走る前の技術」とのバランスが取れなくなった結果に起きるものではないかと考えている。

現に僕は「走る前の技術」にアプローチすることで走りが変わり、痛みを減らせている実感はある。

ランニングフォームの個性

人間の身体には骨格などの先天的な身体のタイプがいくつかある。これら全ての技術と身体のタイプに対してランニングフォームが変動する。仮に全ての技術を数値化した時、その組み合わせによって導かれるランニングフォームの種類は無数に存在する。しかし、全ての技術において高水準の値を持っているとすれば、骨格が違っていたとしても、ある程度似たようなランニングフォームになる。

ランニングフォームは千差万別だとしても、世界トップレベルの選手の多くが力感が無く、腰高、前傾のフォームに近づくのはそれで説明がつくだろう。つまり、各技術の能力を突き詰めれば限りがない。センスとはあくまで相対的なものであり、世界トップレベルを基準とするならば誰しもにその伸び代があると言える。

また、技術の習得をすっ飛ばして「トップ選手のフォアフット接地のランニングフォーム」をマネしても彼らのように走れないのは当然のことだ。

走技術と身体の関係

走技術はランニングフォームだけでなく、身体中のあらゆる筋肉に影響を及ぼす。つまり、ランニングによってかかる負荷に対して全身のあらゆる筋肉が適応する。そして、走る動作によって使われる筋肉および関節の連動の自動化がより高い技術を生み出す。

「走る最中の技術」が低ければ、エラーが生まれる。筋肉は走りの中で生まれたエラーに適応し、イビツに張り、故障に繋がる。しかし、「走る最中」に意識出来ることは限られている。(例えば、接地を意識すれば腕振りが考えられなくなるように)

そのため、「走る前の技術」によって「身体ステータス」を引き上げることが必要になる。「走る前の技術」に劣っていれば「身体ステータス」はそれなりにしか引き上げられない。

つまり、「走る前の技術」と「走る最中の技術」が同時に優れていた場合、疲労していても「身体ステータス」は高い状態のままのため、「走る前の技術」を意識することはほとんどない。(天才と呼ばれる限られたトップ選手がトレーニングや補強にあまり興味を示さないのはこれが理由だと僕は思う)

このように、「走る前の技術」(及び、それに伴う身体の筋バランス)と「走る最中の技術」は複雑にリンクしている。ニワトリが先か卵が先か、「走る前の技術」や「走る最中の技術」は、お互いに良くも悪くも影響を及ぼす。

改めて、センスとは何か

ここまで、僕なりに「センスの正体」を考察してきた。

それをまとめると、、、

「センスの正体」とは、「身体を思い通りに動かす技術」であり、その技術は無数に存在し、変動する。それらは主に「走る前の技術」と「走る最中の技術」に大別され、その技術は身体の筋バランスとリンクしている。その人の持つ全ての技術は、その瞬間のランニングフォームを構成する要素となる。

「身体を思い通りに動かす技術」の土台が大きくなれば、優れたランニングフォームになり、その上に「練習の量」や「練習の質」をより高く積み上げることが出来る。結果的にパフォーマンスは向上する。

技術の多くを無意識的に習得し、一定以上のセンスがある人のランニングフォームは優れている。しかし、全ての走技術において持って生まれたパーフェクトの人間など存在しない。なぜなら少なくとも「走る最中の技術」は日々の地道な走る練習でしか培われないからだ。つまり、どんなにセンスがあっても努力無しでは高いパフォーマンスに結びつくランニングフォームは得られない。

技術を突き詰めれば限りがない。つまり、センスとはあくまで相対的なものであり、誰しもにその伸び代があると言える。そして、自分の課題となる技術を磨くことで、天才と同じような優れたランニングフォームを手に入れることが出来る。それこそが、凡人が天才に勝つ方法と言える。

じゃあどうすればいいの?

では具体的にはどうやって自分の課題となる技術を見つけ、それを磨くことが出来るのか?

それには僕なりの答えがあるのですが、大分長くなってしまったので次回に書きたいと思います。

というわけで次回をお楽しみに!!!

(続きです↓)

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