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ランニングがサイエンスを「活用してこなかった」理由を考える

先日、SAJ2021のセッションを観させて頂いた。テーマは「スポーツサイエンスと人間回帰」。

トレバー・バウアー投手はテクノロジーを活用し、課題を可視化しながら戦略的にトレーニングを行う。例えばハイスピードカメラを使って投球術を磨き、数名のコーチ(バイオメカニクス、パフォーマンス、ストレングスなど)と連携を取り、トレーニングプランを決める。それに加えてアナリスト(分析家)や医師ともコミュニケーションを取る。

彼はサイエンスの対比としてアートという言葉を使う。試合では無意識の領域や駆け引きといったアートに身を委ねるべきだが、トレーニングでは積極的にサイエンスを取り入れるべきだと語る。それは他のスポーツにおいても同じだと。

だが僕は、ランニングは他のメジャースポーツに比べて、サイエンスをあまり活用してこなかったように思う。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、スポーツ科学を学び、前線で戦ってきた一人の人間の肌感覚として、率直にそう思うのだ。

たしかに研究分野(生理学、バイオメカニクス、心理学、栄養学、スポーツ医学など)の発展によって、データが可視化され、その一部は活用されてきた。だが、そのほとんどは独立したデータに過ぎず、あくまで選手目線から言えばトレーニングにおいても経験則に基づく、アートの領域が最重要視されてきたのではないだろうか。

今回はその理由を3つに分けて考えていきたいと思う。

①ランニングではデータを扱いにくい

ランニングという種目はタイムという分かりやすい評価軸を持つ。だがそこに至るまでの変数(環境要因、走動作、筋力、筋持久力、疲労、体調、メンタルなど)が多く、測定可能なデータとパフォーマンスの相関がどうしても低くなる。それらが相関関係であっても因果関係ではないことも多い。例えば、体重や走った距離などだ。

それゆえにランニングではデータを扱うこと自体が難しい。木は時として森を隠す。だから多くのトップアスリートはn=1のアートを極めることを選んできたのだ。

とはいえその中でも、トレーニング理論やコーチング理論が提唱されてきた。今後はそれを基に、より難解な方程式を解くヒントになるサイエンスが発展していくのだと思う。そうすれば新たな評価軸が出てくるかもしれない。

②テクニックを軽視してきた

ランニングは他のスポーツに比べてテクニックの要素が少ないと思われがちだ。だから一般的にはフィジカルやメンタルが重視される。だが、それらはあくまでテクニックありきだと個人的には思う。

その対象はトップアスリートに限らず、ファンランナーはじめ、全てのランナーが当てはまる。正しく走るテクニックはパフォーマンスだけでなくケガ予防にも関係するからだ。

はっきり言ってランニング業界はその部分を軽視してきた。純粋に走るというテクニックを感覚(アート)の部分に頼ってきたいう意味では、50年前からほとんど変わっていないのではないだろうか。

これは僕自身の競技観にも通ずるのだけれど、「よく分からないけど速い」ことをセンスと言い換えて、納得して諦めるのは違うと思う。センスとは無意識のうちに獲得したテクニックであり、いずれサイエンスによってそれが言語化される時代が来るはずだ。

③アナリストの不在

データとパフォーマンスを結びつけるようなアナリストの存在も影響している。例えば、走動作のデータを即座に分析して改善案をフィードバック出来る人は少ないと思う。それは、従来のコーチの役割を越えているようにも思う。

今は昔に比べて、ギアの進化によってデータが得やすくなった。また、SNSの普及によって海外選手やコーチングの情報も得やすくなった。

今後はそれら一つ一つの点を線に繋ぎ合わせるようなアナリストの重要性が増すだろう。

ランニングがサイエンスを活用する時代がいずれやってくる

今までランナーがサイエンスを活用してこなかった3つの理由を書いてきた。

冒頭に書いた通り、このnoteではその良し悪しの主張をしたい訳ではない。現時点ではあくまで選手のアートの部分が重要視されてきたという事実を確認しただけだ。ただ、今回のセッションを観て、近い将来、ランニングのトレーニングが劇的に変わる時代がやってくると僕は確信した。

バウアー氏は「データが公開される度に我々は学び続けなければならない」と語っていた。

そんな新しい時代を上手く乗りこなせた選手がより高いパフォーマンスを発揮するのだろうし、あるいはそんな時代に差し掛かっていると言えるのかもしれない。

一方、サイエンス側からランニングを見れば

一方で、逆の立場から考えれば、幾らかの研究者にとって、ランニングが魅力的に映ってこなかったとも言える。

もし、陸上日本選手権がプロ野球日本シリーズほどの人気があれば、日本におけるランニングのサイエンスやテクノロジーはもっと発展していたはずだ。僕は他競技で活かされているサイエンスが、形を変えていずれランニングの世界を変えるとも思っている。

例えば野球のハイスピードカメラが進化すれば、ランニングフォームの細かな変化を瞬時にチェックできるようになるかもしれない。

例えばスポーツ医学が進化して「疲労を正しく測定する技術」が開発されれば、練習メニューは与える刺激を予測して立てるものではなく、フィードバックを中心に立てるものに変わるかもしれない。

例えばチェスで世界チャンピオンになったAIが進化すれば人間が得意としていたアートの領域を担うかもしれない。

いずれにしても「アスリートが陸上界を盛り上げ、陸上やランニングの裾野が広がることで、サイエンスがより発展していく」という循環を上手く回す必要がある。

そうすれば、ランニングのサイエンスは今よりもずっと進化する。それが結果的に陸上競技やランニングの価値を高めるはずだ。少なくとも一陸上人として、僕はその一端を担いたい。

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