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学校で教える根性・忍耐・努力・我慢と教師の超過労働の関係〜日米比較:教育の「型」の違いから〜

上記の記事の続きです。先日、日本教師教育学会のセミナーで日米の公立高校教諭の働き方の違いについて話をした経験から気がついたことについてまとめています。

日本の子どもたちは「固定型」、アメリカの子どもたちは「経験型」で学ぶまたは教えられるということを上の記事で書きました。

そしてそれは教育現場で語られる「根性」「忍耐」「努力」「我慢」という価値観もまた違ったように作用しています。

前述の通り、経験型のアメリカの生徒は「楽しい」・「使える」ものでないと価値を見出しません。しかし、一旦その価値を見つけると努力もするし、努力すれば報われるという新しい経験を得ます。それは経験型には自己を不可変と考えるこどもが大きいと語られている(佐藤,1994)ことも頷けます。

実用的なアメリカの教育についてもアメリカで働いた時に書いています。)

逆に言えば、生徒が「これは使える」「これは面白い」と思わなければ生徒は勉強しないということです。これは教師にとったら結構な試練です。

日本の生徒ももちろん、面白くて使える内容ならどんどん学びます。それにもちろん経験によって「これは使えない」と思っている生徒もいる。でも言われたこと(型)をする。しない子もいますが、そうすると置いていかれる仕組みです。そしてこれって小さなことのように思われるかもしれませんが、結構大きなポイントだと思うのです。

日本の生徒は、使えないと思っても、楽しくなくても「努力」「根性」「忍耐」等の価値観が学習面においても大切だとして掲げられ、コツコツと取り組むことで成績が上がるなどというように教えられます。実際にもちろんそれで成績を上げる生徒もいるでしょうが、そうでない生徒もいます。そして、そのような価値観を持って大人になったとき、周りを見渡せば理不尽なことを言われたり、ブラックと言われる職場環境に身をおいても努力、根性、忍耐で乗り切ろうとする風潮になるのはそのためではないでしょうか。

教育の「型」と日本の学校で教師の働き方が変わらないという理由と無関係ではないと考えています。

これに気がついたのは今のアメリカでの職場について考えた時に、誰かが我慢するや努力するといった発想がないなと思ったのです。それに、アメリカの生徒に「忍耐」を持って学びを説明することに説得力を欠くなと思ったことも理由です。この学びは自分に合わないと経験からわかっている生徒に「それでも根性でやれ!」とは言えないのです。別に頑張っていないとう訳ではありませんが、そのような発想がない。だからこそGRITが脚光を浴びるのかもしれません。日本にはいやでも耐え忍びやり抜く力は全体的に大きいかもしれませんが、それは時と場合を的確に判断した上でスキルとして使えているでしょうか。

長時間勤務が辛くてもやり抜く?
いやいや、仕事はあなたを守ってはくれません。
休みの取り方がわからない人はぜひこちらを参考にしてください。

長くなりますが、最後にもう一言。
アメリカではいかに効率よく仕事をするかということを全力で話し合い、誰かが困ったり問題を抱えていたらそれを解決しようという姿勢があります。その姿勢を見せることが「できる人」でもあります。一方、日本では困っていても、しょうがないよね、変えられないよねという暗黙知がありそんな中自己犠牲的に頑張る人が「できる人」化しがちです。
これは「空気と教育」にも通じる点。学校における「所与性」です。

ん?と思った方は教師と空気も読んでみてください。

教育の「型」と空気の関係、まだまだ深掘りできそうです。

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