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思いっきり遊ぶ日:Play Hard Day🇺🇸

日本で小学校6年生だった娘はアメリカではミドルスクール1年生。3年前に渡米した時にアメリカに即座に馴染んでいたスピード感に比べれば、今回は環境の変化や本人の成長、日本人として醸成されたアイデンティティ、学習内容の複雑さなどにより思いのほか苦労しています。

渡米後に近くのミドルスクールに入ったものの、合わずに転校。

2校目は先生方がとても優しく気にかけてくれるのでなんとか頑張って行っていたものの超後向きで「いきたくない」を連発。私からすれば楽しそうに聞こえるのですが、本人はあまり楽しめていない様子。2回目のアメリカの学校がこれほどスムーズに行かないとは想像もしておらず、実際に何度か休ませてブレイクを取ったりもしました。

それが、ついこの間から「楽しい」と言い出したのです。

それは学校であったPlay Hard Day(思いっきり遊ぶ日)がきっかけのようでした。私もその日が何のことやら分からずに、てっきり朝の集会か何かでゲームでもするのかと思っていましたが、ところがどっこい。

まさかの「1日中遊ぶ日」だったようで、帰ってくるなり「今日は勉強何もせずに遊ぶだけだった!」と嬉しそう。しかもゲームをする中で他のクラスメイトと関わる時間もたくさんあり、自分のいいところも見せられたようでした。

改めて「学校に行きたくない」が「楽しい」に変わる様子を見ていて自分が仲間であると認められることや「楽しい」を共有できることの大切さ、子どもたちが学校に行く意味を考えさせられました。言葉ではそもそもなく、関わりから生まれるんですよね。

アカデミックな学習や知識の習得なら今やYoutubeでもできるわけで、(実際に娘は日本のワークを家庭学習しながらNHK Schoolなどを使って勉強を進めています)学校に行く目的は何かと聞かれれば、今やそれはengagement (関わり)やrelationship(繋がり)に大きくシフトしているのではないでしょうか。

これからの学校に行く目的は知識習得ではなくこのようになるでしょう🔽
①学習内容や理解を多様な人(教師・クラスメイト)やモノ(学習材料)によって深めること。
②社会スキルや自己理解を深めるため。

もちろん知識を伝えることや学ぶことも大事ですが、以前に比べるとそれだけではないという不安定さもやはり抱えるようになってきているのではと思います。

私がアメリカの高校に勤めていた時も、授業を録画してGoogle Classroomで配信している先生がいましたが「このままでは(家で授業が見られるので)生徒が学校に来なくなってしまう」と皮肉混じりに言っていたのを思い出しました。

一緒に学ぶから楽しい、一緒の時間や空間を共有しているからこそ生まれる学び、にこれからもっとシフトしていくのではないでしょうか。

まだこれは感覚的でしかありませんが、日本は特に集団での教育活動(繋がり、学び合いなど)において他の国では見られないような特徴があるような気がしています。どのような形で進化していくのか楽しみにしていたいです😊

Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。