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BOOK REVIEW 12: 「空気」と「世間」

空気にハマって読んだ本の続きです。


こちらは演出家で、またHNKのクールジャパンの司会としても活躍されている鴻上尚史さんの本。

とにかく面白かった。
「空気」の存在の前に、それが存在する「世間」と「社会」について説明しています。

1 世間と社会

世間と社会は真逆の存在だと筆者は言います。
「世間」とは自分の現在や未来に関係のある、または影響のある人間関係で、「社会」とは自分に関係のない世界です。世間とはいわゆる「村」のようなもので、信じれば必ず自分を守ってくれる、一神教を信じる西洋における「神」のようなものだと説明しています。

世間体が悪い
世間が許さない
世間さまに顔向けできない

などなど、「世間」を使った表現はたくさんあれど、

社会体が悪い
社会が許さない
社会さまに顔向けできない

などとは言わないものです。つまり、社会とは世間ほど自分に影響力を持たない場ということになります。

2 海外には世間はない

作者は海外に世間はないと書いています。例えば、スーパーのレジで陽気に話しかける店員さんや同じエレベーターに乗り込んだ際に気安く話しかけるケースなど、彼らには「世間」はありません。あるのは「社会」のみです。だからこそ、レジの前にいる人がどのような人物であるか情報収拾するために気さくに話しかけるのだというのです。日本では知らない人(つまり世間以外の人)と話すことはほとんどありませんね。それはそこが「世間」ではなく「社会」だからです。個人的には海外にも世間はあるのではと思うので同意できない部分もありますが、作者のいう世間と社会の垣根がないと言う意味はわかります。

3 世間の5ルール

世間を決める5つのルールとして以下の5項目をあげています。

① 贈与・互酬の関係
② 長幼の序
③ 共通の時間意識
④ 差別的で排他的
⑤ 神秘性

①はいわゆる持ちつ持たれつというやつですね。お歳暮やお中元などの文化もそれに当たります。②は年功序列意識です。年が上や下だというだけで序列意識が生まれます。③は相手も自分も同じ時間を共有していると信じる意識のことです。たとえば「先日はありがとうございました」というフレーズもそれに当たります。④村意識や世間があるということはそれ以外を排除するということになり、必然的に差別的で排他的な存在になります。⑤は儀式がそれに当たります。面白くもない校長の話をじっと聞いていることもそれに当たると書いてあります。目的は面白い話を聞くことではなく、静かにそこに参加することだからです。

4 壊れる「世間」

その「世間」(=村)意識が今は壊れて来ている、と作者は言っています。そして、「空気」とは「世間」を構成する要素のどれかがかけている不確かな状態のことを言うとしています。
「世間」が壊れて来た要因、それはもちろん経済のグローバル化が大きな原因でしょう。帰国子女の存在や外資系企業が入って来たことにより「今までの世間でなくても良い」例が生まれるようになりました。一度知ってしまったものを知らなくすることは、できないと作者は言います。そして精神的なグローバル化が進んでいるとも指摘してます。もう昔のように確固とした「世間」は薄れて来ており、今あるのは「世間の匂い」なのです。

5 空気を仕切る司会者はいるか

空気を読まないといけないと感じたときに、その「空気」を支配しているのは誰でしょうか。テレビでは大物芸能人が司会をしたりしてある一定の「空気」を生み出している場合はあります。また、「世間」がしっかりとしていたときには、読まねばならぬ「空気」があったかもしれません。しかし、今、あなたが読もうとしている空気、読まないといけないと思っている空気を支配している(と思っている)のは誰ですか。うまく言えない人は、本当の司会者がいるのかどうかを考えてみると良いでしょう。

6 西洋に劣っているのではない

鴻上さんは、このような日本の仕組みが西洋と比べて劣っているのではないと述べています。ただ違うだけだと何度も強調しています。どの社会にも「世間」はある(あった)し、強力な一神教がなければどの社会も自然に日本のようになる。問題は、その「世間」の支配を許すか許さないかの違いだと言うことをいくつもの例を交えて説明しています。

7 個人や社会の概念

日本に「個人」や「社会」と言う単語(英語からの翻訳語)が入って来たのは明治10年頃。それ以前に日本にはそのような概念はなかったそう。それが入って来た背景には富国強兵の名のもとで西洋化する中で政府が国会、裁判所、税制、教育、軍制などの概念を国民に説明する必要があったからです。書面上ではどんどんと用語が使われ出したのにかかわらず、「世間」で受け入れられるにはそれ以上に長い時間がかかったと言えます。

8 「世間」の崩壊を恐る力

人は変化を嫌います。特に、日本は変化の遅い国です。変化が大きいと、人は不安になります。強力な一神教のある世界では、神に祈ることで心の平穏を見出す人が多いものの、それがない日本では、人は「世間」に安らぎを見出すようになると言います。中でも面白い洞察だと思ったのは、「激しく不安な日本人たちは世間に対してキリスト教の福音派と同じアプローチを取る」と書いていたことです。福音派の人々は聖書に忠実に従う保守派です。日本の場合は、「古き良き日本」に帰ろうとする動きが出るとし、ネット右翼の存在を指摘して、むしろ彼らは「世間原理主義者」だと言っています。

この本にはいろんな例が乗せられています。
クールジャパンで出会った海外の出演者の話や、彼らから見た日本についてなど、なるほどと思うことがたくさんあります。

また、教育について書かれていることもありました。私は、鴻上さんが生徒向けに書いた下の本も購入して読みました。生徒向きなので、簡単な言葉遣いや語り口調で、小学生高学年や、中学生など読みやすいのではと思います。書いている内容はほぼ同じなので、大人の方は最初の本の方がいいかもしれません。

この本からの学びはとても面白かったので、他の記事でも関連付けられたらと思っています。




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