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黒船ペリーから見た日本

アメリカの高校で教えていた時に、珍しい経験をしました。日本に開国に迫った黒船ペリーのご子息が講演会に来校され、お会いする機会があったのです。

英語でペリーさんのことはCommodore Perryと言います。名前からして軍人風な威圧感のある方がくるのかと思っていましたが、実際に現れたのはジーンズにシャツ姿の白髪の普通のおじいさんでした。(当たり前?)

ご子孫のペリーさんが行った講演会はもちろんアメリカの高校生向けのもの。私たちが歴史の教科書で「日本にやって来た」対象としてみる「黒船来航」の話とは違い「日本に行った」立場や視点からこの歴史的事実を見たことがかなり斬新でした。

まず面白いなと思ったのは、「鎖国をしていた日本を開国した」という視点です。もっというなら「開国してあげた」という視点が入っていたことです。当時の日本は産業技術が発達していたイギリスやアメリカと比べれば大きく遅れた文明社会にいました。そのためペリーはアメリカから蒸気機機関車(アメリカの有名な会社に製作を頼んだそう。どこの会社だったか忘れました…)などその他のお贈り物を持参してたそうです。「それを当時の日本人に見せると大層驚いた」という様子など聞いていると複雑な思いが駆け巡りました。

まず、私の中では江戸時代の日本は平和なイメージです。200年続いた徳川治世は内戦もなく文化が花開いた時代として記憶されていました。それに誰も鎖国を解いて欲しいと思っていなかっただろうに「突然」アメリカの黒船が来たらしい、という認識です。きっと当時の人の感覚としては「え?あの船なに?」っていう感覚だったと思っています。

一方、アメリカの見方は未開な日本人に科学文明をもたらした。文明化したのはアメリカ人の功績(civilised)という立場が見て取れました。当時のアメリカ人から見たら民族衣装や髪型、それに言語も違う日本人は、確かに全くの未開人だったに違いありません。改めて逆の立場から見てみると、新鮮な衝撃を受けました。

そして面白いのが、電信機の話です。
電信機はペリーたちが持参した贈り物の一つです。機関車だけでも江戸時代の日本人は相当驚いたと思いますが、目に見えないのにメッセージが伝わる電信機の存在はさらに信じ難いものでした。電柱の間をメッセージが一瞬で伝わることが理解できずに、電信柱の端から端まで人が代わりに同じメッセージを持って走った、というエピソードが絵とともに紹介されて、もう、この話は苦笑するしかありませんでした。我が祖先として、江戸時代の日本人が愛おしくてたまりません。

しかし、こんな話は日本では聞かない側面です。歴史通の人はご存知かもしれませんが、私はペリーがたくさん贈り物を持ってきていたことや、それによって日本が最新の科学技術に触れたことなど全く知りませんでした。それに、その講演会で紹介される絵ですら(例えば電信の間を走っている絵)見たことがなく、なんで日本人なのに初めて今見るような絵があるんだろう、と不思議に感じました。

同じ歴史的事実でも見る側によって全く解釈のことなる別世界。初めて逆から見て見た「黒船来航」を通して、半分だった地球が丸く繋がったような気持ちになったのでありました。

文化って本当に面白いですよね。

ちなみに、ペリーさん以外にも、ジョン万次郎さんのご子孫と、ジョン万次郎さんを助けたホイットフィールド家の皆さんはいまも交流があるそうです。



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