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モアーパッション、モアーエモーション。

今、朝ドラで片桐はいりさんが演じる音楽教師が話題である。という書き出しでしたが、もうちむどんに片桐はいりさんは出ないでしょう。
残念!

しっかし、片桐はいりさんって、なんでこう女教師役がよく似合うんでしょうね。
なんでしょう、あのザマス感。
あの音楽教師は、見事なほどのハマり役でしたね。
また熱血指導者というのも、また素敵。
実際には、あれほどまでにあからさまに1人の生徒に肩入れする学校教師は居ませんが、習い事などの、公的ではない場面では時々目にします。

教える者は、才能のある生徒、やる気のある生徒には容赦なく指導したいに決まっています。
なぜならば、よく伸びるからです。

才能がある者は、1を伝えれば即座に1を体現します。
やる気のある者は、他者が1しかやらないものを、2.3と繰り返します。
そういったものを見せられて、やる気にならない先生はいません。つい熱を入れがちになります。
また、そういった生徒は他者とは違う目標を持っていたりもします。
そういった事情もあり、やたら厳しく指導される生徒というのは、まま見られる現象だったりします。

私は、あの片桐はいりさん扮する女教師ほどではありませんが、やたら厳しく指導される生徒を、公教育の場で、一度だけ見たことがあります。
それは学校イチの秀才で、ピアノがとても上手な女の子、のぞみでした。

のぞみはいつも、2つのお下げ三つ編みで登校する生徒でした。その三つ編みはきっちりと編み込みがなされ、いつも美しく整えられていました。
彼女は運動も勉強もよくできて、おまけに目がくりりとした、美人でもありました。

彼女のピアノ技術は、その世代の女子生徒の中では抜きん出ており、音楽の授業では常に伴奏を担当しました。
よくもそんな難しい楽譜をさらりと弾くな、とよく当時は思ったものです。

のぞみの将来の夢は音楽の先生でした。
彼女は音大に行きたい、みたいなことを話していた記憶があります。
モアーパッション、モアーエモーション。
そんな音楽教師になりたかったのかは定かではありませんが、のぞみは、幼少期の頃からそれを目指し、勉強やピアノの練習に励んでいたのです。

私が中学2年生になってからの事でした。
絶対音感を持つという、若く、流行りの音楽に詳しい、ピアノの演奏技術も優れていた女教師が、この片田舎の学校に赴任してきました。
彼女は華奢な体に、可愛らしくもこざっぱりとした服を身にまとい、現代歌謡曲を教材としてうまく扱いながら、音楽の授業を進めました。

音楽教師といえば年配の、おばさん教師しか知らなかった我々生徒は、現代音楽を題材にしただけで斬新さを感じ、歓喜していました。
古臭い授業は終わり、いまから新しい教育が始まるのだとワクワクしていたのです。
その頃はちょうど、ゆとり教育が本格的に実践されたばかりでした。
私たちの授業もこうして変化していくのだと、生徒たちも妙に高揚していたのです。

彼女は、古いクラシック音楽を聴き、それをリコーダーで演奏する、というありきたりな授業はしませんでした。
なんと、生徒自身でオリジナルの曲を作り自ら演奏する、という授業をしたのです。
そんな授業は誰一人受けたことがなかったので、皆驚きました。でもみな各々、自分の求める音楽について真剣に考えていたと思います。

モアーパッション、モアーエモーション。

その若い音楽教師は、私が義務教育中に出会ったどの音楽教師よりも、音楽を愛していたように思います。
他の教師たちが、音楽を利用し教育をするという手段をとる中、彼女だけが真に音を楽しむことを教えようとしていました。
聴き慣れた音楽を歌い、歌詞について考えさせて、その題材について深く考察した後は、自らの手で音楽を作りましょう、となりました。
そこで、演奏するとは何か、表現するとは何か、
あなたは何を伝えたいのか、そうやってモアーパッション、モアーエモーションな教育を彼女は進めていったのです。

そんな中、私はのぞみ達と一緒に班を組み、その作曲の授業をすることになりました。
意外なことに私たちの班の作曲活動は、全く進みませんでした。
それもそのはずです。
大変やる気なく自分の好きなアイドルの曲を弾きまくるA子と、凡庸な私。
A子と私は、のぞみがいるなら大丈夫じゃないかな?と2人でのぞみをアテにしていたのですが、のぞみは大変受け身な女子でした。

私はのぞみから、音楽について何も意見が出てこないのに驚きました。そしてのぞみ以外も多少なりともピアノの知識があり、A子と私は、きっとなんとかなるだろうと軽く考えていたため、ダラダラと授業時間を浪費しました。
結局、その音楽教師には似つかわしくないほどの叱責を受けたあと、私主導で、というか私が勝手に作っていた曲を演奏するという形に落ち着きました。

それは、小さなカブの歌でしたが、あまりに歌詞がダサすぎると言うことで、A子が歌詞を変更し、腰を抜かすほどのキラキラアイドルソングとなりました。
のぞみはそれを見守る総合プロデューサー的な、アレンジャー的立ち位置に落ち着き、私が即興で弾いた曲をすぐさま楽譜に書き出しました。
のぞみは演奏のみならずソルフェージュにも長けていました。
けれども、相変わらずのぞみからはただの一度も意見は出ませんでした。
その3人で作った音楽について、好きとか嫌いなどの簡単な意見ですら、出てきたことはなかったのです。

私たちはどうにか完成した、教師達の前でその作った音楽を発表すると、どう言った経緯でその曲を作ったのか話すように言われました。
私は自宅でピアノを弾きながら曲を作ったこと、きっかけは下校時にみたプランターの花だった事などを話しました。
A子は、私の作る歌詞がヤバいほど幼稚だった、とは言いませんでしたが、歌詞は考えたいと志願し、好きだったアイドルのことを考えて作ったことなどを、素直に語りました。
私自身、A子の提案には満足していましたし、A子の作詞家という意外な一面を知ることができ、とても楽しんでいたのです。
その様子を納得した表情で、音楽教師はうなずいていました。
「で、のぞみさんは何をしたの?」
のぞみは下を向いたままでした。

「あ、のぞみは楽譜を書いてくれました」
私はすかさずそう言いました。
音楽室でピアノを弾くと、私たちがそれを依頼する前にのぞみはすぐさま楽譜に起こしてくれました。
のぞみの楽譜はとても正確でした。
楽譜に起こしたことで、A子は歌詞が付けやすくなり、作業は早く進みました。
そういったのぞみの手助けで、なんとか発表までに間に合わすことができたのです。

「そう。のぞみさんはこの音楽に、なにか思うことはある?」
音楽教師がそういうと、のぞみは下におろした手を、ペンギンのようにバタバタと振り
「楽しい曲になったと思います」
と小さく言いました。
音楽教師は続けました。
「のぞみさんは、この音楽をどうしたかった?どんな曲が作りたかった?そういう思いは話せたの」
のぞみは黙ったままでした。
それもそのはずです。
確かにのぞみは授業に参加し、楽譜も起こしてくれました。が、のぞみから曲についての要望や、イメージなどの意見はほぼ何も言わなかったからです。
音楽自体は私とA子の意見のみで作ったようなものでした。
のぞみの沈黙の後、音楽教師は
「次からはのぞみさんも、きちんと意見を言わないとダメよ」
と一言言うと、次の班が呼ばれ、私たちは元の場所にもどされてしまいました。

のぞみは、普段からあまり喋る人間ではないにも関わらず、さらに静かになってしまいました。
同時に私も驚いていました。
優等生でピアノも上手なのぞみが、音楽教師から不満げに注意を受けるところなど、見たこともなかったからです。

あの厳しい叱責を受けた作曲の授業のあとから、私は先生に対して注意深く観察し、接することにしました。
するとあの若い音楽教師は、のぞみにだけはハイレベルな欲求をしていることが分かりました。
我々には、ハイ、いいですよと軽く流すところを、のぞみにはアレが違う、これはこうと細かく指示をしているのです。
きっとのぞみには、なにか音楽的な才能があったのでしょう。
けれども、それが演奏家として花開くことは一度もありませんでした。

今思えば、彼女のピアノからは情熱を感じることは、ただの一度もありませんでした。
彼女が大学を卒業した後に、一度だけその演奏を聴く機会があります。
それは俗に言う、下手な演奏でした。

彼女は恐ろしく難しい曲を引いたのですが、私はそれを聴き、あまりに不協和音が響くため気分が悪くなりました。
おそらく実力に見合わない曲を演奏したのでしょう。
モアーパッション!モアーエモーション!!
あの片桐はいり先生ですら、それすら言わず演奏をとめたはず。

彼女のピアノ技術は、小学生の時点で彼女自身のアイデンティティになっており、それを手放すことはしませんでした。でも能動的に音楽の授業に参加することもしません。
彼女は本当に音楽が好きだったのでしょうか。
それは誰にもわかりません。

のぞみは、中学を卒業してからも音楽の先生という夢を持ち続け、大学も音大ではなく、どちらかと言えば教育大学のような雰囲気の、音楽コースに進学していました。
それが彼女には合っていたのだと思います。
今現在は音楽教師として、地元に戻り活動しているのがその証左でしょう。

のぞみが教師になってから書いた指導計画書は、その地域の伝統的な音楽を使った郷土愛にあふれる、楽しいものでした。
私はそれをみてようやく、彼女が音楽が好きなのかもしれない、と感じました。
もしくは、無意識に上司にウケの良い題材を探し、使用したか。

モアーパッション!モアーエモーション!!
のぞみのように、情熱のこもった演奏はできなかったとしても、このような形で自分が好きなものを昇華できるのだと、のぞみは証明したと、私は感じています。

あの若い音楽教師は、何を望んでのぞみを厳しく指導したのでしょうか。
それを受け、のぞみは何を感じたのでしょうか。
モアーパッション!モアーエモーション!!
このちむどんどんのドラマのように、2人にとって、この出会いは良い出会いであったと信じたいです。



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