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天才という残酷さ。

今日もゴールデンウィーク真っ只中ですね。
皆さんお元気にしていますか?
私は風邪をひいたあとはお腹を壊しまして、
でも、ミョーにお腹は減るモンだから

カツ丼食べて下痢

を4〜5回くらい繰り返してました。
これぞ巷で流行りの

デトックス

ですよね。
とりあえずカツ丼を食べることを止め、ビオフェルミンを倍量飲んだら落ち着きました。
世の中だいたいそんなもんです。
そうですよね、皆さん。

さて、先日から私の頭をグルグルと悩ませている

天才

についてです。

きっかけは片桐はいりさん扮する下地響子先生だったわけですが、あの先生の天才レーダーも

実に昭和的

ですよね〜〜。

近年の世の中、とくにネット環境で世界で一瞬に繋がる世の中になってしまってからは、歌子のように

埋もれている天才

など、存在しません。
なぜかと言えば、これだけ情報がすぐ伝わる世の中、

天才は隠れようがないんですよね。

なぜなら活動していれば、すぐ誰かの目に止まってしまうから。
なので昭和的に、何もなくある日突然指導者の目に留まる、と言うよりかは、必ず下積み的な活動があった上で、ジワジワとファンが増えていくか、突発的にバズる等で、世に羽ばたいていきます。
あ、でもそれは

現実の昭和

でもそうか。ごめんテヘペロ。

そんな天才の話なんですが、天才というべき人間は(当たり前なのですが)そうそういません。
でも、芸術系大学に進学された方なら必ず目にしていませんかね。
天才肌などと言う言葉は全く生優しく、正に

鬼才

というにふさわしい人間に会ったことはありませんか。私にはあります。
彼らは活動しなければ生きていけないほどの情熱、つまり

モアーパッション、モアエモーション

を持っています。
そしてそれを制御してしまえば、たちまち彼らは苦しみ出します。
もはやその才能は、おのれの肉体から生み出されるのではなく、まるでその才能のために肉体を与えられ活動をしているようなので、その気迫と活動力は凄まじいのです。

子どもの頃は、天才になりたいだのすごい人になりたいだの思いますが、

大人になってからは真逆。

むしろ凡才の方が、身体を壊すほどの努力をしなくていいし、なにより活動せずに普通に生きられるのが幸せ。
とはいえ、学生時代は(特に私は、作品数が多くない生徒だった)何点も力を込め作り続ける、天才肌のクラスメイトが羨ましかったです。
当時の私は、1つ作るのにかなりの苦痛を伴ってましたので、量産するなんて本当に無理でした。
だから彼らのあのパワーの源は本当になんなのか、一度深く知りたいです。

私が初めてあった天才は、ピアノの得意な転校生の男の子でした。
まだ動画配信やYouTubeなんぞがない頃、彼は
「みんなのリクエストの曲、全部弾けるよ」
と豪語し、実際にそれをやってのけました。
また曲と曲を即興で組み合わせ、ムーンライト伝説(セーラームーンね)から、残酷な天使のテーゼ(みんな大好きエヴァだよ)で締めると言った、超絶演奏を繰り返しました。

彼からしてみれば当たり前だったのでしょうね。
我々中学生の音楽知識なんて大したことはなく、それらの音楽達は彼の頭にすっぽり収まっていたのでしょう。そしてさらにアレンジまで加えました。
あの彼の演奏を聴いた時の感覚は、忘れることができません。

当時の感覚は、朽ち果てた木造の音楽室が、ゆるゆると息を吹き返すようなものでした。
今まで表面を撫でられるだけだった学校のグランドピアノが、その本領を発揮した瞬間です。
鍵盤を1つ1つしっかりと押し、奏でられたのは音楽が好きという気持ちでした。

もう、彼を中心に音がぐわっと広がるんですよ。
彼が本気を出し、ゾーンに入ってしまったら、多分あの音楽室かグランドピアノは壊れます。
それぐらい鬼気迫る演奏でありました。
薄くはげかけたベートーベンと瀧廉太郎の肖像画も、あの時ばかりはカラーになり、濃くくっきりと浮かび上がりそうでした。

みんな彼のことをすげーすげーといいましたが、彼からしてみれば、これだけ練習をしているのだから当たり前といった所なはず。
表面的なところばかり注目されて嫌だったと思いますが、彼自身、クラスメイトに打ち解けるために、ただのバカな中学生相手にピアノという手段を使ってしまったのですから、本当に仕方のないことです。

その後彼は、徐々に学校に来なくなってしまいました。
私の中学には
「暴力教師の〇〇です」
と自ら名乗ってしまう、とんでもないクソ教師がいましたし(しかもソイツが1年生担当なんだな)他にも色々馴染めず、不登校になったようです。

そりゃあ当たり前です。
あれほどの才能を持ってしまえば、些細なことも敏感に感じ取ってしまい、学校という珍獣の塊みたいな環境では(しかも田舎)生きていくのは難しいのです。
結局、不登校になってからは卒業まで、彼の顔を見ることはありませんでした。
卒業アルバムのクラス写真にうつる、彼の怯えたように見開いた目、不健康に見えるほど白い肌も、私の目に強烈に焼き付いています。

さて、仲間由紀恵が演じる歌子の母に
「迷惑してるなら学校に電話しようか?」
とまで言われてしまう下地先生ですが、歌子は一体どうなっていくのでしょう。
これはあくまでフィクションで、下地先生いわくちゃんと歌えない(人前で)にも関わらず、歌を歌えとゴリ押しされます。
でもね、本当の天才というのは、滲み出てしまって素人目でももう分かってしまうんですよ。
だから歌子にどんなオチがつくかが楽しみなんですよね。
もう昭和的な、見染められて一夜にしてスターという時代はなくなってしまいました。
だからこそ続きが気になってしまいます。

私はあの時、鬼気迫るパフォーマンスをしてくれたクラスメイトの事が気になり、数年前にネット検索をしました。
あのまま俗世に埋もれ、押し潰されているのは嫌だったからです。
彼は、今では誰もが知るような大きな音楽の仕事をしています。そして、たくさんの仕事をしていました。
私は、そんな真の天才だった彼を間近で見ることができました。きっととても幸運だったのだと思います。そして、彼が音楽で生きているのを見て、私は安心し、その強さを素晴らしいと感じています。

漫画のような、物語のような、ある日突然スターになる天才はいません。
みなその才能の代償かのように、自らにとてつもない努力を課し、コツコツと生きています。
そうしなければ自分のもつ根源に近づけないからです。そうしなければ生きられない。
彼らはそういうものを背負ってしまった人間でもあるのです。

天才は、成るものではなく与えられるものだと、私は考えています。
成れるものは秀才です(東大クイズ王の元祖以外はみんなそれ)
だから我々は毎日規則正しい生活をして、3食たべてコツコツ努力するしかない。
結局、それが一番ってことなんですよね。
ゴールデンウィークだって、それが大事で、守らないと私みたいに寝込みますからね。
みんな、気をつけてね。


※私は、どこでも馴染むようで馴染まない変人でした。

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