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『愛”する”ための力を身につけるには』


#最近の学び


“人間”を”人間”とみなし、世界に対する人間の関係を人間的な関係とみなせば、愛は愛とだけ
信頼は信頼とだけしか交換できない。
その他も同様である。
芸術を楽しみたければ、芸術の修行を積んだ人でなければいけない。
人々に影響を及ぼしたいと思うなら、実際に他の人々を本当に刺激し、影響を与えられるような人物でなければならない。
人間や自然に関する君の関わり方は全て、自分の意思の対象に相応しいような、君の”現実の”、
“個人としての”生の明確な表出でなけらばならない。
もし人を愛してもその人の心に愛が生まれなかったならば、つまり、自分の愛が愛を生まないようなものだったならば、
また、愛するものとしての”生の表出”によっても、”愛される人間”になれなかったとしたら、
その愛は無力であり不幸である。
マルクス『経済学・哲学草稿』「城塚・田中訳、岩波文庫、186-187ページ

“もてたい”,”愛されたい”

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そう考えたことのない人は、ほとんどいないのでしょうか。
いまの日本では、”少子化”、”草食男子”,”趣味の多様化”というキーワードが示す通り
恋愛に消極的な人が多いように感じます。
実際に私の周りでは恋愛をしている人が多くなく、一度も彼女ができたことがない人もすくなくありません。
その一方で、地元の人で特に女性は20歳前後で結婚をする人も多く

“あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。”
ルカによる福音書19:26

という福音書の一節を思い出さずにはいられません。
これはよく、【金持ちがより金持ちに貧乏人がより貧乏に】として
お金に関する教訓として要約できますが、

20台中盤の自分にとってまだ周りの人との差はあまり感じません。

寧ろ結婚や婚活を特に意識し始めるからこそ、恋愛に関する教訓だと考えています。

そして、藁にもすがる勢いでエーリッヒ・フロムの「愛するということ」
に手を伸ばしたのでした。

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この本は大学生の頃にも読んだことがありました。
しかしその時は漠然と”彼女欲しいな”とか”即効性のあるハウツーを学びたい”考えが強かったです。

そして冒頭の文を読み打ちのめされたのをおぼえています。

愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するに違いない。
そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に
浸れるような感情”ではない”、ということである。エーリッヒ・フロム著 鈴木晶訳『愛するということ』紀伊国屋書店(1991),p1


初版がでたのが1956年ですが、私と同じ気持ちになった人も少なくありませんでした。
セックスに関するハウツー本だと勘違い人も多かったみたいです。

フロムは続けて、

自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても
かならず失敗する。同上、p1

フロムが語っているのは恋愛が英語で表される、fall in love 恋に”落ちる”ような感情であったり
カーペンターズの”Top of the World”の天にも上る気持ち”ではなく”、
行為者自身の人格がどれほど発達しているのか、

どれほど【積極的能動的】に相手に関われるか
を示しているのだと思いました。

積極的能動的というのは私の造語です。
これは行為者が自ら能動的に対象に関わる姿勢を表しています。


一方、愛されたいというのは、受け身の表現です。
モテるの語源は持てるという表現が語源のようで、
広辞苑で調べて見ると
もてはやされる。ちやほやされる。
が出てくるのでこれも受け身の表現であると言えます。


このように、行為者自身が自ら進んで受け身の状態を望むことを

【積極的受動態】
で表すことにしました。

日本語でこの表現は、しばしば用いられます。
英語力を高く買ってもらった。
私は彼女に服を選んでもらった。等々

しかし、ここで疑問に感じたことがあります。
なぜ多くの人は、自ら進んで積極的受動態を選択するのか。
愛されたいとは多くの人が言うけれども、
[人を愛したい]
とか
「人を好きになりたい」
と言う人をどれくらいあなたは知っていますか?


アドラー心理学の教えるところによれば、【課題の分離】
すなわち他人はコントロールできないのだからこそ
自分と相手の課題を明確に分離した上で自分の課題に注力することで
より良い結果を出そうと言う考えです。

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子育てが良い例です。
親は、子供に対して勉強させようと強制的にさせても長続きしませんし、
長期的には悪影響がでると想像できます。
そうではなく、例えば勉強をすることによる楽しさを子供に伝えてあげたり
実際に親が勉強している姿を子供に見せてあげることが
大切なんだと思ってます。

(ちなみにアドラーはフロイトと同じ時代の人物で、フロムのひと世代前の学者になります。
フロムの著作にも、たまにアドラー心理学を踏まえた上でのフロムの考えが述べられているところもありますので、
関連づけて読むとより理解が深まると思いますよ。)


話を戻しまして、なぜ人が進んで
積極的受動態を選択してしまうのか。
これは、愛に関するいくつかの誤った誤解から生じているのだとフロムは指摘しています。

①恋愛を対象の問題と考えている。

恋愛を能力の問題ではなく対象の問題として、すなわち”恋に落ちる”のは簡単である。
ようはその相手を見つけることこそが肝心なのだ。
と多くの人が考えているということです。
特に最近は、両親の指定した人と結婚をしたい(する)人やお見合い結婚を選択する人はかなり少数的となっているのではないでしょうか。
加えてインターネットやスマートフォンが隆盛しており、人々が出会う方法やハードルもぐんと下がりました。
特徴的なのは、マッチングアプリの台頭だと思います。
上から下へ、左から右へ流れる多くの写真をショーウィンドウで商品を眺めるかのように検索することを経験している人にとって

『恋愛の問題は対象の問題ではない。あなた自身の問題なのだ。」

と指摘しても一体誰が理解できるのでしょうか。


②資本主義の原理の浸透

私たちがいきている社会は、一言で言えば資本主義社会です。
資本主義社会を支えている原理が、人々の購買欲と等価交換の原理です。
そして恋愛市場においても人々は「商品」となります。
もちろん値段がつくわけでも実際に売買されるわけではありません。
誰もが意識無意識とにかかわらず、自分の「価値」を理解した上で
お買い得品を求めようとしていると、60年以上前にフロムは指摘しました。

いまよりも150年前の資本主義の萌芽期に、人間が【商品】となろうとしている
現状を嘆いたマルクスの言葉が一番上の言葉になります。
こうした説明の後に、再読してみるとその言葉の印象も
大きく変わるのではないでしょうか。

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このように、恋愛に関する誤った考え方の根底には個人的・社会的な要因も絡まっており
解決は容易ではありません。
しかしその解決が困難だからといって、それから目を背けて良いという理由にはしてはいけません。
そうであるならば、誰も温室効果ガスの削減について話をしないでしょう。

これらの前提を踏まえて、本書が展開されていきます。
ページも200ちょっとで、文章自体も読みやすいのでサクサク読めると思います。


【最後に】
愛するということの原題は
The art of loving
です。
直訳では愛の技術となりますかね。
artはアート=芸術・作品のイメージが強いと思うのですが
他にも熟練・技術
といった意味があります。
意訳で”愛するということ”としたのは素敵な意訳だなあと思いました。
題名から内容をイメージしやすいのに加えて、
同様の本(愛を能動的に語っている本)としても珍しいと思ったからです。

愛というのが感情ではなく、将棋や音楽と同様に技術であること
技術であるならば他の事柄と同様に、
①理論を知ること
②実践で経験を積むこと

をすることで習得することができる。

その人の成熟の度合いにもよるため、一概にあなたにはコレ!
といった解決策がないところが恋愛の大変なところでもあり
やりがいなのではと考えました。

最後までお読みいただきありがとうございました☺️

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