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日記

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2020年11月の記事一覧

2020年11月26日(木)

監査というものに初めて立ち会った。インターネット上で偶々(ではなく能動的に探して)見つけた先生の顔から、絶対に早口で畳みかけてくるタイプの人間だろうと想定していたが、実際はその想像の二倍弱のはやさを誇っていた。質問を受けているとき以外は本社のラウンジの片隅を占有して仕事をしたり、仕事をしていると見せかけたりした。入れ代わり立ち代わりやってくる、会議室を確保できなかったり、確保するまでもない会議を開

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2020年11月25日(水)

会社でシャッフルランチが行われた。訪れたベトナム料理屋は、(このご時世だが)サラダバーが開催されていて、そのうえサラダというものの定義が、この店のなのかベトナムにおいてなのかは知らないけれども既知のそれよりはるかに広く取られていて、やけにうまい謎のチキンや生春巻きも食べ放題だった。交流という名の下で交流が図られた。レイソルは快勝した。

2020年11月24日(火)

その名のリズミカルな語感から、メルロ=ポンティという人間を、どうしても音楽方面で名を挙げた人物だという最初に抱いた印象を、今でも拭い去れないでいる。常時感じている満腹感と食欲のバランスが釣り合わない。その二つを足すとどう考えても100%を超えていて、結果として腹及び顎の周辺に肉がまとわりついてくる。

2020年11月23日(月)

勤労感謝の日だった。毎日のように夥しい数の人間に殺到されて求められている、その癖その多くから鬱陶しがられている勤労という概念に感謝して、一日くらいは勤労さんも人間と切り離された時間を過ごしていいですよ、人間の側もこの日ばかりは勤労さんと距離を取らせていただきますので、とのことだった。物を売った。査定を待っているあいだほど、諦念と期待がない交ぜになる時間はない。そして結局現実は、諦念の側にすり寄って

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2020年11月22日(日)

チェーンのカフェのどれかひとつはあるだろうと踏んで向かった駒場東大前には本当に何もなかった。開演までの時間を潰すには、唯一あったマクドナルドに行くしかなかった。家でうどんを既に食べていたが、マクドナルドで飲み物だけを頼むということが自分の何かに抵触したので、チーズバーガーを注文した。相変わらず喉に固形が詰まっているような味がして、美味しかった。時間が来たので劇場に行って、小田尚稔の【愛と罪】を観た

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2020年11月21日(土)

消防設備の点検が行われた。作業員は白髪の初老の男だった。男を迎え入れるのに、特に事前に部屋を片しておくようなことはなかった。出しっ放しになっているので部屋の景観を損ね続けている、雑多な物品をとりあえずの仮宿として格納しておく、けれども大多数のものについてはそこに永住することになる魔法の箱を、天井に取り付けられた火災報知器を棒で弄っているあいだ、まじまじと見られた。そのイベントを終えたあとは、惰性で

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2020年11月20日(金)

インフルエンザの予防接種に行った。出版健保の建物の一階のエントランスはいつ来ても不可解な暗さをしているし、接種会場の七階のホールは、一階のぶんの明るさを吸い上げているのだとでもいうように過剰に明るい。例年よりも厳格に時間が区分けされていて、人間の存在は疎らだった。そうなるように制御していたのは明らかだったが、ここに並んでくださいよ、というのを区切るテープはやたらと長く取られていたので、針を刺される

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2020年11月19日(木)

三ヶ月前に終わったプロジェクトの一応は打ち上げというかたちで、こんな時期にあれだけれども会食が行われた。その区画だけちょっと暗かったというのが理由で事務所に新たに取り付けられた蛍光灯が異常なルクスを放っていて白飛びするほどだ、という話題が、いくらでも繰り返されていた。人間のツボは千差万別だなあと思い知らされた。

2020年11月18日(水)

襟のないシャツを頼んだつもりが襟のあるシャツが届けられた。
#日記

2020年11月17日(火)

一日に一回見るか見ないか、一週間に一回呟くかどうかのいう頻度で利用しているTwitterの自分のアカウントが乗っ取られていることを、たまたま発見した。定番かつ懐かしの、レイバンを隙あらば売り付けようとするものだった。普通にログインはでき、パスワードを変更することで事なきを得た。初めての経験だったが、焦りというよりも、自分にもようやくやってきた! という感慨のほうが強かった。

2020年11月16日(月)

布袋寅泰と呂布カルマの顔の区別をつけるのが難しい。顔の類似を感じるポイントは人によって異なっていて、それは認識の機能の差異が普通に健常な人間のなかでも横たわっているということで、昨日出会ったある人間をその次の日も同じ人間であると特に引っ掛かりもなく認識できていることが不思議てまあると、思えなくもない。
#日記

2020年11月15日(日)

諸々の慶事が重なったことにより開催されたおばさん五人の集いに、若者が、という歳でももうないけれども相対的にはそうだということになる人間が、一人だけ混ざっていた。おばさんが繰り広げる話や記憶は、脈絡というものがまるでなく、それでも総体的には楽しい時間を過ごしたのだという感覚が残るから、こういう小説を書きたいのだと、これを書きながら考えた。
#日記

2020年11月14日(土)

実家に帰った。枕が変わっていた。そのことにより眠らないということにはならなかった。前のと比べて反発の度合いが、心地よい程度に強くなっていた。書いて掲載された小説を読んでくれた母やその友人から、ありがたいことに感想をいただいた。パンクブーブーの漫才を思い出した、という、私と一応は血が繋がっているらしい、けれどもそれが具体的にどういう関係なのかも知らなければ、そもそも顔も見たこともない方からの感想が、

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2020年11月13日(金)

コロンビアかスマトラか選べた今朝のスターバックスのドリップコーヒーにおいて、私だけそれを訊かれなかった。有無を言わさずコロンビアだった。ついでに言えばマグカップか紙コップかも訊かれなかった。有無を言わさず紙コップだった。書いていて気付いたが、あれは余剰を押し付けられたのだろうか。一週間が終了した気分でいて、もりもり働くぞ、という気分に持っていくのは難しかった。そんなことができた試しはなかった。