シェア
川島啓介
2020年5月24日 23:38
Military parade in Vladivostok at night1年前の旅行記にこの續篇を書かうと思つたのは、今が5月だからである。6月になると、書き難くなるからである。少々、時局と絡むことだからである。理由は、以下の通り。少し繰り返しになるが、私は去年の改元の日(5月1日)から5日まで、ロシア沿海州に旅に出た。そして最終日前日(4日)は、ウラジオストクからウスリースクへ行き
2020年5月23日 22:51
Ussuriysk, Russiaウラジオストクに到着した日、坂の多い街を半日、距離にして30キロ步き囘つた。坂と軍港を特色とする街の景観を愛でつつも、喧騷とアジア系觀光客の多さにだんだんうんざりし出し、逃避を考へ出した。その日泊まつた宿は、木賃宿とも言ふべき狹い部屋に異常に人を詰め込む安宿。ゴーリキーの『どん底』の舞臺となつた木賃宿のやうな、ロシア的な泥臭さと乱痴氣騷ぎを期待したがゆゑに
2020年5月23日 21:51
Vladivostok, Russiaシベリア鐵道で、ナホトカからウラジオストクへ向かつた。これに乘るために、樂しみだつたホテルの朝食を斷腸の思ひで諦めたのであつた(電車の發車時刻がやたらと早かつたのである)。ウラジオストクでは、蕎麥とニシンの鹽漬けと文豪カフェを堪能しようと決めてゐた。蕎麥は麵ではなく、實(Гречка グレーチカ)を煮たものである。10年以上前に日本のロシアンバーで食べ
2020年5月23日 01:00
令和元年5月8日執筆(facebookより轉載)。去年5月に、「極東ロシア紀行」を①~③まで書いたが、その續編④を今年の5月中に書きたくなつたので、こちらにも①~③を轉載する。旅は、令和元年5月1日~5日に行つた。Nahodka, Russia10聯休を利用し、ちょつとシベリア鐵道に乘つてきた。最初に向かつたのは、旅人がゐないナホトカ。ここでの最大の目的は、シベリア抑留者の「日本人墓地