違和感を気づかないふりをしない
人の好きなものやことを笑った。
人が考えたことを笑った(例え「笑」と本人が照れてつけてたとしても)。
わたしは、決して悪気はない。寧ろ良かれと思って、心を開いて欲しくておどけて見せているつもり。
しかし、言われた本人はそう思わない。わたしには気づけなかった本気や心が隠れているのをわたしは見落として、小さくても確かな傷を残してしまう。
だから、おどけてしまうそんな自分がすごく嫌いである。
心のしこりが夜1人になってから胸につっかかる。
おどけるのはなぜかと言うと、自虐と同じだ。自分に自信がないから。他人を無理して笑わせようとするから。
他人を笑わせようとすべきでない。他人を笑わせたいのだったら、胸を張って、自分が笑顔でいるしかない。
誰かにに例えどんな思いをさせられていても、わたしは他人で笑いをとる人になりたくない。
どう、リカバリーするか?
次の日になって謝るのは違う。謝っても、傷つけた、笑った事実は消えない。
だから、わたしは行動で示す。笑ってしまった、軽率に扱ってしまったものを、忘れずに拾い直す。手遅れだとしても、気づかないふりをして棄てはしない。何度でも、いつからでも拾い直しに行く。
そして行動で伝える。笑ったのはあなたのことではない。わたしが笑ったのは、仲良くなりたかったから。諦めずにそう伝える、行動で。
わからない人にはわからなくていい。誰にもわからないかもしれない。自己満足かもしれない。それでも、わたしは気づけない人にはなりたくない。センサーが麻痺したままの自分は嫌だ。
人にとってはどうでもいいことだとしても、わたしにとってはこんなに大事なことはない。
何度でも拾いに行く。
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