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変わっているって素敵でしょ?

変で何がいけないんだ。吃音と変わっているだけで小学生の時同級生はいじめ、中学生では揶揄われる。部活ではブラック環境にただ自分1人だけがおかれる。そして人生を終わりにしかけた。高校生では「the変人」になってていじめられる。
前世の記憶、簡単に言えば人生2周目。「へぇだから君凄いんだ」「へぇ何歳までの記憶あるの?」と好奇心ばかりで聞いてくる人。まあそういうのは慣れてるというか気にしてはない。だけど、どこか、、
そんな人生を送ってきた自分の「初投稿」のnote。読むだけで面白いような感動するような記事になるようにしていきたい。


自己紹介

私は私立高校3年生です。体調に気をつけながら、自暴自棄になって人生を終わろうとしましたが、先生に助けられた経験から、社会に何かをしたいと思うようになりました。学生団体、NPO法人、学会、コミュニティ、通信制高校の0期生など、14の業界のメイン団体9つとサブ団体5つで活動しています。また、「ミエルカ」というコミュニティの代表も務めています。学校では合唱部、科学部、写真部の3つの部活動に所属し、学生スタッフとしても活動しています。
私の志望分野は地域創生であり、トラベルクリエイターの会社を設立する予定です。メンバーを募りながら事業の構築も進めています。前世の記憶やギフテッド、吃音、さまざまな病気を抱えています。自分自身はノンバイナリーであり、クワセクシャルです。私のモットーは、誰もが自分のアイデンティティを表現できる社会を作ることです。私の志は、マジョリティに飲み込まれず、マイノリティを尊重することです。

やっていること

web制作(休止中)、デザイン、動画編集、団体運営、写真、音楽、SNS運用及びマーケティング(学習中)、コンサルティングセールス(学習中)、メール添削、メール作成(テンプレ資料あり)、音楽

所属している団体

・つながるキャンパス
・日本リベラルアーツ協会
・NPO法人CORUNUM
・47online
・有志団体Vendor(学校の食自販機のレビューサイト運営)
・原宿AIA高等学院0期生 
・コミュニティ「ミエルカ」
・変人學会
・社会共創コミュニティ(仮名称)

所属していた団体、休止中

・国際支援系長期インターンシップ
・教科書バンク
・オープンキャンパスの学生スタッフ
・みらいbaby   

活動名(アーティスト名)で活動する理由

理由は2つ。1つ目はノンバイナリーだということで自分の女らしい名前が嫌いで生きにくい。2つ目はいじめ。SNSの活動を見られていた時に活動していることが好ましくなく、変わっているってだけで浮いている自分のことを悪口などいじめて教室から排除しようといじめと一緒にしてきた。SNSについて言われたくなかった。だから自分はこの『綾織楓』で活動をしているのだ。

変わってるって素敵でしょ?

変わってるってことをポジティブに捉えようじゃないか。変わってるだけで今の自分がいる。学校の半数は必ず1回話してたり、それのうちの半数くらいは仲良かったり。いわゆるコミュ力おばけってやつ。学校に必ずいるよね。そういうコミュ力おばけ。先生とずっとに居る人も必ずいるよね?そういう人に自分はなったのだ。意図してそれをして先生を舐めてるのじゃない。好きで先生と一緒にいるんだ。だって専門的な話をできるのって先生しかいないだろ?同級生と一緒にいることは当たり前みたいな感じだけどなんでその対象が後輩や先輩、先生だっていうだけなのに普通の人だったらそんなこと好ましいと思うのになんで変わってるだけで、問題児だってだけで批判されるの?いじめられるの??変に思われるの??経営者やほぼ大学生のイベントに参加するとすごいねとか思われるのは良いけど、高校生が少ないのは高校生だからってだけで参加しにくい、遠慮しちゃう世の中だからなんだよね。こういう高校生が周りへ周りへとアクション起こし、参加を一緒にするってのをしないと多分高校生は増えないと思う。高校生対象の経営者、学生起業家との交流会とかそういう対象にしちゃったり、高校生も良いんだってビラや広告で書くとかそうして行ったら変わるんじゃない?変わってるからこそこう思う。自分で変わってるって言うのって結構辛いんだよ。自分で自認してるってなるんだから。人間って誰でも変だよ?100%健常者なんてあまりいないの知ってる?全員1部は障害とか苦手を持ってるだろ?他と違うだけで浮かれてしまう世の中、マジョリティ社会、アイデンティティを表現しにくい世の中、名刺が変わってても良いじゃないか。

振り返ってみる。人生を

振り返ると人生17年、山あり谷あり。場においてキャラクター(性格)を変えてしまう自分。性別を限定するようなことは書きたくないが、昔から男子ばっかと一緒にいた。
小学校低学年まではクラスに馴染めていたが、中学年を境にいわゆる陽キャにいじめられるようになった。高学年では同級生と合わせるのが苦手で、後輩ばかり仲良くしすぎて同級生の女子のほとんど、男子の一部に嫌われた。不登校にはならずに済んだのはカウンセラーの先生と親友のおかげ。その人達がいなければどうなっていたのだろう。クラブ、委員会ともに長をする。先生と一緒にいるのが気に食わないのかその頃からだろう。自分を好きになれなかったのは。
中学校では中高一貫校に進学し、男子の一部からの揶揄いだけで済んだが、友達は以前少ない。居ても男子ばっか。女子は一部。学年のほとんどの男子と仲良かった。ブラック部活に所属し、高校生ほとんどから自分だけ『部長教育』を受けさせられた。初めて『先輩から愛されてる、こんな嬉しいことはない、期待してくれてるのだ』って感じて舞い上がってた。それに嫌じゃなかった。初めての文化祭でやらかした時、先輩は先生へ謝ってて何も怒らなかった。重圧すぎる。うすうす感じてるよ。自分に押し付けたいのだろう。期待してるのだろう。この頃からだろう心が折れ、精神の方で問題児認定をされたのは。拒食、情緒不安定。中2になり問題児クラスに入れられた。そこでまってたのは中1のクラスとは大違いの緩さ、楽しさ、クラスの雰囲気。夏休み、近づいてくる2度目の文化祭、中1の時の『あの光景』が目に浮かび、苦しくて苦しくて引きこもりになった。そこから地まで落ち、そして廃人へなった。夏休み明け2ヶ月ぶりに外に出た。『眩しい。生きてるんだ。』その日か担任は放課後は毎日呼び出し『明日も来いよ』『なんでも良いから話そう』と社会不適合者みたいな状態の自分を懸命に救おうとしてくれた。たわいもない話もした。
2度目の文化祭。この時初めて部室というその場から逃げたのだ。でも、逃げるのを辞め戻った時には『本来は自分の担当じゃないチームへ行けってやられ、きてくれた人が散らかし放題暴れ放題』だった。この時、心身ともに壊れた。徐々に体が弱くなってきた。拒食で朝は絶対に食べれない。夏休みから緊急事態宣言が開始するまでの期間拒食になった。みるみる痩せ、体もたまに壊し、肋骨が見えるような感じまで陥った。中3でも同じ担任。1年中拒食。緊急事態宣言中は日々先生と日記で相談、時にはZoom、明けた時、分散登校の時は時間さえあれば話していた。心身は壊れたまま。2年にわたった廃人は改善してきた時、あることで地へまた落ちた。唯一『部長教育』を受けさせなかった兄のような先輩が、大学受験前日、交通事故で亡くなった。感情が爆発した。顧問の一言目だけで。壊れたよ。先生も関わりがあったから通夜までは毎日泣いて、過呼吸も起こして、睡眠不足で、毎日毎日いつも通りだけど先生と話して。通夜のあと10日くらいで先生のおかげで立ち上がれた。その月がコロナもあって部活ができないから一緒に友達と帰っていた。わざわざ遠回りして3年間で友達と初めて一緒に帰れるようになったからウキウキして調子に乗っていた。友達6人くらいに裏切られ、『帰るのが嫌になった。』って仲間はずれにされ友達じゃなくなった。『うすうす気づいていたよ。その日先に帰ってたし、妙な動きをしてた』って。どんだけ友達と帰れない辛さ、部活の地獄さの事情を知ってるのに、ウキウキしすぎてたって。空気読めなかったって。1年間同じクラスで仲良かったりしたから。2年間同じクラスだった子もそのグループにはいたけど。LINEグループもなかったしね。うすうすわかってたよ。卒業式までの期間、体育の時に触れるってのを避けられてたしね。人間不信にはなりかけたけど、同級生はこんなもんだって知ってるし、後輩や男子、担任、親友がいたおかげで大丈夫だった。
中学3年間はちゃめちゃだ。部長たちがやらないといけない仕事も平気で押し付けてきた。『精勤賞取れたよ。先生。先生のおかげで不登校にならなかった。ありがとう。』この3年間がなかったら今の自分は活動してなかっただろう。中3の3月先輩たちは卒業。
高1になったと同時に病気発症。健康診断、体重が1年で6kgも落ちていた。先輩たちが引退するまであまり話してなかった高3の先輩とも『大の仲良しへと』。部長教育は優しめだったから良かった。ここまでめちゃくちゃにされた部活から逃げたい辞めたいって思うことは中学3年間ずっとあった。『このままじゃいけない、変えよう。そして、社会に関係するなにかの活動をしたい』って思った。その時に出会ったのが今所属している団体、NPO法人。当初は2つに所属。同時期に『現世の記憶が無くなった』のだ。そして前世の記憶をさらに思い出した。それからの自分の人生はガラリと変わった。『興味ある全ての業界網羅しよう』と。終わった人生が大きく変わり、谷から山へあがったのだ。
そんな時、『地域みらい留学』に夏に知って『行きたい』ってなったけど、『ここまで耐えてきた意味がない。』『絶対怒鳴られる』『言った瞬間に先生と揉めて喧嘩して爆発しそう』『逃げたら無価値崩壊する』って思って、逃げられなかった。『やっぱ、自分は逃げられない。』心身は相変わらず壊れたまま、拒食のまま、体は病弱へと。
時は流れ高校2年生。新歓をした2日後、3時間にわたり、体験入部の子と話してたら、帰ってきた時に『喉おかしい?寒気酷い』となった。翌日、コロナを患った。どんどん悪化していった。中等症の一歩手前、入院する寸前までいって、半月療養した。それから復帰した時、副部長、書記は受け入れてくれたが、あまりの後遺症に『よくなるまでなにもしなくて良い』って言われたのだ。少し良くなった時、『今までありがとう。手伝いたい』って声をあげた。だけど、『しなくて良い。見せたくないし、手伝うところないから、後輩のところ行って。』って言われた。だから様子を見つつたまに声をかけたって仕事を振ってくれなかった。しばらくして『考えていること話すね。』って言われた。全力で賛同したよ。そこからはともに仕事を振ってくれたところを本気で考えた。なのに、本人たちの希望をそって手伝ってって言われたところだけをやっていたら『部長の仕事を全てやってる。仕事押し付けすぎ。部長の仕事してない』って顧問に怒られた。本人たちが『限界。つらい。体調まで悪化してる。』って言ったのだ。なんで、自分が悪いって言われないといけないの?あの時言ったよね?手伝うって。なのに、何にも言わなかったよね?全て悪い悪いって罵倒されまくって担任にも怒られまくられて無責任だって言われまくって味方も居ない。話せる人も居ない。誰も味方じゃない。信じてくれない。黙って反論しない方が良いって知ってるから。耐えきれなかったけど、そうせざるを得なかった。『良いよね。副部長は中1から教育されていなくて。少し羨ましいところもあったんだよ?』悪役とか悪いのって慣れてるけどなんで変わってるだけで一方的に決めつけられ、『悪いのってあなただって言われなければならないの?』『毎回毎回決めつけられる』2人とも辞めていった。副部長は6年間仲良い。だけど会計は仲悪くなった。向こうから避けてくる。嫌な態度をとってくる。『なんで、こんなにも手のひら返しをするの?親友だったよね?』友人関係が壊れまくった。
あの時に言ってたこと記憶力が良すぎるせいで全て覚えている。これを書いてる今泣いている。
高2が最後の文化祭。初めて1週間くらい放棄して逃げた。逃げた時はめちゃくちゃだったよ。心身も悪すぎる。放棄して逃げたのが文化祭の前だったってのもあった。先生に見つかった瞬間腕めっちゃ掴まれた。流石に廊下だから殴らなかった。『全力で逃げたり、振り切ってたら即殴ってただろうな。』先生への要望とか書く紙で2枚にわたり書いたこともあった。必ずそれがやる度に中学の頃から1枚以上は書いてたのだ。なのに学校は何も対応しない。告発をしても無駄。顧問は長年居るから逆らわないのだ。それを読んでからポンポンって触ったりしなくなった。(顧問も女性)だけど、元に戻るのはいつものこと。顧問が恐怖でしかなかった。結論だして、『国内留学へ行く1ヶ月弱まで部長の仕事を全うする』という約束をした。国内留学中、原因不明のアレルギー、胃炎を発症しまくり。帰ってからも2ヶ月連続胃炎を発症。2つの検査をすることになった。心身のせいで指定難病『過敏性腸症候群』を患ったのだ。さらに病気が増えた。この時から今もなお病気は増え続けている。高3は割愛。体が弱く、精神も不安定は今もだ。いろんな人に欠席したりして大人にも団体の人たちにも、1on1のリスケも増え迷惑かけていることが増えまくってる。学校いきながらってきつい。居場所がないし、もう無理って思って最近は『病み垢』が病みまくってるし、大学もやめるって選択肢もでてきた。それは体のことだけじゃない。人っていつ死ぬかわからないじゃん?突然死んでもおかしくないじゃん?後輩を自分と同じ目に遭わせたくないし、成長させたい。短くても太かった人生を送りたい。自分が生きている意味、前世がある意味。

ここまで読んでくれてありがとうございました!月1本とか書けていけたら良いな!!

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