見出し画像

ワーママ、ドタバタな毎日でもメンタルバクハツ避ける工夫を考える②

休職を経験したワーママ(4歳娘あり)が、ドタバタな毎日に理不尽なできごとを消化する方法を考えるシリーズ。

前編はこちら。

理不尽と思える出来事に出会い、イラっとしたとき、それでも「私は大人だから..」と我慢しているとバクハツする。特に土日にストレス発散の自分時間が持てない子育て中は。
ならどうするか。

我慢しない。その場その場で発散してしまうクセをつける。が、最近の私のやり方。


怒るのは悪いこと?

本題に入る前に大前提の確認。
怒ったり、嫉妬したり、悲しんだりするのを、なんだかまっとうな大人でない、悪いことだと思ってないか。
仕事を増やされても、子どもがお茶をこぼしても、うっかり足を踏まれても、怒らず冷静に処理するのが大人のあるべき姿だと思ってないか。
もしYESならそれは違う。
怒るのは全然悪いことじゃない。期待と違うことが起こってびっくりしたり、安全を脅かされたと思ったら、原始的な本能で感情が想起されるだけ。
思ったことと違ったことが起こって戸惑ってる。日々私が懸命に生存しようとがんばってる。それを否定しないでいたい。

ただ社会で協力して生きているから、ネガティブな感情を人や社会にそのままぶつけるのは、よくない、というかクレバーでないって話。

感情をその場で処理する方法

感情を発散するにしても、そのまま相手にぶつけるのはよくないし正しくもない。人はそれぞれ、その人なりの事情で生きている。いかに自分にとっては「こうあるべき(こうあってほしい)」と思うことでも他人にとってはそうでない。

現実で発散しないとすれば想像のなかで発散する。さらに大事なのは、そのとき他者へ焦点をあてないこと

例えば会社の●●さんの行動にイラっとしたとする。さあ想像で感情を発散しよう!としたとき、「●●さんの言ってることは違う!」という風に他人に焦点を当てて発散すると、果てがなくて収束しない。だっていくら考えても頭の中のことは相手には届いてない。かつ、相手を見るたびにイヤな気持ちになるよう脳が学習してしまう感じもする。

だから他人に焦点をあてたまま発散するのは効果が薄い。
焦点をあてるのは「自分の気持ち」だ

方法①:ちび〇〇(わたし)に気持ちを代弁してもらう

一つは「ちび〇〇(わたし)にしゃべらせる」。

なんだかイライラするとか、頭のなかで誰かへの文句が渦巻いてるなと気づく。
そしたら、それをまるっと「ちびかえで」(※かえでは私のハンドルネーム)にしゃべらせる。

「●●さんの言ってることは違うもん!」

byいらすとや

ちびかえでは一生懸命しゃべっている。一生懸命唾を飛ばしているちびかえでを見上げているうち、私はちびかえでが可愛くみえてくる。

一生懸命唾を飛ばしているちびかえでを見上げて私は、
なんでこんなに一生懸命になるんだろうと考える。
で、気づいたことを、ちびかえでに話しかける。

「そうか。とっても疲れてるんだね。
 疲れてるのに、これ以上仕事が増えそうなことが怖いんだね

それを聞いたちびかえでは、目に涙をためて、「そうなんだよ~!」と泣きじゃくる。そんな様を見て、怖いのに懸命に仕事をしているちびかえでを愛しいなって思う。

そうすると、不思議とすとんと心は落ち着きを取り戻す。

怒りは二次感情だと言う。不安、恐れ、傷つき…根本の原因となってる感情を自覚するだけでも、怒りを弱くすることができる。
私のままで、怒りの原因を客観的に探したり、弱い部分によりそうのは冷静になれなくて難しかった。けどちびかえでならー私でない私ー小さく、か弱いことが当然の子ーなら、私は理解してあげられやすいのかなって思う。

方法②「おともだちパンチ」

次は、怒りがむかついてどうにも収まらないとき用。
こちらは、少し他人に焦点をあてるけれど、愛をもってあてる。

「おともだちパンチ」は、森見登美彦氏 作、「夜は短し歩けよ乙女」にでてくる。

要約すると、「パンチをするとき、親指でほかの指でぐっと固く握りしめる拳で殴ったら痛そう。けど親指をほかの指でくるんだおともだちパンチは、ちょっとかわいい手になるし、こんな手で殴っても憎しみは込められない。」ということらしい。

「親指をひっそりと内にかくして、固く握ろうにも握られない。そのそっとひそませる親指こそが愛なのです」

森見登美彦 作「夜は短し歩けよ乙女」第一章より

物語の始まりで語られる、このおともだちパンチの話が私は好き。この本はひょうきんで、おかしみがあって、真面目と不真面目が愛すべきものとして描写されてる。
それはともかく。

相手にも事情がある、それは分かる、けど私もすっごくムカついた、冷静になれない、フラストレーションがすごくて思考がぐるぐるしてちびかえですら召喚する余裕ない。そんなときは、おともだちパンチみたく「想像でコミカルにぶっとばす」

私がやるのは、アメコミとペルソナ5を混ぜた感じ。

「そんなんできたら苦労しねぇんじゃあぁ!」

「ペルソナ5」公式サイトより

…以降の詳細は割愛しますけど。
こうすると、けど「相手が悪い」とかじゃない次元で感情エネルギーを発散できてる気がする。
しばらくやってふうと疲れてきたら、ちびかえでを召喚するなりする。
「夜は短し歩けよ乙女」でこんなセリフが続く。

「(中略)…この広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道か、ド阿呆か、そうでなければ腐れ外道かつド阿呆です。ですから、ふるいたくない鉄拳を敢えてふるわねばならぬ時もある。そんな時は私の教えたおともだちパンチをお使いなさい。」

森見登美彦 作「夜は短し歩けよ乙女」第一章より

私はこれ、「自分」も含めてだと思ってる。私も、人も、どこかしら、腐れ外道か、ド阿呆か、腐れ外道かつド阿呆だ。私も誰かをイラッとさせておともだちパンチされてるだろう。なんならそれは、私がイラついた相手、かもしれない。自分にも、相手にも、完璧を求めず、愛をもって、さりとて自分の気持ちを圧し殺さない。おともだちパンチ理論は、そんな不思議なスタンスだ。
どこか落語的な匂いもするんだよなぁ。

忙しいときこそ「気持ちを殺さない」「感じる自分を許す」

「相手にも事情があるし…」「私が悪いところもあるし…」と理性的な自分でいようとするのは、それはそれで立派だし正解だー土日に溜まった感情をリフレッシュできるなら。けれど家事育児に追われて土日も忙しいとしたら、理性で殺した感情は行き場をなくしてなんともいえない疲労感が蓄積されていってしまう。

そんなときは即座にこまめに感情を出していく。
相手に非があるとかないとか関係なく、怒ったり悲しんだりしていい。そっと飲み物を買いにいきながら、想定外に出会って右往左往してる自分を受け止め許す。

これからも忙しい毎日に、意識して「ご自愛」していきたいと思う。