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私がピアノを20年弱習い続ける理由

今回はちょっとだけマニアックにピアノ演奏を語る。(発表会に出れなかったうっぷん晴らし)

私のクラシックピアノ歴は長いけれど上達は亀の歩み。ラカンパネラや幻想即興曲をいつかは弾いてみたいなぁ、と夢想するばかり。
それでも続けているのは、演奏を通してからだと心全部で音楽を感じる瞬間が、とても好きだからだ。

からだと心で音楽を感じる、とは

からだと心で音楽を感じるとはどういうことか。

街を歩いているときに、BGMでクラシック音楽が流れているとする。
あるいはテレビの中から。
そのとき当然耳は音楽を聞いていて、
あ、この曲かっこいいよね、と思ったりする。

自分で演奏するというのは、
それとは全然別の体験だ。
曲を演奏するときには、

①楽譜を読んで
②解釈して音をイメージして
③楽器を操る

 →演奏した音楽を聞く

音楽を聞くにいたるまで、少なくともこれだけのステップが入ってくる。
受け取る情報量が多いのだ。
そうやって演奏を楽しむことができると、次にCDやコンサートで音楽を聞くときに自然とより鮮明に感動できたりする。

多分、こういうのは音楽だけの話じゃないだろう。料理とか、スポーツとかでも、プレイヤーを経験すると次観客になったときに倍楽しめることはありそうだ。

3拍子とワルツの秘密

ひとつ例を出してみる。マニアック注意報!

ワルツのリズムについて語らせていただく。
ワルツは軽やかに躍る曲。
踊りたくなるようなワルツを聴くと、
心まで軽やかな気分になれる。

では実際にワルツを演奏しようとしたら、何を気にかけないと「踊りたくなるよう」に演奏できないか。
ひとつには、リズムの解釈があると思う。

ワルツは3拍子だ。
1、2、3。1、2、3。

けれども均等にスリーカウントをしただけでは
ワルツにならない

絵にするとこのような感じ↓

見た目にものっぺりしている。

さてじゃあどうしようということで、
まず試すのは1拍目に重みをかけること。
これは音楽の授業でも習ったかもしれない。
絵にするとこのようだ↓

1、2、3、1、2、3…

リズムが3つで1セットなんだということが
はっきり伝わるようになる。
3拍子の完成だ。

けれど、これでもまだただテンポを刻んでいるだけなのでワルツには聞こえない。
3拍子だからってワルツにはならない。

躍りのリズムが足りないからだ。

細かく言うと、躍りの種類によってもビミョーに違う。(盆踊りとワルツは全然別物なように)
ワルツのリズムをワルツらしく聴こえさせるものは、ワルツの足運びをリズムにのせることだ。

ワルツはくるくる回りながら踊る。
回るエネルギーを切らさないようにリズムを取る。
1→足を踏みこみ
2→踏み込みのエネルギーを保って
3→さっと身を翻す

絵にするとこんなイメージ↓

1→2→3⇒1→2→3…

こんな感じで、繋がった音がくるくる回るように、
1拍目も2拍目も、(実は一番大事な気がしている)3拍目もそれぞれのイメージをもって鍵盤に触れてはじめて、やっとワルツがワルツらしく聴こえてくる。

理屈じゃなく感覚的な部分も総動員。
だから初めてこの感覚が掴めた日、
ビビビッ!
と電気が走ったように感動したものだ。

音楽を通して、
私はダンスホールのシャンデリアの下で
くるくるダンスを踊る夢を見ることができる。 

とあるマンションの一室、
たった5畳にぎっちりベッドと電子ピアノが占有する空間にいながらにして。

ーーー

以上がからだと心で音楽を感じる、という私の経験だ。

そしてそして。
これはあくまで音大もでていない、
ただ趣味でのんびり続けている人のフェチの話だということ、なにとぞご承知置きいただければ幸いだ。

余談だが、
このワルツのリズムの感じ方。
じゃあショパンのワルツを聴いてみて
こうなっているのかと言うと、
またまたビミョーに違ったりすると思う。
ショパンのワルツは、
ワルツという名前はついているけれど
踊り要素を重視するより
「ピアノの音の響き」を表現する手段のひとつとして使われている感じ。
ショパンは「ピアノの詩人」だものね。
そういう解釈の違いを肌で感じられるのも、
ピアノを自分で弾くことの楽しみのひとつだ。

からりと涼しい風。秋が深まってきたようだ。
芸術の秋の風味を届けられたなら幸いです。