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ハラスメント〜看護師という仕事



一個前で人生の意義をあれだけ問いかけて
答えを放っておいて、
まあ、なんとなく「人生の意義とは」=「走るだけなのかもしれない」
と書きつかれた挙句に
吐き出し過ぎたり考えはてるとあっけらかんとしている私。
あれだけ書くとまたどうでも良くなるんだな。

ずっと書くか迷っていた私が人生で初めて生きることがもうできないとしか
考えなくなった理由の一つ。
外にいる人間一人に怯えるようになった理由の一つ。
未だ少なくはなったが、泣きながら睡眠から目覚める理由の一つである仕事の内容。

こんなことも書いてしまえ
書いてしまおうと書き出すほど、
私はえらく折れた幹をロープで締め上げるでも、接着剤で折れた部分を丁寧にくっつけるでも釘を打つでもない。

自分の生きてきた土ではなく
新しく気に入った湖の近くに苗を植えて
その場所が良かったのか、人より一回りも
ふた回りも小さいかもしれないが、陽の当たるところまでやっときたのだ。

書こうと思った。どうでも良いところまで来たかった。


でも大事なものにはどうでも良くなりたくないな、、。

いつか彼女との記憶も、愛おしい愛犬との生活も
傷心することが出来事が来て、新しく生きていくために
書き連ねるのだろうか。

悲しい、嫌だな。それはしたくないな。
そんなわがままも言ってみる。

わがままな自分って「自分」がある実感がして
嫌いじゃない。自分がわがまま言う瞬間。
このこともわがままとは事柄は違う気がするけれど何かをどうでもいいラインを超えないために保険をかけてみる。わがままとして放つ。

生理前とかは特に。
恋人に迷惑かけている自信は大いにあり、
申し訳ないのはわかっているんだけれど、それでもいつも優しく
「うん、イライラしちゃうだよね、こっちおいで」
と包み込んでくれるあの感覚。

優しい陽だまりの毛布で同じ年の愛おしい女の子が包んでくれるのは、
人生の何物にも変えることのできない贅沢だ。私がそれを独り占めして、包まれるのは、すべて私のわがままだ。私のものだ。

「ごめんね、情緒不安定で」
と謝ると
「なにもそんな気しなかったよ。〇〇ちゃんいつもわがまま言わないし、もっと言っていいんだよ」
とあやす私の恋人。
そしてなんだか嬉しそうな恋人。
いつも素直で自我があってそれを恋人はわがままだといたけれど、それが魅力である恋人は、それを私が少しある時は自分を我慢させて包み込んでやることができる大人だ。
全部が魅力的で私より優れていて困ってしまう。

私が彼女にできることはなんだろう。ずっと考えてずっとそばにいたいものだ。

なんの話でしたっけ。
ほらまたどうでもよくなっている。
ならなかったり、なったり、横になってみたり、書きたくなったり。
そんなこんなも全部私で、瞬間の連続も全部私だけが連なっている現象だ。

こんな事柄を書くことで私は私を認識する。私が、生きているのだ。
生きていると言う言葉はあまりしっくりこず、存在しているのだの方が近い。

ニュアンスは同じでも、こう書く時のこだわりや
こだわりというよりも感覚が、結構大事なわがままだ。

どれも自分だと認めることが出来始めたのも、今の彼女のおかげだなと。
日常で仮面を付け替えていたことも
全部適応障害と鬱になった時に剥がれてしまったあの頃も

「私はねあの頃、辛そうな〇〇ちゃんをみて、私も辛いなとかじゃなくて、一緒にいる時間が増える!嬉しい!って不謹慎かもしれないけどそうおもったの」

と素直で可愛い恋人の素直な綺麗なラインを描くボールもしっかりとキャッチして私は返せたのだろうか。

彼女はいつも素直だから、私に気を使わせないようにもしていないんだと思う。
深読みを勝手にして愛情深くなりそれを伝えるけれど、嬉しそうにしてそうゆうことにするんだという彼女。

そんなことがすべて嘘だとしても、構わない。私は期待もしないが、疑いもしない。そうさせてくれる。裏切られても構わない。はあ、彼女とずっと一緒にいられますように。

***

私が病むときや考え事するときは
とことんやてやってやっつけたり手を取り合ったりする派の人間だから、

それが大きくいえば人生、
小さく区切れば人との関わり方だったりして、

だから「お前の人生なんでいつも何かしらあるんだよ」
と言われるのは、向き合ってしまうと
自分が納得するまで、追い詰めるからなのかもしれない。

追い詰めることは、悪でしょうか。
その問いかけの答えは知っています。

相手が「嫌だ」「辛い」「悪だ」と感じればそれは「悪」なダークな行為です。

謝る、または謝ることも許されなくなる前にそこから消えましょう。

そんな出来事を学ぶことも出会いを求めていた過去にありました。
恋愛に対しては、嫌なくらい自身のある嫌な女の私は、多少は減った気がします。

相手に人からは見えない心の距離感で詰め寄りすぎたり、
自分の感覚でわかってしまう「ふり」なのだろうか、私はわかるからこそ腹を立てられる、なめてかかることのできない何か真相をついてしまう、つついてしまう、この嫌な女(私)の思想は、
「それ、ハラスメントだよ」しかも、それに気がついていない、たちの悪い奴。

そう言われて何だか、本当にそうだなと思った。そんなことが社会という名ばかりの大きさに限りがあり実はそこまで深くも広くもない池に入る前に起こっていて良かったかもしれない。

まあ、何でもハラスメントとかたずけられる時代ではありますが。
そんな「現代人は」という前に実際に私が受けたハラスメントの話を少し聞いてみてはくれませんか。

私は「看護師あるある」だとか、そう言ったタグいの話が苦手である。
夢を持って入った業界。一生懸命目の前の「人」と向き合った、それができる立場に立つ仕事だからである。

何でもどの仕事でも多少嫌なことや我慢しなければならないことはある。
何かを得るには、続けるには何か見て見ぬふりをしたり演技が上手くならなくては
自分を麻痺させなくてはいけないこともわかっている。

けれどもう、できなかった。これからもできないのかもしれない。
だから私は可能性や選択肢を増やすことにした。その話はまた後で。

初めのうちは、看護学校での勉強や、実習を経て自由になることができて、
試験後は時間もできたので仲間と旅行に行ったり酒を飲み明かしたり、
開放感にしっかり包まれたあとであったし、

働いてやっと人を助かる現場に立てる、
そして自分で資格を生かしてお金を稼ぐことができると高揚していた。

現場に入り初めは大変だけれど楽しかった。
先輩は優しいし、私のプリセプターという自分の専属の先輩はムードメーカーで、一緒に勉強してくれて外科病棟にも勤めた経験があったから何をするにもスムーズで声も大きくてかっこよかった。憧れだった。

採血や点滴の針の刺し方。
色んな状態の患者さんがくる救急の仕事では、救急車ってどんな感じで入ってくるのだろう、先生はどこの電話で呼べばいいんだろう、全部が初めてだったけれどなんだかんだである程度のことはできるようになっていた。

できることが増えると、なんだか悩みも増えるものである。それで持っていらぬ敵も増えた。
元々怪物は存在していたそうだが、その存在が顕になり、女特有の噂から自分も警戒してしまい、その怯えた目をとらえた怪物の「エモノ」とまんまとなっていたのだ。今なら安易に気づくことのできる事象である。

***

なんだか、私は母が看護師であるし家族が順番に入退院を繰り返していた日常に病院があったことからリアリティーショックだなんて言葉を理解し、わかっている大丈夫なんて思っていた。

⚠︎ここから先書く話は、看護師を夢を持ってなる若者や、社会に入る人へ恐怖を与えるかもしれない。リアルな話であるから、お化けなんかよりもっと怖い。よ。

仕事をするようになってからというものの私の好きなファッションやアイドルのコンテンツに比べてSNSは勝手に「欲しい情報なんでしょ」といらぬ看護師あるあるを流す。

あたかも女特有の世界で、嫌なことに共感する、
強い女やあまり社会からいいイメージのない看護師というレッテルは自分で作り出した幻想なのかもしれないが、自分でそんな風に認識していた。辱めをこれ以上広めないで欲しかった。看護師同士で慰め合う世界の中に「おつぼね」と呼ばれる悪魔のキャラクターは実際に潜んでいるし、本当に奴らは忖度なしに、化け物であるのである。

こんなこと感じてしまう私はやはり誰かから言われたみたいに
この仕事向いていないのだと思う。ヘッドスパをする人になりたい。訪問看護師になりたい、なる、何でもやってみる何にもならないかもしれないけれど、何だか、手で探ってみたい。

あるある話を見たくもないのに見ていた。
「病棟」での出来事が中心とされる内容で、救急外来で働く私の脳みそをさらに詮索させるものであった。

詮索というのを具体的にいうと、
病棟の看護師がなんの情報が必要か、何に困っているのか助けられるのかを
自分の仕事に生かすことができると思い、熱心にみていた。
みて「へー」なんて真に受けるアホになっていた視野の狭くなった新社会人の私は、仕事は円滑に回せるように立ち回れるように勉強した。

何をしたって、どれだけ勉強したって、
「入院患者を増やす(仕事を増やす)嫌な人」という立場は微塵も変わらなかった。

悪者が目立つななんて思われていたのだろうか。被害妄想もいまだに膨らむ。針でパンと破裂させ、恋人の丸まって眠る様に癒される。赤ん坊すぎる。


私を悪く、思わない人ももちろんいてくれたけれど、
新人いじめを暇ではない仕事の中で暇つぶしをする「おつぼね」という化け物のような存在は私のことを新しく入ってきたおもちゃのように何を言ってもいいだろうと初めはばれぬように地道にチクチクとありもしないことや、根拠もないことで
いじめ、時にはみんなの前で
「そんな情報いらない、馬鹿じゃないの」と吊るし上げるのであった。

それに逆らうことのできない周りの職員は目をそらし、
何なら「おつぼね」の機嫌を損なうなと私を睨む。

そんな社会が出来上がっている
あくまで私のいた病院はそうだった。

それに気がつくことができたのも、遅かったのかもしれない。
というか、気付いた時からが本格的なハラスメントだと気がついてまった事柄かもしれない。

あの池は腐っていたことに気がつかず、住み慣れて臭くなるが、生きていくことはできる生物になるか、

池から脱出し、臭い身体を洗浄し、
また腐っているかわからないが希望を持ち、また水質の違う池に飛び込み試してみるか、私は今後者のそんなところである。

洗浄する行為をすることに私は悔いはない。むしろあそこで気がついてしまって、生きていくことはできなかった。臭い人間になることは嫌だ。私は匂いフェチだ。いい匂いといつも言われる(は?????)

とにかく、二年目の春から新しく2つ上の
私の病院なんかより、高度な医療を学んできた美人な先輩がなぜか入職してきた。
すぐに嫌気がさし、私とよく飲みに行ってくれた、今でもいくことがあるが、
「この病院変だ。エージェントに騙された」と愚痴をこぼし、
耐えられなくなった一人は一年足らずで、というよりも入職して三ヶ月で新しい病院の面接を受け初めていたそうだ。

洗脳さえrかけていた私は、何をされても自分が無知だからと思い、
何なら病院を救おうと、部署を救いたいと思っていた痛いげな私は、
勉強に励んだ。勉強会を開いた。看護研究の発表では褒められたが、準備に半年を要した内容は教育担当者から
「素晴らしいと思いました。」
の一言で終わり、挙げ句の果てには、発表者に対して質問者がいないと
「あなたたちの発表会ですよ」と自我を忘れ、大の大人がキレ散らかすために、
私が質問をし続けると
「態度が舐めている」など陰口を叩かれた。

そんなことが繰り返しあって、さすがに呆れたというか、
「ああ、洗脳がやっと解けた。」と安堵した自分までいた。

病院を変えようとやっと思った。

***

その後、自分とエージェント、職場の転職してきた尊敬する先輩からのアドバイス、病院の規模感で、まだ、仕事で独り立ちするのには早い、もっとちゃんとした現場で自分が使い物になるのか試したいと思い、
大きな病院へ面接へ。

普通救急は3年目以上しか取らないが、大学の名前もあったことか
即座に合格し、そこの持っているマンションへ初期費用半額で引越しもした。

引越しは休職して、職場から5分のところに住んでいた家にいると吐き気が止まらないから体力がないながらも必死の思いでしたのだが、

あの体重が激減し、眠剤をアホみたいに飲まないと寝付けず、寝付いたと思えば悪夢を見たり、アカシジアが起きて泣いていた私が、家具を揃えたり、引越し業者を頼んだり、内見に行ったりしていたことは今の私からして褒め称えるの前にありえない出来事であるし、あの時決断してくれて感謝を伝え、敬意を評したい。

***

給食の前に、人を救うだけのために出勤していた表情を失い始めていた私は、おつぼねからの大したことない、というより何の意味もない一言二言で
私の目を充血させ次に待つ救急患者への対応を鈍らせる。
鈍る自分も全然一人前には程遠くて、自分の無力さに落胆した。さらに仕事に自信をなくした。自分が獅子をなくす必要はないとわかっていたけど止められないのが現実であった。

職場からの帰路は5分たらずであるのに対して平衡感覚をなくし、休み休みではないと変えることができなくなっていた。常に頭痛と眼痛が遅い、ロキソニンを南条かわからないラムネのように噛み砕いて飲んでいた。あのひんやりとする感覚がもう心の支えだった。

こんな看護師に対応されるのは嫌だと自分でも思うが、おばあちゃんやおじいちゃんの前だと笑顔でいることのできた私はよく可愛がられた。そんな小さな救いで人を救う側の人間が病院で、生かされていた。

***

ある時に皮膚の疾患があり、それでも家で自分の面倒は見れるからと、頑張っていた男性がコロナに罹患し、皮膚の滲出液が出てきてしまい、服がベッタリ皮膚とくっついてしまっていた。

私は1人でお湯を準備して、かけながら真冬の2月皮膚についた服を切る。脱がせる。
その人は「ごめんね、ごめんね」
と私につぶやく。

「お辛かったですね、今皮膚先生から言われた通り綺麗にして保護しますからね。寒くないですか」

と声をかけ続けた。その作業は全身に及び、本人もさぞかし辛かっただろう。
尿と便も絡まってしまっていた。

そんなのあるあるの話で、皮膚の状態もみながら大きさをはかり、メモをとり、スケールもメモし記録に書き込み、医師へも指示を仰いだ。

医師からは一言
「それ俺の専門じゃないから。今日明日祝日だっけ。上の看護師に任せといて」

怒られるのは私であった。そんなことも知らないのでしょう。
皮膚科にコンサルテーションが
かかっているか確認する。

「先生。コンサルの指示って」
ツーツーと温度の低い音がする。電話はすぐに切られる。慣れたものだ。
医師と仕事量の違いや責任など大いに違うのも、お金で格差が歴然で、何を言われても逆らうことができない奴隷のような存在であることもわかっている。

まずそんなことをするのがくずで出来損ないな大人だということは忘れてはならないが。私もそこまでガキではないので、やることが終わると急変対応がないか病棟の状況もチェックする。

「病棟はガラ空き。先生は学会があるのね、、、ふーん平和」頭の中はふーんと
一言しか浮かばなかった。

その人は入院する時にケアをできるように大きい服を着せて、包帯やおむつで滲出液がまた漏れないように保護した。担当の医師がきて、「癌末期なのわかってるよね、また落ち着いたら帰るよ」と一言。

担当の医師が外科で外科病棟に入院になった。外科はとにかく忙しい。そんなケアをしている暇などはないのもわかっていた。

引き継ぎで説明する。
「時間はどれくらいかかったの」

「服もついていて2時間はかかりました」

「はあ、あんたたちはいいよね、回すだけだもんね、はい。もういいです」

と医師に言えない文句は私たち新人へぶつけられる。患者にはそんな表情したくない。

「お大事にしてください。病棟の看護師には伝えましたから私はここまでになります」とナースコールを近くに置く。

「あなたじゃダメなの?よくしてくれてありがとう。忘れません。頑張るんだよ」と手を握られる。

そんな日々でよく戻る時に涙を食いしばるところを通りすがる同業者にみられて変な目で見られた。そりゃそうだけれどなんだか、嬉しい涙が辛い涙に変わる悔しい涙に変わる自分も悔しかった。人の思いを汚さないで欲しかった。

文句をいってもしょうがなかった。
忙しい現場だから。でも社会人として、「バカ」だとか「は?」とか「はあ、もういいです」とか電話もワンギリ、あからさまに態度がわるいのはザラでああ、とレベルの低さに落胆し、自分はそうなるまいと奮い立たせる。

知識があれば余裕が出ると思い、外部の研修にも参加した。真面目なところにボロが出た。
わたしの何もかもは脆くなっていたみたいだった。

***


カンファレンスをすれば、できないことを認めることができない先輩にマスクをびしょびしょにして泣きながら殺意を持った目で迫られて、胸ぐらを掴まれたり、

それを鎮めるために、私が悪者にされたり、

もう息をしていない患者の元へ一人で入社して一年目の私が行き、EMコールを頼んだ末に、責められて、第一発見者?第3くらいまでいたおつぼねたちは私に責任を押し付けそれを師長も咎めず、「勉強になったね」で済まされて、警察への事情聴取は3ヶ月ほど続いて間違えれば免許剥奪されそうになったり、

マニュアル改正を入社2年目で、「パソコン得意じゃん。向上心もあるし」
と一言で片付けられ、頼まれたり、

やばい医師からの対応は私に回され、「お前使えねえな」と暴言を吐かれても機嫌をとって円滑に回すのもお前の仕事だと言われたり、

使用した器具をあからさまに嫌がらせで床をビチョビチョにされたり
メスを床に投げたりされたこともあった。

事務の受付が遅いとどうにもできないことでイライラして
「お前どうにかしてこい。給料下げるぞ」
とどやされることもあった。

訴えてやりたい。数が多すぎる。
問題に巻き込まれる前にやめてよかった。私があそこで倒れても、助かりっこない。怖すぎる。

そんなところからは早く逃げた方がいい。アルバイトした方がいい。
そんなことで、いいのだ。

こんなことに歯向かおうとした私はとことんやられてしまった。無知で弱く、権力もないからだ。
そんなことの憎しみや悔しさは今でもフラッシュバックしたり夢をみる。

傷病手当をもらうことが正当化されていく。多分退職金はもらえない。もうどうでもいい。早く履歴からも消してしまいたい。

こうならないためにはどうしたらいいか。先手をどう打つべきだったのか。
自分が攻撃されないように、攻撃する、威厳を保つ、断る
それもいいだろう。

でも本来であれば、それは上の人がするのもだ。
私という弱い立場がするのは相談報告。
しても変わらない場合、何となく空気でわかるはずだ。

そこから逃げろ。
とにかく逃げるしかないのだ。

自分の可能性を潰さないために。

今日本はだいぶ、何もしなくても行きては行ける国になった。
何なら働いている人はそのお金でしたいことがあったり、頑張りたいと思う人は働く。そうではない人は働かなくても多少はですけど行きては行ける国になっている。

だから多少、休憩して、息をして、自分を責めないで、

こうやって、考えを変えるのには時間がかかる。
イかれた大人があまりに多すぎるからだ。たくさん私は見過ぎてしまった。

大人は時間も余裕もないからそうなるのだろうか。
私のいた病院は甘えだ。もっと忙しいところなんてざらにある。甘え、怠惰で、愚かだっただけだ。そんなやつら誰に何を言われても、今更脳みそは固まっているし、そのまま死んでいけばいいのだ。

私みたいにこんなこと吐いていいる時間も言葉もそいつら許されないみたいだ。なんだかかわいそうにもなる。
何でも詰まると呼吸は苦しくなる。

詰まっているものを溶かしたり栓を抜いてやる方法はいくつかあるけれど、
苦しいとできる方法は限られてくる。

だから、苦しくなりすぎる前に対策しよう

離れよう。

お年寄りから微笑まれることや
「無理せず頑張りなさいよ」
という声は、まだやれると胸を熱くさせるがあのパワーは何なんだろう。

でも冷静に考えると何に対して熱くなるのだろう。
何をまだやえっる、踏ん張ると思うけれど、何に対してそう思うのだろうか。

「オットー」という作品を見た。

あらすじは、無愛想なおじいさんが妻の死を追うために定年退職後に自殺を計画するのだが、いつもいいところでご近所さんに助けを求められて、死ねない。そんな彼は生きることの素晴らしさに気がつく、自分のいる意味を見出していく作品だった。

彼もまた、生きる意味は、人生に色をつけたのは、妻という愛する人であった。

けれど、自分で色をつけることをし始めた。あんなにお年寄りなのに。無愛想なのに。彼は、周りに救われたのもあるけれど、ポテンシャルがあったのだ。

まあそんな話を見ていて、人生こんなことやあんなこともあるし、おいていく衰えていくものばかりだけれど、得るものもあるのかなと思うような作品であった。

得るものがもし人生を生きていればあるとして、
その「得るもの」を集めてポテンシャルとするときに出来るだけ自分が好きで、自信を持って、輝いている、磨き上げたものを並べたい。実行したい。そうありたいと思った。


映画の中では中でオットーは妻のために立ち上がったり、怒り狂うシーンがあった。社会を一人の無愛想な男は変えようと立ち上がった。それも自分はやったことがあった。失うものが多すぎる。
しかし、何か立ち向かうのにはまた適正年齢などというものは存在しないことがわかった。

誰にでも失うものはいつでも存在するからだ。

私は天秤にかけることも最近その映画の影響もあり習得した。

かける対象はいつも私の大事なもの。大事なものができると人間は強い。

その人のためなら何でも喪おう。けれどその人に迷惑をかける失い方はしたくないけれど、その人がそれで助かるのであればいくらでも立ち向かおう。
失わない方を選ぶことも必要な時もある。
だって、失わなければ楽しいことがたくさんできる時もあるからだ。

私は、「稼ぎ」を失って

「時間」「自分を大切にする」「大人や自分の仕事のあり方」「大切なもの」
を得た。

職場で我慢して、働く人たちに悪い気がするって?

していたけれど、私と考え方も価値観も年齢も育ちも大事にするものもまったく違う人間だ。正当化というりこうやってかくと逃げるのが当たり前のような気がしてくる。そしてそこで働いているみんなは、私の代わりに対応して苦しむこともあるだろう。私が身代わりになっていたことから、逃げれずにいるのだろう。
もうそんなことも知らない。知ったこっちゃない。

そうでない「いい人」もいたから、その人たちの記憶は大事に抱きしめて残しておきたいけれどそれも案内辛い記憶が多いいと
「そういう記憶」も辛くなることもわかった。

「人生」もったいないから立ち去ろう。
人は優しさを蜜にして、「やばいやつ」へと成長していく悪魔には絶対ならないし、逃げるし、恋人がそんな悪魔にさらされようものなら、どんな手を尽くしても徹底的に排除してやる。

けれどそんなの面倒だから、早く、恋人と個人事業主になりたいな。
いろんな経験を積んで、大事な人とその家族と守るものだけ抱き締めたいな。

余裕ができたら、仕事以外でも、町の困っている人に、赤ちゃん子供、お年寄り、犬猫優しくしたいな。優しく強くありたいな。


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