都市

【住宅と建築】05_1990年代 バブル期と「都市」を読み込んだ建築家

1986年から1991年までの好景気は一般的にバブル期と呼ばれているが、住宅産業においてもバブル期は大きく影響している。

バブル期

「土地は絶対に下がらない」

上記のバブル期は主に不動産を中心とした資産価格の高騰によって引き起こされ、都心では5〜15億ほどの超弩級な高級マンションまで販売された。

さすがにこの金額のマンションを購入できる人は少なく、ファミリー層は郊外へと流れていく。都内で高額物件を専門に扱うマンションデベロッパーが登場する反面、郊外で開発を行う住宅公団の供給する物件も同時に人気となる。

バブル期は高額な都心型マンションと郊外型のファミリーマンションという違いが誕生する時代でもあった。

1991年にバブル期が崩壊すると、1973年から続いた好景気は遂に終わりを迎え、多くの住宅企業も倒産したのだった。

阪神淡路大震災

バブル期を終え、都心でのマンションの購入価格が下がってくると、賃貸で暮らしていた「少しでも都心で暮らしたい」と考えていた一定層が都心型のマンションを購入するようになる。

こうして、不動産業はすぐに回復の兆しを見せるのだった。

1995年に起きた阪神淡路大震災では、多くの住宅の倒壊が問題視された。

新耐震基準以前の住宅のほとんどが倒壊した反面、ハウスメーカーが供給してきた住宅の多くは生き残った。

大量供給の時代に生まれ、販売戦略を勝ち抜き、安全性等の質の向上という努力を怠らなかったが故に、バブル崩壊の時代においてもハウスメーカーはもちろん戸数は減少したものの、安定して住宅を供給していったのだった。

建築家の集合住宅「都市の環境を読み解く」

バブル期も最中であったが、家族像の崩壊による「家族構成の見直しや平面構成の問題点」を建築家は議論していった。

90年代に入ると集合住宅の「新しいプロトタイプ」を提示しようという「計画学」の観点からも様々な集合住宅が建設され、トライアンドエラー的なことを繰り返した。

「実験を止めるのは簡単だが、それでは未来をつけれなくなってしまう」

建築家は時代の流れに左右されつつも、「住まい方」について研究していたのだ。

90年代以前においても、長い時間をかけて街の風景を形成している槇文彦氏の【ヒルサイドテラス】や、道路に対して45度傾けた形態操作によって、街に対する表情を豊かにした内井昭蔵氏の【桜台コートビレッジ】と一級建築士試験の計画で必ず学習する重要な建築がある。

90年代には、福岡にある【ネクサスワールド】や岐阜にある【ハイタウン北方】など、建築家が集まって複数の集合住宅を造るという企画型の開発も行われてきた。

実験的ではあったが、社会に対して建築家は何ができるのかを実践を通じて問い続けた時代でもあった。

だからこそバブルが崩壊した後には、アトリエ・ワンやみかんぐみなどの「都市のコンテクストを読み込んで様々な文脈や関係性から建築を計画する建築家」が生まれていったのだ。

つまりは一つの建物だけで完結するのではなくて、建築というのは都市を味方につけて、関係性を作ることに可能性を見出していった。

だからこそ既存の建物を利用した「リノベーション」という概念も生まれてきたと言える。

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最後に集合住宅のオススメ本を紹介します。


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