「一人の時間が欲しい」と口にすることは罪なのか?

「一人の時間が欲しい。」

この言葉を発したとき、妻や交際相手には次のように解釈されることがある。

「私と話したくないってこと?」

確かにその通りなのだ。しかし、相手を拒否するつもりは毛頭なく(ある場合もあるが、その意図を相手に伝えたいわけではない)、単に優先順位の話なのだ。

「私の優先順位が低いってこと?」

確かにその通りなのだ。しかし、人生を通算してみれば君の優先順位は高い。だからといって、四六時中、君のことを気にかけているわけにもいかない。睡眠時間もあれば、風呂に入る時間、トイレの時間もあるのだ。なぜ、一人で考え事をする時間やぼーっと散歩をする時間をとるだけで、相手を蔑ろにしているわけではないという説明がこんなのも必要なのだろうか。

ここで「一人の時間」に含まれるニュアンスについて考察したい。あくまで僕の個人的な意見なのだが「一人の時間」という言葉には、どうにも協調性がなく、独りよがりで自分勝手な印象がつきまとっているような気がする。きっとこれを読んでいるあなたも同意するのではないだろうか。

となれば、言葉を変える必要がある。結婚式で新郎を紹介する際は、「コミュ障の陰キャラ」は「思慮深く冷静」と言い換えられる。同じようにできないものだろうか。

まずはじめに思い浮かんだのは「プライベート・タイム」という言葉だが、正直これは名案とは言えない。Twitterのタイムラインを眺めたり、モンスターハンターに勤しんだり、Xvideosを鑑賞したりするような印象を与えてしまうからだ。もっと高邁な目標のために、時間を確保する必要があるという印象の言葉が望ましい

といっても、散歩をしたり、気ままにnoteを書いたりするのは、高邁な目標に近づいているとは言い難い。そもそも高邁な目標とは、相手にとって興味のないことであることの方が多い。(「私と仕事どっちが大事なの?」という質問は、「相手のキャリアやスキルアップよりも、私のわがままの方が大事」という意図の裏返しだ。)

ではダメだ。もっと「相手の時間を奪うこと」に罪悪感を覚えさせるような言葉が必要だろう。「一人になりたい」という欲求は、何よりも尊重されるべき大切な欲求であり、それを侵害することは何人たりともできないというような価値観を植え付ける言葉でなければならない。

「権利」という言葉が、有効かもしれない。ただこれだと、家庭や恋人間に、法律で規定されたビジネスライクな関係性であるという印象が、新たに生じてしまう。関係性の温かさを損なうことは、したくない。

…と、ここまで考えていて気づく。なぜ、自分の行動に説明責任が生じるのか? 『三体』の面壁者ではないけれど、「基本的人権に基づき、説明の必要はない」と言い切ることはできないものだろうか?

そもそも問題があるとすれば、他人の行動をコントロールできると考えること。あるいは「他人はこのように行動して然るべきだ」と考えることだ。こういう学級委員タイプの人は多いように感じる。例えば、次のようなことがあった。

僕が暮らしているマンションのゴミ捨て場(ゴミ捨てボックス?)には蓋がついているが、ある日「蓋は静かに閉めること!」と張り紙が貼られていた。おそらく住人の一人によって貼られたものだ。「学級委員め…」と、僕はむかついた。蓋の騒音なんて、僕は気にしたこともなかった。別に僕は、騒々しく蓋を閉められても困っていなかった。つまり、これはあくまで発信者の個人的な願望だ。であれば「閉めること!」ではなく「閉めてください。」と書くべきだろう。

ここには「私の思い通りに行動して当然」という意図が含まれていると感じる。別に騒音に敏感であることは悪いとは思わない。お願いされれば応じる。ただ、自分が常識的であり、他人はそれに従うべきだという価値観に遭遇すれば僕は拒否する

そうだ。学級委員なのだ。他人の行動を矯正しようとする人をみつければ「学級委員」と言ってバカにしよう。実際の学級委員の社会的地位を貶めることになってしまうが、それはもうごめんなさい。あくまで空想的な学級委員なので、実際の学級委員をバカにする意図はない。「オジサン社会の問題」みたいな本もいっぱいあるし、いいだろう。オジサンがよくて学級委員がダメという理由はない。

というわけで、「私と話したくないってこと?」と聞かれたら「学級委員め…」と答えようかと思った。しかし、少しインパクトが足りない。「学級委員ハラスメントだ」と言えば、まだマシだろうか。腹の底から納得できる言葉ではないが、暫定的に使ってみようかと思う。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!