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シーソーシークワサー


 伊佐敷凡人という名に生まれて来たことは、俺の汚点だった。


「いさしき ぼんど」という響きで、昔から、何度弄られたことか。まだジェームスならいい。〇〇七にも登場できる可能性があった。弄られるのは、ボンドだけではなく、「いさしき」もだった。中学の頃よく見たクイズ番組で、その有名人が出ていたから、友人たちはこぞって野次った。「いさしきくんに、拍手」と。


 この名を付けた母に、いつかその理由を聴いてみたら、いたって単純だった。
「え? だって、スパイ映画が流行ってたのよ」
「でも、いさしきの下に、『ボンド』はないよ。漢字も、『凡人』って書くじゃん」
「ね、そこがいいのよ。あなたらしくて。この島に住んでるんだから。『しまんちゅ』で海人みたいな感じが好きなの」
 母というものは、どこでもそうであるのか、それとも、この島のゆるさがもたらした弊害なのかは、まだ分からない。


 浜からの風が、いやに生ぬるく、そして、ここちよい。朝、5時には店を閉め、シークワサーサワーを飲みながら、浜に向かって歩くのが、俺のルーティンだった。路地には泡盛のビンが散乱し、その少しが割れ、残りの液体は、路面に染み込んでいる。そんな風景を見ながら、あえてそれに気付かぬふりをして、俺は今日も歩き続けた。


 まったく、海辺の近くにラブホテルなんて、わかりやすったらありゃしない。点滅しているランプはLEDだろうが、その一つが消え、「ラ・ホテル」なんて、フランス語の洒落た響きに見えている。今日も満室の表示は消えていない。


 その先に見えてくるのは、猫のいる公園だった。もう仄明るくなってきた海岸を拝むように、猫たちは、集い、毛づくろいをし、鳴き、発情する。ここも、「ラ・ホテル」なのだ。


 ラ、ラ、ラ、ラ・ホテル。俺は、決して、そこに入ることは無かった。もちろん、店にくる客には、毎日「可愛いね」・「綺麗だね」を連発する。けれども、頑固として「うつくしい」という言葉を使ったことは無い。それは、俺が「ボンド」という名を捨て、源氏名を「春未」としたときからのこだわりだった。


 「はるみ」、この一瞬にして女性的な響きが、女たちには、受けた。「春美くんって、かぁわぁいいんだからぁ」。そんな風に、年上からも、年下からもご指名が入りだす。その瞬間、失っていくものがあった。友情という幻想だ。

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