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「怒り」の感情も、大切な感情です

今日は「怒り」をテーマに書いてみたいと思います。

喜怒哀楽 の中でも、「怒り」の感情表現って、なかなか難しいものだなぁ、と思うのです。

それ以外の「喜・哀・楽」に関する感情は、表に出したところで、相手にもポジティブに受け取ってもらえたり、また、共感や関心に繋がることもあると思うのですが。

一方の「怒り」という感情に対しては、それをモロに出すことは、どうしてもはばかられます。


こんな事で怒ってる自分は、器が小さい人間だ、自制が効かない人間だ、と思われると嫌だなぁ、とか。
怒りのエネルギーで、相手を萎縮させてしまったり、気を遣わせてしまうのは、申し訳ないなぁ、とか。
色々と、ネガティブな要素がまとわりついてしまいます。

また、実際怒りを表に出したところで、そのあと、結局ひどく消耗してしまったり、自己嫌悪に陥ってしまって、さらに自分を責めたり…と。
悪循環に陥ってしまう、、という悲しいループにはまってしまうこともあります。


そうすると、どうするか?
その感情を、ぐっと抑えてみたり、違うポジティブな出来事で上塗りしてやり過ごしたり、無きものにしようと、蓋をしてしまったりしませんか?


一見、とても大人な対応のようだし、どれも正しいように思います。

だけど、最近思うのです。
それは、あまり根本の解決になっていないよなぁ、と。


怒りの感情だって、大切な自分の感情の一つなはずです。
また、自分の中で反応する何かが、そこにはあるから、たまたま「怒り」センサーが反応ちゃったのだと思うんですね。

なので。
ちゃんと自分の中にある、何が反応したのか?を、じっくり観察してみたら良いと思うのです。

それは、自分が大事にしている価値観からくるものかもしれないし。
自分の中に存在する、複数のキャラクターの一人が「許せん!」と憤慨しているのかもしれません。


だから、無理やり蓋をするようなことはせずに、じっくりとその感情を味わってみて、反応しているものを探ってみると、自分の中から、見えてくるものがあるなぁ、って。


あぁ、自分はこういう価値観を大事にしているんだなぁ、とか。
あぁ、自分の中に、こういうことを大切に考えているキャラがいるんだなあ、とか。
だから、そのキャラが傷ついて怒ったんだろうなぁ。
といった具合に。


そして、
「わかる、わかるよー。」
「そりゃ、イラッとするよねー。」
と、もう少し別の位置から、その感情やキャラと向き合って、対話をしていくイメージを持つと。


不思議と、怒りの感情に乗っ取られていた状態から、徐々に、怒りの感情を切り離して見つめられたり、扱えるようになるなぁ、と。


蓋をして、なかったものにしようとしても、結局は無くならないで、存在したままだと思うのです。
だけども、そうやって、ネガティブな感情にも、逃げずに寄り添い、味わい、観察してみることで、より根本から解決できたり、次に同じようなことが起きても、対処がしやすくなると思うんですよね。


私は、一つ屋根の下で母と暮らしていますが、そのように対応することで、以前に比べて、喧嘩の頻度が格段に減りましたよ笑

どうぞ、自分の「怒り」の感情にも、優しく、丁寧に寄り添ってあげてくださいね。

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