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「人生の正午」は自分と向き合う最高の時期

心理学者ユングが提唱した定義に「人生の正午」というものがあります。
人の一生を、太陽の運行になぞらえたもので、
生まれてから青年期、成人期と、日が昇っていく午前中の時期を経て、
ちょうど40歳前後に差し掛かるころに太陽が頂点に達し。
その後は、日没にかけて、徐々に太陽が沈んでいく「中年期」「老人期」を送ってゆくのだと。


様々な経験などを通してインプットをし、自分の可能性や器を拡張していく午前中の時期と。
それまで培ってきたものを統合させ、熟成させたり、次の世代へバトンを受け渡していく午後の時期とがあり。

ちょうど、その中間地点にあたる頂点の「人生の正午」の時期に、人は、折り合いをつけられなくて、立ち止まってしまったり、悩んでしまったり。
そのような葛藤にさいなまれることもあるのだと。
それを「中年の危機」と呼んだのが、別の心理学者レビンソンです。


なぜ、こんなことを書いているのかと言うと。
まさに今、私が、その「人生の正午」に差し当たっているからなのです。


先日、思わずハッとさせられたことがありました。


もともと好奇心旺盛な質で、人生の午前中の時期には、それはそれは色々なことに、手当たり次第、チャレンジしたり、自己投資をしてきました。

それが今に繋がっているものもあれば、
合わないな…と、リリースしてしまったものも、様々です。

それでも、それらが無駄だという感覚は一切ないです。
なのに、です。


今、また新しく挑戦したい、学びたいと思う事柄があり、それについて思いを馳せている時に、気づいたらこんな思考になっていました。

今からそれを学んだとして、
果たして、世の中のニーズがどれだけあるかな?
今後の、収益の種になりそうかな?


本当に無意識に、そんな視点でついつい考えてしまっている自分がいたのです。

そして、妹とランチをしていた時に、その話を振ってみたら、

「いいじゃん!好きならやっちゃえばいいじゃん!」
そう、軽やかに妹に言われて、ハッとしたのです。

いつの間にか、
守りに入ろうとしている自分。
安パイにいこうとしている自分。
がいたのです。


そうだ。
そうだった。
何を勝手に折り合いつけようとしてたんだ。
収めようとする必要なんてどこにあるんだ。


新しい世界を知ることの興奮と喜び。
純粋に刺激に触れることの楽しさ。

それって、一生持ってていいものだよね。
少なくとも自分はそういう生き方をしたいはずだよね。


無鉄砲ともまた違う。
でも、生きる上での心地よさ、魂が弾むようなことは、
一生手放さなくて良いはず。


この先の世の中のニーズに合うか?とか考えたところで、
未来はどうなるかなんて、正確には誰にもわからない。
それはコロナが示してくれたことからも思い知ったことだ。

だったら、やっぱり。
好きなことに触れて。
興味関心ごとに身を委ねてみるのも良いではないの。

それが、そう。
わたしらしい生き方だわ、と。


人生の正午のこの時期に、それに気付けて良かったな、って思ったアラフォーの夏でした。


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