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コーチングを学ぶ先に何があるのだろう?

数時間前、この週末2日間に渡り開催された、Art of Coaching(AOC)主催のコーチングセミナー第2ステージ(Umi)の第1部が終了しました。

数ヶ月をかけて実施されるこのセミナーは、
毎回ものすごいエネルギーに満ち溢れており、
その場で繰り広げられるあらゆる事に、
思考や心が反応し、それを解き明かしたいと思うため、
ものすごい集中力を伴い、
セミナー終了後は、心身カロリーがエンプティ状態となるまでスタミナを使い果たします。
(今回は、この状況下での開催とのことで、形式がオンラインになったことで、より集中力を要すものとなりました。)


今もまだ頭がヘロヘロ状態なので、
後日じっくりと時間をかけて、今回の学びを、少しずつ定着させ、アウトプットしていきたいと思っていますが、
今、これだけは書いておきたいと思ったことをメモしておこうと思います。

それは、
なぜ私がコーチングを学ぼうと思っているか」についてなのです。


本日、講師である木村コーチとある参加者の方とのやり取りの中で、こんな問いが投げかけられました。
「なぜあなたはコーチングを学びたいと思っているのですか?」
参加者の方へ問われたこの質問は、同時に自分自身にも投げかけられた問いとなりました。

彼女の答えを聴きながら、
私の中からも答えが湧き出てきました。
それは、「人間を理解したいから」というものでした。

人間というのは、
私も勿論含みますし、
家族や友人、今まで出会った人や、まだ出会っていない人。
世界中、全ての人のことです。


この世界は、大なり小なり、多くの「なぜ」で溢れています。
そして、そこには「人」が絡んでいること、「人」が起こしていること、
ほとんどのことに「人」が纏わり生じていると思いませんか?


なぜ、私はあの人のことを苦手だと思うのだろう?
なぜ、あの人は私にいつも高圧的な態度で接するのだろう?
なぜ、あれだけ仲が良かったはずなのに浮気をし相手を傷つけるんだろう?というかやっぱり浮気はいけないのだろうか?
なぜ、信頼しあえていたはずの上司と部下が、互いを理解しあえなくなるのだろう?
なぜ、顔が見えず素性が分からないSNSの世界では、他者を罵倒したり、いざこざが起きるのだろう?
なぜ、同じものを見ても、人によって捉え方が異なるのだろう?
なぜ、質素な暮らしの中で幸せを見出せる人がいる一方で、贅沢な暮らしの中で孤独を感じる人がいるのだろう?

などなど…

「人間」のことをもっと探求し、少しずつでも理解することができてゆくと、一つ一つ湧き上がる問いに対して、自分の中から答えを出していけるのではないか、と思っているのです。
そうすることで、その先には自身が誰かにとっての支援者になることができるのではないか、と思っている、と言うか願っています。

誰かに傾聴してもらうこと、
承認してもらうことのパワーと言ったら、
計り知れないものがあります。
だからこそ、私は誰かにとっての、そういう存在になりたいと思っています。

コーチング沼はなかなか深そうです(笑)。
ですが、コーチングについて学ぶほどに、一生かけて探求していく価値が、そこにはありそうだ、と感じています。

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