見出し画像

読者を怒り島に置き去りにする藤原紀香

SNS上で「怒りを通り越して○○」になってしまう人がいる

「怒りを通り越して」悲しくなってしまったり
「怒りを通り越して」呆れてしまったり
「怒りを通り越して」笑えてきたり

そういう文章を目にするたびに
この人達ってほんとに怒りを通り越してる?
と思ってしまう

最初にこう感じたのは何年も前の藤原紀香さんのブログ
仕事相手の人から連絡が来なくてすごく困っていて
最後に「怒りとかじゃなくて悲しい」と締めくくっていた
しかし文章を読んだ私の印象としては明らかに紀香さんは怒りの真っ只中にいて、それはそれは力強くキーボードを叩いている
散々怒ったあと「このままじゃ大人げなく映っちゃいそう」と思い「悲しい」と綴り、改めて自分が被害者側であることを印象付けようとしているんじゃないか
と考えてしまったのだ

私だったらそうするから

私も過去に友人にメールで散々不満をぶちまけたあとに「なんかこれだとガキっぽいな」と思い「なんか、もう、悲しいよ」と付け加えたことがある

悲しくないのに

確かに全く悲しさがないわけじゃない
しかしそれは怒り9に対して悲しさ1とかいうわけでもなく
10の怒りに1の悲しさがちょこんと乗っかっている状態だ
怒りの一部が変化して悲しさが生まれたのではなく怒りと一緒に少しの悲しさが生まれたのだ
完全なる同期入社

それでも最後に悲しさをアピールしてしまうのは大人気ないと思われたくないから

どこまで大きくなっても怒りは怒りのままだから民族間の紛争は無くならないんじゃないだろうか

喜怒哀楽という四字熟語では「怒り」の次に「哀しみ」がきているがそれは怒りを通り越したら哀しくなるということではない

だって「喜び」過ぎても「怒り」が込み上げることはないし
「哀し」過ぎて「楽しく」なってくることもないから

ただ 藤原紀香さんだったら「哀しすぎてもう笑けてきたわ」と言いそうだからややこしい

私が「怒りを通り越して悲しくなるなよ!」と思うのはいつもその怒りに共感しているときだ

藤原紀香さんのブログを読んだときも「それはひどい!最低!許せない!」と怒り「姉さん!俺らいつでもいったりますぜ!」と同じく怒り島に集まった読者たちと怒りの炎でキャンプファイヤーをしていたのだ
それなのに姉さんは一人でヘリに乗り込んで悲しみ島へ行ってしまった

姉さん、もっと俺らのこと信じてください
ブログを読んでいる時点でファンなんですから怒ってる時は怒りっぱなしでいいんです
関係ない奴らの目を気にして取り繕わなくていいんです

だから皆さんももし腹が立つことがあって、それをSNSに書き殴ってしまったときは一人で悲しみ島へ行くのではなく「ちょっと大人げないんだけどうしても許せなくて書いちゃった」と書いて欲しい
そしたら「ひどい!それは許せない!」と一緒に怒ってあげられるんだから

ちなみに藤原紀香さんの他に怒りを通り越して悲しくなってしまった芸能人はいないか検索してみたところ熊切あさ美さんのブログがヒットして驚きを通り越して背中が痒くなった

お買い物が好きなので そのお金で買わせていただい物の話を書かせてください