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毒親と趣味

(画像はいらすとや様より引用) 


毒親には趣味がない

 毒親(毒家族)が居る家での自宅待機や在宅ワークは、地獄そのものです。普段の生活さえストレスがたまるのに、現況下では毒親と過ごす時間や会話する頻度が否応なしに増えてしまうからです。それに加えて自宅待機の質とは、「自宅で楽しめる趣味や娯楽の有無」あるいは「同居する全員が楽しさを共有できる事柄の有無」によって決定づけられます。しかし毒親がそのような趣味や娯楽を有したり、それらを存分に楽しめるような環境を整えているなど到底思えません。なぜならば、毒親は真の意味で夢中になれる趣味や娯楽を持ち合わせていないからです。


毒親は「単なる暇つぶし」を好む

趣味とは、『仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」』(goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%B6%A3%E5%91%B3/)

 これに個人解釈を付け加えると、「それを文化的に愛好し、明日を生きる糧になるような事柄」となります。最近は、「三種類の趣味」としてインプット趣味、アウトプット趣味、移動型趣味をそれぞれ持つことを推奨されています。(参考:https://dear.reicious.co.jp/life/detail/id=337) 
 私が毒祖母を長年見て思ったことは、趣味を楽しむには最低限の教養や経験、そして“愛着”が必要であることです。つまり愛着スタイルに問題がある毒親には、心から楽しめる趣味を持つなど無理な話なのです。毒親の多くは、それぞれの欲求満たすべく「単なる暇つぶし」として何かに没頭する傾向があります。その「単なる暇つぶし」は深刻化すると、「依存症」を引き起こす可能性が大いにあります。

「単なる暇つぶし」の例
・パチンコ、スロット、ギャンブル
・過剰な喫煙・飲酒、過食、過眠
・ネットゲーム、スマホゲーム
・各種SNS
・キャバクラ、性風俗
・テレビを眺めるだけ

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(画像はいらすとや様より引用)

 ただしこれらについても自分なりに研究や試行錯誤に取り組み、これを愛好していると胸を張れれば、それは立派な趣味と言えましょう。しかし多くの毒親は、怠惰的に時間を溶かしているだけ過ぎません。さらにこれらの事柄の多くは、「自宅で楽しめる」「同居する全員が楽しさを共有できる」を満たしておらず、毒親と外出自粛の相性の悪さを如実に物語っています。


なぜ毒親には趣味がないのか

 一つ仮説を立てるとするならば、「毒親の親もまた毒であった(毒親の連鎖)ゆえに、趣味を見出したり、楽しむような土台が築かれなかった」と考えられます。我が家の場合、毒祖母は愛着が希薄な継母に育てられたことに当時の時代背景を加味すると、趣味に興じる余裕などなかったのでしょう。その毒祖母が私の母に適切な経験や教養を与えなかったことで“無趣味の連鎖”が続いたと指摘できます。 自己愛が強い私の毒祖母は、趣味自体に興味がある訳ではなく、それを通して他人からチヤホヤされたいだけでした。その証拠に某趣味サークルに参加していましたが、自分の承認欲求が満たされないと感じるや否やぱったりと参加しなくなりました。
 一方で私の母は回避型の傾向が強く、まさに出不精人間です。読書、漫画、テレビ、ドラマ鑑賞、スポーツ観戦を嗜むため一見多趣味に思えますが、いずれも“広く浅い”姿勢に過ぎず、「明日の糧になるような趣味」の領域ではありません。これは、先ほど指摘したように毒祖母が子供だった母に趣味に愛着を持つ土台を作らなかった(作れなかった)ことが原因だと考えられます。
 私自身は母に近い回避型の傾向があります。自宅待機中や休日にはひたすら読書、家事・炊事、ゲーム、当noteの執筆などを楽しんでいます。家族と時間が合えば、話題の映画やドラマを共に鑑賞し、その感想を交換しています。かように私が自宅待機を存分に楽しめているのは、私の母が幼少期から様々な趣味嗜好を許容して趣味に愛着を抱ける土台を用意してくれたからです。そのおかげで、幸いなことに三度の飯よりも好きと言えるような趣味を持つことができました。もし母が過剰な制限をかけていたら、今頃は退屈に喘いでいたかもしれません。
 ただ、「母の好きな作品や音楽、趣味の思い出」を教えてもらったことは、残念ながら“一度も”ありません。これもまた毒祖母による弊害の一つだと私は思っています。


趣味を持つことは、愛着を育むこと

 趣味とは先にも述べたように、「それを文化的に愛好し、明日の糧になるような事柄」です。それのために人は汗水を流して働き、命と等しいと言える金を遣うことで明日も生きようと思えるのです。
 その趣味を継続することは、愛着を安定させるための行為でもあります。そのためには、愛着のほかにある程度の知識や経験が必要になりますが、愛着さえあれば自然と後からついてくるものです。「好きこそものの上手なれ」とは、まさにこのことだと思います。
 また趣味に没頭することは、ストレスの解消と共に毒親との距離を置くことも期待できます。それは、今後も毒親との関係がしんどくなったときの“逃げ場所”として機能することでしょう。そして何よりも趣味に対する愛着とは、自分自身への愛着としても育まれていきます。

 現在「移動型趣味」の実現は難しいですが、「インプット型」と「アウトプット型」の趣味は自宅でも楽しむことができます。しばらくはそれらを極めたり、そのような趣味がない方は始めてみる良い機会でもあります。そして、“すべての趣味”を心置きなく楽しめるような日々が一日も早く戻るよう願うばかりです。



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