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ひとりでいられる能力

(画像はいらすとや様より)

「毒育ちと『取るに足らない扱い』」において、「ひとりでいられる能力」に少しだけ触れましたが、今回はそれについて掘り下げていきます。


「ひとりでいられる能力」とは

「ひとりでいられる能力(The Capacity to Be Alone) 」は、イギリスの小児科医・精神分析家のウィニコットが提唱しました※1。子供にとっての安全基地が確立されると、母子(親子※2)分離を経て一人で社会を探索できるようになります。つまり安定した愛着スタイルを身につけることは、「ひとりでいられる能力」の会得とほぼ同義と私は解釈しています。(安全基地については「《安全基地》がない子供たち」、愛着スタイルについては「愛着スタイルが不安定な毒親たち」参照)
 一方、安全基地が確立されないとその子供は母子分離に至らない、あるいは分離に対して大きな不安を覚えるようになります。この分離不安と呼ばれる心理が、自分の人生を他人に委ねたり、他人にしがみついてしまうことを引き起こします。つまり不安定な愛着スタイルを持つ人間は、「ひとりでいられる能力」に欠ける可能性があると考えられます。

※1 参考
https://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/the-capacity-to-be-alone_b_17047378.html
(最終閲覧日:2020年7月5日)
https://news.kodansha.co.jp/5184
(最終閲覧日:2020年7月5日)
※2 筆者追記、愛着対象者としての親という意


強い分離不安

 では分離不安が強まるのは、なぜでしょうか。安全基地の不在は健全な自己愛の養育を妨げ、それゆえに自分の存在意義や評価を他人に委ねるようになります。例えば自己愛が強い毒親が原因で常に他人の顔色を伺うようになる、親に認められたいがために自分自身を押し殺すといった例が挙げられます。また過保護/過干渉をする毒親の場合は、親が不在だと何も行動できないという弊害があります。いずれにしても毒親が、「子供が自らの意思を尊重してひとりで行動する機会」を奪い続けた結果が、強い分離不安を生み出すのだと考察できます。

 その分離不安の対象は、次第に母(親)から“集団”に拡大します。子供が成長すれば学校、職場、社会等と所属集団は増えていきます。その子供の母子(親子)分離が進んでいないとしても。集団への強い分離不安を感じるようになると、そこにおいて一人で行動できない、誰からも嫌われたくない、全員から認められたい、という他者依存な思考が次々に噴出します。そして自分自身の意思や感情よりも他者や集団への同調を優先するようになり、「ひとりでいられる能力」の喪失に至ります。


とにかく一人で居たくない

【壁を感じる時】
 普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか特に壁を感じる 。俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで 全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す 。俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると そいつに連絡取ったり待ったりする 。俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、 俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く 。どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない 。食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときは みんな既に食べ始めている 。食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、 俺が最後のときはみんな先に帰り始めている。
 (中略)みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い 。
 こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う。

https://matome.naver.jp/m/odai/2133583177564919001?page=2より引用、一部筆者改訂

 これは過去記事「毒育ちと取るに足らない扱い」でも取り上げた事例ですが、この“彼”のように大学や専門学校ではじめて「ひとりでいられる能力」が欠けている(あるいは低いこと)を認知するケースは多いと思われます。その原因としては、高校時代までと比較して人間関係がより複雑化すること、常に自分の意思による選択や行動が求められることが挙げられます。「ひとりでいられる能力」を持ち合わせない例として「キョロ充」、「ランチメイト症候群」が存在し、おそらく先の“彼”はその両方に該当すると思われます。

・キョロ充とは
常にキョロキョロと人目を気にしており、その時々の流行や周囲の人間に合わせることで自分を「リア充(現実の生活が充実している様)」だと思い続ける者を意味する俗語

参考:https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%AD%E5%85%85
(最終閲覧日:2020年7月5日)

・ランチメイト症候群とは
学校や職場で一緒に食事をする相手(ランチメイト)がいないことに一種の恐怖を覚えるコミュニケーションの葛藤。(中略)人間関係が壊れてしまうことを懸念してランチの誘いを断れず、憂鬱な気持ちになってしまうケースも同様にランチメイト症候群に該当する。

参考:https://jinjibu.jp/keyword/detl/995/(最終閲覧日:2020年7月5日)

 彼らの行動心理は、「一人の方が楽だと理解していてもなお、一人で居る自分を他人に“見られたくない”」に尽きます。一人で居るくらいならば、自分を蔑ろにする相手と共にすることも、そのために自分の感情を押し殺すことも厭わないのでしょう。 ただそのような思考こそが毒親を含めた家族問題、配偶者問題を助長したり、DV、各種ハラスメント、いじめ、共依存関係、そして「取る足ら」を深刻化させると指摘できます。その加害者たちは、その思考自体を利用したり、標的をそのように洗脳したりするからです。


毒親も一人で居られない

 愛着スタイルが不安定な毒親をはじめ、ハラスメント加害者たちもまた「ひとりでいられる能力」が欠落しています。彼らの特徴は、常にマウントを取る、取り巻きを作る、愚痴と粗探しが大好き、他人からの称賛が生き甲斐、いつも標的を探していることから実に他者依存な言動が目立ちます。そのような親に育てられれば、子供の愛着スタイルが不安定になると同時に「ひとりでいられる能力」が身につくはずもありません。

 毒親にならない、あるいは毒の連鎖に荷担しないためにも「ひとりでいられる能力」が不可欠だと私は思います。逆説的に言えば、子供の自立を考えた養育や真の意味での幸せな生活を実現するためにも「ひとりでいられる能力」が必要と言えます。


一人でいることを恐れる必要はない

 ウィニットが言うように、一人で居ることを恥じる必要はどこにもありません。自分自身を蔑ろにする人物と過ごす時間ほど無駄なものはなく、それこそ本来恥ずべき行為だと私は思います。先のキョロ充、ランチメイト症候群に該当する人は「一人で居るところを他人に“見られたくない”」という強迫観念に駆られていますが、大半の人は他人のことなど大して気にしていないのが事実です。知人が一人で食事をしている、単独で行動している姿を認めたとしても三日後には九割の人は気にかけていないか忘れているものです。つまり「自分は常に見られている」という“勘違い”を矯正することから「ひとりでいられる能力」の再会得が始まります。

 その「ひとりでいられる能力」の根本は、冒頭で述べたように失われた安全基地と健全な自己愛です。まずは自分自身と正面から向き合い、それらを回復させることが大切です。一人で居ることを恐れず、自分自身を尊重する気持ちを持てるようになれば、「今までと少しだけ異なる感覚」を抱けるようになるかもしれません。その感覚こそが、健全な幸福や生活を生み出すと私は思います。


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