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毒親/毒家族との《対決》

(画像はいらすとや様より引用)

 複数の過去記事(※)で毒親との《対決》について触れたので、今回はその総括をしたいと思います。

(※) 「毒の連鎖~前・後編~」 
「毒育ちが語る『ポイズンドーター・ホーリーマザー』」
「愛着スタイルが不安定な毒親たち」
「毒と戦わない男性たち」
「毒親と《毒子供》」


毒親/毒家族との《対決》とは

《対決》とは相手をやっつけるという意味ではなく、十分に考えたうえで勇気をもって正面から向き合い、苦痛に満ちた過去と困難な現在についてはっきり話をするということである。

「毒になる親」スーザン・フォワード著より引用、一部筆者により表記変換

 私個人としては、《対決》とは「子供が毒親に傷つけられた事実やその時の心情を毒親に対して包み隠さず伝えるとともに、今後の接し方やスタンスを明示すること」と解釈しています。
 また毒親が元凶であることは大前提だが、それが《対決》から逃げる理由にはならず、戦わないことには根本的に何も解決しないとも主張しました。
 つまり毒親との《対決》を避けては、毒親問題および自分自身が根底に抱える問題を解決できないということです。先のスーザン・フォワード氏は、 「あなたに負わされたものは、その原因となった人間に返さないかぎり、あなたはそれをつぎの人に渡してしまう、ということなのだ。」とも綴っており、《対決》をしないと毒の連鎖に荷担してしまうことを示唆しています。


なぜ《対決》するのか

 その真の目的はつぎのようなことだ。
●親と正面から向き合い、はっきりと話をすること
●そのことへの恐怖心を、これを最初で最後のこととして勇気を出して乗り越えること
●親に真実を語ること
●親と今後どのような形の関係を維持することが可能かを判断すること 

「毒になる親」スーザン・フォワード著より引用

 以上に私は、「喪われた健全な自己愛を取り戻すため」および「自分の手に自分の人生を取り戻すため」を付け加えます。
《対決》を避けることは、自分の本心やパーソナリティを無視することであり、そのままでは喪われた健全な自己愛を取り戻すことは叶いません。同時に「すでに自立しているから」「もう過去の事だから」「今は幸せに生活しているから」を言い訳に《対決》から逃げ続けるのも危険だと考えます。なぜならば、健全な自己愛を取り戻さないと様々な場面における諸問題の加害者、被害者あるいは傍観者になってしまう可能性が大いにあるからです。より批判的な表現をすれば、《対決》を避けて健全な自己愛を取り戻せていない人間が他人を愛す資格などないとも言えます。
 自分にとって嫌なことをされたら、それを相手方に理論的に説明することはとても重要です。しかしそれをさせないのが毒親であり、健全な自己愛がなければなせる行為ではありません。それでも毒親に対して真実を伝える(伝えようとする)ことは、健全な自己愛を取り戻す大きな第一歩だと思います。


和解できなくても、いつか《手放す》

 いざその真実を伝えたとしても多くの毒親は「今更そんなこと言うな」「私はあなたのことを誰よりも思っている」「育ててやったのにその態度は何だ」と返答することが予測され、最悪の場合は、話し合い自体がままなりません。子供の主張を素直に認められる毒親は残念ながら非常に少なく、不安型や混在型の愛着スタイルを持つ毒親は特に聞く耳を持たない傾向があります。

 ただ毒親との《対決》のゴールは和解ではありませんし、さらに言うと毒親を赦す必要もありません。

 しかし誰かを赦さずに恨み続けることは心身ともに非常に疲弊することは事実です。私も毒祖母や和解途中である母への怒りや憎しみが時折再燃することがありますが、しばらくすると途轍もなく困憊するとともに自分の未熟さや弱さを痛感します。

 だからそのような感情をいつか《手放す》ことを今は目標としています。おそらく毒祖母が息を引き取ったとしてもその感情が即座に鎮まることはないとでしょうし、彼女の無責任さに怒り心頭になる可能性は十二分にあります。それでもいつしか手放すことができるよう努力するのみだと思っています。


《解毒》は自分だけでもできる

 和解、赦す、手放すは毒親という相手がいて成立するものですが、《解毒》という行為は自分自身で遂行できます。《解毒》とは、繰り返しになって恐縮ですが、健全な自己愛および健全な愛着スタイルを取り戻すととも「毒親に負わされたものを乗り越えること」に尽きます。 
《対決》からの《解毒》とは、未来の自分自身を《毒子供》にしないことはもちろん、周囲への配慮にもなり得ます。それは、パートナーや配偶者とそのご家族、自分の家族や友人、そして自分の子供を毒の連鎖に巻き込まないためとも言えます。そして何より未来の自分自身の幸福を実現すべく、一人でも多くの方が解毒を試みてほしいと願っています。私も《解毒》のまっただ中にいますが、毒祖母とかつての母への負の感情を手放せるまで自分自身と向き合おうと思います。


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