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毒の連鎖

 今回は、祖母と母、母と私の関係から《毒の連鎖》について述べます。

 前回までにわたって毒祖母から逃げた話を書いてきましたが、それは私にとってあくまで「祖母⇔孫」という関係です。

 単刀直入に言えば、私の母の私に対する一部言動は毒親のそれに当てはまります。つまり祖母から母へ、母から私へと毒が連鎖していったのです。

 ただ私の母については、毒祖母から受けた言動を無意識のうちに繰り返してしまった《無作為の毒親》だと私は考察しています。

 毒親という概念を知らずに結婚や出産をしていたら、私もまた《無作為の毒親》になっていたかもしれません。

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母と私の関係

 母は毒祖母の毒により健全な自己肯定心が育たず、回避型愛着障害および回避性パーソナリティ障害の傾向があります。(詳細は『ようやく毒から逃げまして③、⑥』をご覧ください)
 子育てとは、基本的に自身の幼少期に親から施されたことを繰り返します。これが愛情深く健やかに育った人ならば問題ないのですが、かつて虐待されていた人が実子に繰り返し手をあげてしまうケースも多々あります。 毒親についても同様のことが言えます。毒親自身が己の行為によって子供を傷つけていること、そしてその子供も自身が傷ついたことを認識していない可能性が大いにあります。つまり無意識のうちに自分も毒親になっているのにそれに全く気が付いていないのです。 それこそが毒の連鎖でもっとも恐ろしい性質です。こうして知らず知らずのうちに負の連鎖が続いていくのです。 

 ここで私の母の毒行為を挙げてみます。

90点のテストを見て、「どうして満点取れなかったの?」

 今振り返ると、まずは90点の頑張りを認めた上で次はこうしようと一緒に考えてほしかったです。こう言われ続けると、『満点でない=無価値』という、100か0、黒か白という極端な思考になってしまい、今もそれを引きずっているのが現実です。母の言い分は、「○○(私)はもっとできるはずと思ったから」とのことですが、子供に対する過剰な自己投影や過度な期待も毒そのものです。

「逸子は優等生だから」と言い続けて理想像を植えつける

 “たまたま”その地域で勉強ができる方だった私は、母から常に優等生であることを期待されていました。ただ勉強ができる=優等生ではないですし、 勉強ができるからと言って完璧な聖人君子である理由もありません。このような価値観の押し付けを窮屈に感じたのは、紛れもない事実です。

「片親(母子家庭)だから馬鹿にされたくない」が母の口癖

「いや、されるに決まってるだろ! 自分が離婚したことを棚に上げるな!!」と今は躊躇なく突っ込めます。離婚した時点で母が自分の半生や毒祖母との関係を振り返っていたら、また違った人生だったかもしれません。

すぐに「私が全部悪い」と現実逃避する

「反省しているようで聞こえはいいけど、実は一番質が悪い台詞ランキング」堂々の一位です。こう言われてしまうと、建設的な話し合いや指摘がしづらくなるのでもうお手上げです。

「もう○○しないから!」と現実から目を逸らす

 上記とほぼ同じです。毒祖母の「出て行け」と本質は同じで、親の権限や力を使って子供を抑制しようとしていました。

友人やパートナーの家族の話をすると「どうせ私はダメな母親よ!」と激昂

 母は他人を気にし過ぎる嫌いがあったのですが、それも毒に晒されつづけた結果です。特に学歴と職業に強いコンプレックスがあるらしく、相手方が大卒であったり、いわゆるエリート職であったりすると一層ひどかったです。


 すべてではありませんが、大半は祖母から受けた毒によって母はこのような発言や行動に至ったと認識することで、私は母を《無作為の毒親》と捉えました。簡単に言えば、すべては毒祖母のせいで母の言動は致し方ないと考えたのでした。


本音を言おうとしないことには何も解決しない

 とある時期に、とあるきっかけで、私は上記のことを母にすべてぶつけました。見る見るうちに母の涙は止まらなくなり、当時まで見たことのないような悲痛に満ち満ちた表情を浮かべていました。
「いい子」だと思っていた私からまさかこんな言葉が出るとは予想だにしてなかったのでしょうが、その「いい子」も母や毒祖母に求められていたから演じていたに過ぎません。
自分の本心を飲み込み続けたツケが、母を傷つける刃としてあふれ出て止めることができませんでした。「いい子」という仮面を外して鬼の形相で母を責め続けました。その姿はまさに、毒親から生まれた《毒子(毒娘)》だったと思います。

「ごめんね。ごめんね」
母は数え切れないほどそう言って、ひたすら泣き続けました。
「辛かったね。気づいてあげられなくて、本当にごめん」
 母も私もあれほど涙を流したことは、先にも後にもありませんでした。

 毒がいる家庭の多くは、本音を言える環境でないと思います。なぜなら、毒以外の人間は毒の顔色を常に伺って言葉や行動を取り繕っているからです。 毒の逆鱗に触れないよう本当に言いたいことを飲み込む。毒の機嫌を損なわぬよう感情や気持ちを押し殺す。かつての私たちもそうでした。時折、感情が爆発して喧嘩が勃発しますが、建設的な話し合いには一切繋がりませんでした。

 本音をぶつけ合うには、「同等の立場」かつ「目的の共有化」が前提にあります。
 例えば仕事のパフォーマンスを向上させるには問題から目を背けたり、本音を隠していてはとても叶いません。時には厳しい意見や指摘が必要です。ただそのような叱咤激励もパフォーマンス向上という共通の目的を有しており、かつチームや同一組織の一員として同等の立場であるから成立することです。

 毒にとって子や他の家族は「自分より下の立場」であり、「自分にとって都合の良い存在」に過ぎませんから、同じ目的を持つことなどあり得ません。それでも本音を言わないことには何も解決しません。と言うよりも、本音を言おうと"試みること"が大切だと私は思います。
 母と私は、あの日、あの時、偶然その機会が訪れました。私の口から母への罵詈雑言があふれ出るという形でしたが、どんなきっかけでも私は構わないと思います。私たちのように偶発的に起きるかもしれないし、何かを契機に自ら話してもいいでしょう。

 本音を言おうとしたが、取り付く島もなかった。本音をぶつけたが、相手が受け入れられず逆に罵られた。こうなってしまったならば、もう離れるしかありません。
 祖母と母は、まさにこのケースで後に両者は決裂の一途をたどりました。しかし母と私は和解に至った訳ですが、この違いは何だったのでしょうか。


なぜ母と私は和解できて、祖母と母はできなかったのか

まず、それぞれの関係について整理します。

a)母⇔私のケース
【1.当時の年齢】
母:四〇代、私:二〇代

【2.毒言動の主な要素】
過度な期待、自己投影 回避性的思考による情緒不安定

【3.毒になった理由を正確に認識できたか】
できた。祖母によるモラハラや毒言動を目の当たりにしたことで母を《無作為の毒親》と認識

【4.本音を言う機会の有無とその結果】
有。事実を認めた上で謝罪があった

【5.養育の本質を放棄していたか】
していない。学生生活で悩んだことや進路選択時には真摯に向き合ってくれた、常に「辛ければ家に帰ってくればいい」と言ってくれたことから私が判断

b)祖母⇔母のケース
【1.当時の年齢】
祖母:七〇代、母:四〇代

【2.毒言動の主な要素】
人格否定、侮辱、批判、非難的発言、金銭的社会的支配、その他数々のモラハラ発言

【3.毒になった理由を正確に認識できたか】
できなかった。祖母の親はすでに死去しており、親族や近しい人間もいないため、祖母が毒になった原因は正確に認識できなかった

【4.本音を言う機会の有無とその結果】
無。そもそも話し合いに応じず母が諦めた

【5.養育の本質を放棄しているか】
していた。子供を自分の都合の良い存在だと捉えているとしか思えない言動の数々から母が判断

 母と私については、第一に私自身が母を《無作為の毒親》と認知できたことが大きいと思います。要はすべて毒祖母の責任にしたとも言えます。
 次に年齢です。私が母にすべてを曝け出したとき彼女は四〇代で、大きな衝撃は受けたもののまだ修正が効く年齢でした。万一母が祖母と向き合ったところで、高齢の彼女は話の意図を理解できないか受け止めきれなかったことでしょう。
 最後に私の母は私が辛かった時や選択に悩んだ時に手を差し伸べてくれました。これが最低限かつ最大の愛情と感じ、《養育の本質》を放棄していないと私は判断しました。

 一方で祖母と母については、祖母の言動の責任を別に置き換えられなかった、和解するには遅すぎる年齢だった、毒本人が養育の本質を放棄したと思われても仕方がない行為を積み重ねてきてしまったことが決裂の要因だと考えられます。(補足:それら以上に彼女自身の自己愛性パーソナリティー障害が最大の原因だと私は思っています。何を言っても通じない人間なのですから、話し合いもクソもありません)


毒の鎖、毒の連鎖を止めるには

 恐らくこの拙文を読まれている方の多くは、すでに毒親や毒家族の存在に気が付いて日々悩まれていることだと思います。毒に関する記事や著作物、同じような境遇の方の発信物に触れては共感したり、自分一人でないと安心感に包まれたりすることでしょう。

ただ可能ならば、《毒親の親や親せき、生い立ち》についても調べてみてください。

 毒の幼少期や生い立ち、結婚までの話などを家族や親せきに何気なく聞いてみてください。もしかすると、毒自身もその親から毒を受けて苦しんでいた事実を知ることができるかもしれません。
 そして、その事実を知った時の貴方自身の感情や気持ちをよく整理してみください。同時に自分が毒にされて嫌だったことや辛かったことを、どうのような形でも構わないので振り返りましょう。気が進まない苦しい作業だとは重々承知していますが、これをなくして毒親からの解脱はありません。
 その上で毒と今後どう関わっていきたいかをご自身で熟考してください。そこまで整理できれば、いよいよ毒に本音を言おうと試みることができるはずです。

 どのようなケースにおいても本音を“言おう”とする、真正面から“向き合おう”としなければ何も解決しないと私は考えています。子や家族の本心を聞いて心境に変化が生まれる毒親や毒家族は少数ながら存在し、和解に至る可能性があるからです。ただしその可能性はかなり低いことを覚悟してください。
 多くの毒は、「今さらそんなことを言うな」「親に向かって何てことを言うんだ」と返してきたり、「そんな話は聞きたくない」と冒頭から拒否してくるかもしれません。本音を言った上で相手方が容認しなかったら、あるいは最初から話にならなかったのならば、それはもう仕方がありません。(だから先に本音を“言おう”とする、真正面から“向き合おう”とするという表記にしました)精神的、物理的にでも構わないので少しずつ可能な範囲で距離を置きましょう。そしていずれは心身共に離別することがもっとも望ましいでしょう。

 毒との一対一の話し合い、すなわち《対決》なくして毒問題の解決は困難です。嘆かわしいことに先代から脈々と続いてしまった毒の連鎖を断ち切るためにも、そして何よりも自分自身が毒の鎖から放たれるためにもその思いの丈を毒にぶつけてほしいと私は思います。
 対決後に和解か決裂を決断しようが、とにかく毒の鎖から解き放たれたのならばそれ以上の結果はないと思います。毒の鎖を引きちぎったとともに、毒の連鎖を止められる可能性も生まれたのですから。


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