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【note開設三周年】あらためて我が家について振り返る

(画像はnote獲得バッジより)
 
 当noteアカウントを開設して、早三年が経った。
 先日初めてnoteのダッシュボードという機能を確認したのだが、想像を大きく上回る数の方々に拙文をご覧いただいていた。

 twitterの方も含めて皆様の閲覧、いいね、リツイート、コメントは励みになっております。あらためまして感謝の意を申し上げさせていただきます。  小生の拙文が微力ながらもどなたかのお役に立つことができたのならば、これ以上の喜びはない。今後とも当noteアカウントに少しでもお付き合いいただけたら幸いである。



 本稿ではあらためて私の毒祖母について、離婚出戻りについて、拙宅に関する考察を述べていきたいと思う。
 まず毒親/毒家族問題の著書や記事を検索すると、《親子間(特に母娘)のケース》がほとんどである。Twitterには毒祖父・毒祖母、毒兄弟・毒姉妹、毒義父・毒義母といったハッシュタグも確かに存在するが、毒親(毒父/毒母)と比べれば少数である。

 我が家は両親の離婚を機にいわゆる三世代家庭となったが、そこで私は「自分の親(私の母)がその親(毒祖母)に虐げられている場面」を何度も目の当たりにしてきた。私がこの世に生を受ける以前より続いていた毒祖母によるハラスメントが原因で、母が不安定になってしまったことを私は理解した。ただ幸か不幸か、そのような経験を介して私たちは毒祖母の異常さを認識して毒祖母宅から脱出に至ったのだった。

 毒親問題解決に向けてのプロセスをざっくりと説明すれば、多くは「親を毒親と認識」→「実家である親の家から脱出、もしくは家庭内別居やその他の対応」となる。それが幣家は、「祖母を毒と認識」→「母親の不安定さの原因が毒祖母だと認識(いわゆる毒の連鎖)」→「私にとって実質実家である毒祖母宅から脱出」と、若干特殊な事例と言えるかもしれない。そうなると、この“生き墓標”が誰かの役に立つ機会はかなり少ないと考えられる。しかし今日日似たような境遇で苦しんでいる方々に何か一つでも助けになればと思いながら、今現在筆を進めている次第である。


独裁者・毒祖母について

 私の毒祖母を一言で表せば、「独裁者」である。

 それ以外にも傍若無人、横柄、自己中心的、見栄っ張り、だらしなくてみっともない、マウンティングゴリラ、嘘つきババア……と彼女の形容を挙げればキリがないが、要するに「ありのままの自分も愛せず、他人の気持ちも慮れない哀れな人間」である。専門的な用語を使えば、自己愛性パーソナリティ障害と若干の発達障害を抱えていると言える。たとえ身内であったとしても自分以外の人間をこんなにも扱き下ろすことは本来躊躇されるはずなのだが、私の毒祖母は知能についても人格についても良いところを一つたりとも見つけられない。誠に申し訳ないが、今まで受けた施しや恩恵すらすべて否定したくなるほどに彼女は何もかもが“終わっている”人間である。

 近頃の毒祖母とえいば、高齢という要素が彼女をますます狂気の沙汰へ突き落としている。以前とある機関において「お祖母様は、高齢にともなう認知症なのではないか」というご指摘をいただいたが、「いや、元々そういうパーソナリティなので」と、(かなり食い気味に)反論させていただいた。孫である私から言わせてもらえば、今の毒祖母とは高齢という立場や老衰を巧みに利用して「娘と孫に出ていかれて可哀そうな元気のないおばあさん」を“演じている”に過ぎない。それは、やはり自己愛性パーソナリティの症例に起因すると私は分析している。

 私は以前にこのような発言をしたが、まだ高齢でない毒親/毒家族もいずれこうなる可能性は非常に高い上に、すでに常日頃から被害者/弱者ぶっているのではないだろうか。そのような人間が皆等しく訪れる、かつ周囲から同情を買いやすい「高齢化」と「老化」という現象を盾に使わないはずがない。その“史上最悪のカード”を使われる前に、毒親/毒家族問題についてはケリをつけておくことを私は強く勧めたい。


毒祖母との地獄の同居を経て

 ここで毒祖母との地獄のような同居を振り返って、離婚出戻り同居のメリット・デメリットをそれぞれ考えてみた。

【メリット】
 ①ひとまずの衣食住が保障される
 ②経済的に助かる 
 ③育児や養育における後ろ盾が得られる

 そもそも戻れる家がある時点で世間一般としてはかなり恵まれているのかもしれないが、それは出戻った先に居る人間のパーソナリティが比較的安定しているという前提があってのことである。繰り返しになって恐縮だが、ここに挙げたメリットが機能するのは、あくまで祖父母や他の家族のパーソナリティが安定している、そして何よりも「家族で協力して孫を育てようとする」気概が備わっていることが最低条件である。(そもそも「パーソナリティが安定している家庭に育った人間はまず離婚しない」というのは私の持論ではあるが、今はその議論は控えておく)

【デメリットおよび我が家のケース】
①衣食住が保障される、はずが……
→やたら恩着せがましく、自分の思い通りにならないとこれを引き合いに「出て行け」と攻撃してくる
②経済的に助かる、はずが……
母から生活費という名目で搾取して毒祖母自身が浪費するという経済的支配が起きた
③育児や養育における後ろ盾が得られる、はずが……
→これはメリットとして機能していた部分も確かにあったが、結局は「孫の面倒を見る健気なおばあちゃん」を演じるために利用されていた感じは否めない。日々の食事作りや付き添いなど目立つこと、分かりやすいことは積極的に引き受けたが、自分ができないことや責任が伴うことはすべて母に丸投げだったことも事実である

……お分かりいただけただろうか。祖父母や他の家族が異常だとこんなに恐ろしいことが起きることが……。一般的には、親と同居すれば物理的にも精神的にも安心と思われるだろうが、我が家はその真逆であったのだ。同居したゆえに毎日繰り返されるハラスメントの数々、大の大人が起こすみっともない癇癪、絶え間ない喧嘩や諍い、最後は「出て行け」という攻撃……さらに毒祖母は外面が良かっただけに余計にたちが悪かった。近隣の方々やサークル仲間の皆さんは毒祖母のことを「出戻った娘さんとお孫さんを面倒見る健気なおばあちゃん」と思い込んでいたことだろう、それこそ彼女の思惑通りに。この様を地獄と言わずに何と言うのか、と私は今でも疑問に思っている。


出戻るのならば必ず期限を

 このような経験をもってして、離婚したからといって安易に親との同居を決めるべきでないと私は主張したい。

 しかし経済状況や環境からそれが難しい場合もあるだろう。そこで、どうしても離婚出戻り同居をする際は以下のことを推奨したい。

・必ず同居期限を設ける
・家事や育児についての“線引き”をする
・生活費や養育費については話し合った上で必ず書面で取り決めを交わす

 とにもかくにも同居期限を設けることが一番有効だと思われる。というのも我々も早く自立して毒祖母とは「お盆と年末年始にお年玉でも貰いに行く」程度の距離感であったら、問題はこれほどまでに深刻化しなかったかもしれない。それが四六時中同じ屋根の下にとなると、どうしても相手の嫌な部分が見えてきてしまうものである。その相手がパーソナリティ障害や発達障害の傾向があればなおさらだ。しかし同居の期限さえ予め決めておけば、そこまではどうにか我慢できるかもしれない。もちろんその我慢が親自身や子供の心身に支障をきたす場合は、一刻も早く離別することを強く勧めるが。

 ところで、私の母はなぜ期限を定めなかったのだろうか。その答えは明瞭で、毒祖母がそうさせなかったからに尽きる。というのも私の母は一人暮らしの経験はおろか恋人との同棲経験もなく、母が結婚してもなお毒祖母は毎日のように私の両親の家に押しかけて手伝いという名目で母の役割を奪い続けていた。それは、姉や私が生まれても一向に続いた訳だが、その間毒祖母は母に対して「アンタは私がいなければ一人では何もできない」という呪いを掛け続けたとも言える。今でこそ母は「それに甘えてしまった自分も悪い」と回顧しているが、毒祖母の異常な行動の数々は、もはや「洗脳」と呼ぶべきだと私は思う。「一人では何もできない」と洗脳された人間が、自立を考えて同居期限など設けられない、というよりも当時の母には“そのうような選択肢”すらなかったのである。

 だからこそ、すぐに出戻り同居を決めない、同居するとすれば必ず期限を決めることをあらためて推奨したい。


毒親の親も毒親説

 毒祖母と同居を始めてから、母は見る見るうちに不安定になっていった。その仔細は伏せさせていただくが、それが姉や私に向けられることが一番しんどかったのかもしれない。親も毒に侵される様は子供ながらにかなり衝撃というか、今となっては虐待の一種とも言えるだろう。(配偶者間や家族間の暴力行為、罵倒行為、その他ハラスメント行為を子供に見せつけるのも虐待である)

 しかし逆に長らく毒祖母と同居していたからこそ、母の辛さや痛みを理解できたのかもしれない。その辛さや痛みも含めて、少しずつ母自身と母のパーソナリティを受け入れようと考えることもできた。繰り返しで恐縮だが、これはあくまで私自身のケースであり、毒祖父母と毒親、その両者とも和解できないと感じている方も多数いらっしゃるだろう。その心中も痛いほど察せられるし、その心情を否定することは誰にもできないはずだ。私は縁あって母も伴って毒祖母の家を脱出したが、自分を守るために自分だけが脱したとしてもそれはそれで正しい選択だと私は認識している。

 ただいかなる状況になったとしても、一つ言えるのは「毒親の親も毒親かもしれない」ということだ。

 私はその様を己の眼でしかと目撃したが、核家族世帯で育った人には少し理解が難しいかもしれない。正直かなり難儀ではあるが、毒親の親(自分の祖父母)について調べることは決して無駄ではないと私は考える。もちろん、その結果をどう捉えるかは本人次第だ。「毒親の親も毒親」という事実を確認できたとしても親と和解しない、という選択を取るのもまた正解である。ただ「毒親の親も毒親」という事実を知ったことで、私のように親に対する考えが多少なりとも変わる可能性があることも否めない。

 毒親もまた毒の連鎖に巻き込まれた哀れな人間と認識した時に、本当の答えが見つかるのかもしれないと私は考えている。


家庭の数だけ家庭の形がある

「もし“あの時”に自分だけ逃げていたら……」と、今のなおふとした瞬間に思い返すことがある。あのまま自立あるいは誰かと同棲や結婚に至ったとしても、もしかしたら不安定になった母が毒親化していたかもしれない。そこに毒祖母まで加わって他人をも巻き込んでいたらと思うと、名状しがたい仄暗い感情に襲われる。(今となっては、そうならなくて本当によかったとしか思えないが) とにもかくにもあのまま私や姉だけが出て行っても真の意味で幸せにはなれなかったと推察するのは、常に頭の片隅に毒祖母や母の存在が過っていたと思うからだ。
 
 前項と重なるが、これはあくまで私の場合であって、毒祖父母・毒親の両者と離縁しても私はまったく構わないと思う。いかなるケースにおいても、離別した後は自分の意志と自らの足で、自分自身の人生を歩いていかなければならないのは変わりないからだ。

 過去の記事でも再三述べてきたが、毒親/毒家族問題を含んだ家庭問題には鮮明な“正解”は存在しない。むしろ家庭の数だけその家庭の形があり、その“事実”だけが存在するとも言える。

 もちろん家族が互いを尊重し合った上で支え合いながら恙ない生活を送れるような家庭が、もっとも理想の形であると私は思う。豪奢な家でなくとも、高級車など持たずとも、海外旅行へ行けなくとも、他愛もない会話を交わしながら楽しい食卓を囲めれば、それだけで十分ではないかとも感じる。

 その理想の形から多少外れてもどうにか日々“修復”しながら生活を共にするのも、適切な距離を保ちながら同居するのも、それぞれの家庭の形として正しいはずだ。いっそのこと住処を分かつのも一つの選択肢であり、そのすべての選択肢において“正解”、“不正解”は存在しない。(無論、家族全員の安全と健康が保障されている、という前提があってのことだが) 強いて言えば、“正解”か“不正解”を判別できるのはその家庭の当事者のみである。傍から見れば、絵に描いたような“正解”であっても、その家庭の当事者からすれば“不正解”なこともあるだろう。逆もまた然りで、我々も半ば家出のような形で別居を果たしたが、世間一般では“不正解”とされるかもしれない。しかし私はこの選択は間違っていないと今も思っているし、「何も知らん外野はすっこんでろ!」とすら言えるように(図太く)なった。

 しかし唯一他人からも“不正解”だと判別できるのは、毒親/毒家族問題を苦に自死を選んでしまうことではないか。私も毒親/毒家族問題の当事者として、希死念慮を抱いたことは決して少なくない。毒祖母宅にあった太い剥き出しの梁を見つめながら「いっそのこと死んだ方が楽かもしれない」と何度思ったことか。

 とは言っても私に赤の他人の行動を止める資格も術もない上、今現在私自身も希死念慮をまったく捨て去った訳ではない。それでも誰かが毒親や毒家族のせいで自分自身を責め続けて心身を傷つけたり、命までを手放したりしてほしくないだけである。それだけは決して“正解”とは言えない結果だと思うからほかならない。

 ここまでの人生で何度「いかにして毒祖母から先立ってやろうか」と企てたか忘れたが、今は少なくともこの黒い眼で彼女の死に姿を見るまでは死ねないなと思っている。そして毒祖母とはまた異なる社会の不条理にも日々辟易していることも事実だが、それでもとりあえず今日を生きていくしかないのだなと感じている。

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