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短編小説「研究者と教師」


 
 

 「先生が研究者となられたのは『父の影響が大きかった』と、著書のあとがきに記されておりました。具体的にどの様な影響をお父様から受けられたのでしょうか?」よどみなく話すインタビュアーの彼女のその質問に、私は少々面食らってしまった。今私と彼女がいる研究所のこの一室は、私がマスター・フェローになってからインタビューの依頼があると必ず使用していた。そして、最初の質問こそ違えど、皆中盤からはある程度似通にかよってくるインタビューが通例であり、最近ではこの部屋にインタビュアーと一緒に入る瞬間、(時間の無駄である)という陰鬱いんうつとした感情が付いて回っていた。


 
 
 そこにきて彼女の質問は私にとってとても新鮮であり、虚をくものであった。「実は父も研究者であり、彼が私の知的好奇心の成長を促がしてくれたのは間違いない」私はパイプ椅子に斜め掛けするのはやめて姿勢を正した。そして、正面の彼女を見据えた。いや、今までも彼女を見てはいたのだが、今初めて彼女をインタビュアーとして認識した。「お父様も研究者だったのですか?私のリサーチ不足でした。申し訳ございません」彼女は目に見えて焦り、私に謝った。その一言で私についての多くのことを調べてくれていたことが分かった。ああ、そういえば彼女は、私の著書のあとがきまで読み込んでくれていたのだった。
 



 

 「いや、父が研究者だったことはあまり公の場では話してなくてね、君が謝ることじゃないんだ。それに研究者といっても、あまり優れた人物ではなかったから。僕が高校生の頃には雇止めも経験した筈だ。でも、彼は教師としては優れていた」私は彼女に話しながら、この場にはいない父に語り掛けるように賛辞を送っていた。「もしよろしければお父様が教師として優れていた点や、先ほどおっしゃられた知的好奇心の成長を促がされたお話、詳しくお聞かせ願えますか?」



 
 私は彼女の質問に答えるため、自身の父子の思い出の記憶を巡らせた。時間の前後などもう不明慮であるが、一つの思い出が鮮烈であった。「彼の性分は研究者というよりも、どちらかというと教育者側の人間であった。この二つは開拓者と宣教師くらい別物だ」「しかし、未開拓な地に踏み込むという点では同列では?」彼女のレスポンスの速さが心地よく私もつられて雄弁になる。





 「踏み込んだ先が視認できるかできないかという差があり、同列にはできない。研究者は一寸先が闇でも平気で進める。教育者は対象者にある程度のゴールを設定し指導を行う。終わりがあるかわからないものと、終わりのあるもの。おのずと気概も変わってくる」そこまで話すと私は机の上のペットボトルに入ったお茶を手に取り、キャップを開け一口飲んだ。そして一息つくとまた話し始めた。
 
 


 
 「彼は息子である私に対してのゴールの設定は絶妙であった。ある日、どうしても解き方がわからない中学数学の証明問題があった。その解き方を聞く為に彼の書斎へ行き問題を見せると、とても優しく教えてくれた」「素敵な思い出ですね、きっと息子にだけは教育者の顔を見せるお父様だったんですね」彼女が微笑みながら相槌を入れてくれた。
 

 
 

 
 
 「いや、話はこれからが本番だ。教育者としての性分であった彼だが残念ながら研究者として過ごす時間が長すぎた。証明の問題はすぐに解けたのだが、あろうことか彼は他の面白い解き方を見つけることをゴールと設定したのだ。父子揃ってそこから日付が変わるまで補助線を引いたり、高校で習う三角比まで持ち出し検討した。そこからだ、私の研究者としての知的好奇心が育ち始めたのは」ここまでの話を聞きながら彼女はメモを走らせる。このインタビューをまとめるにあたり、このエピソードが大きな根幹となると確信しているようであった。しかし、残念ながらそうはならないと、私は知ってしまっている。
 
 
 
 
 
 「その日から私はわからない問題があると、決まって図書室で調べるようになりました。図書室に通う習慣から私は司書の方のおすすめの本を読みあさるようになった。そして文学について強い興味関心が育ちはじめた。そこが言語学者になったきっかけだ。数学者である彼の自分本位な教え方から数学が嫌いになり、逃げるように本の海に潜ることを決めた。本当に彼は立派な反面教師でしたよ」インタビュアーの彼女の手は既にメモを取ることをやめており、代わりにテーブルの上に置いてあった携帯の録音ボタンを押していた。どうやらこのエピソードは不要と判断し、録音を止めとようだ。やはり彼女は聡明である。







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