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裏と表の魂たち

1.

彼が亡くなってまもなく1年が過ぎようという頃、私は彼の子ども時代の親友に会った。

その人とは全く面識がなかった。彼の訃報を親友に知らせてほしいと、生前の彼から頼まれていたのでもなかった。彼はただ、親友の名前と勤め先の名前を私に教えただけ。でも彼は時々、この親友の思い出話や噂話を私に語っていた。

最後に語っていたのは彼の体調が急変する少し前だった。
「久しぶりに親友と言葉を交わした。いつもは会っても何もしゃべらないんだけど。でも、私の今の病気のことなんて話したって仕方がないから。」
と言った。どんな言葉を交わしたのかは聞かなかったが、おそらくこのときに二人が話したのは、ごく軽い挨拶のみだったろう。子ども時代の親友と言えど、今ではだいぶ疎遠になっているんだと私は感じた。それでも、長年言葉を交わさなかった二人が、最後の出会いで軽く言葉を交わしたというのは、今にして思えば二人の別れの挨拶だったのかもしれない。

2.

彼が亡くなって1ヶ月過ぎた頃、私は悲しさや虚しさの中でも気を張って、彼の家の遺品整理をしていた。そしてふと、彼の子ども時代の親友だという人に、彼が亡くなったことを知らせた方がいいのではないかと思いついた。友達らしい人のほとんどいなかった彼が、唯一私に名前を教えた人だったから。彼が言っていた親友の勤務先名をネットで検索し、電話をかけた。

その人は出た。しかし私が告げた彼の名前を聞いてその人は、
「どちらの〇〇さんですか?」
と言った。確かに彼の名字はどこにでもあるし、下の名前は音だけ聞くと女性の名前のようだから、突然聞かされてすぐに彼と繋がらなくても無理はないかもしれない。居所を告げてようやく繋がったようだったけれど、はたしてフルネームを聞いて思い出せないのでは、「子ども時代の親友」とは彼が一方的に思っていただけなんじゃないかと思った。

その後も親友さんからは特に、遺品を見に来たいという連絡も来なかったので、そこまでではないんだなと思った。私にできることはここまでで、私は親友に彼の訃報を伝えただけで、私の彼らに対する役割は果たしたのだと。それからしばらく、私はその人のことを忘れて過ごした。

3.

3カ月を費やした遺品整理が終わり、彼の家が取り壊されるのをぼんやりと見つめ、何もなくなった跡地に吹く風を来る日も体に感じながら、私は「愛する人を亡くした人の気持ち」をひととおり味わった。痛みや虚しさは時間とともに薄れていくようには思えなかった。悲しみを自分の一部にして生きていくしかないと心した。

しばらくして心虚ろなまま自宅の引っ越しを経験し、私はそのあとから体調を崩した。引っ越し疲れとともに、悲しみが体にも蓄積した「悲しみ疲れ」ではないかと考える。その頃から、彼の親友にもう一度連絡をしたいという衝動が私の意識に上っていた。

彼との新しい思い出を紡ぐことはもうできない。でも私は、彼のことをもっともっとよく知りたかった。彼の人生をより深く理解したかった。私のこの先の人生をかけてでも。そのくらい、彼は奥深く、魅力的だったのだ。親友は彼のことを親友だとは思っていないのかもしれないが、私が繋がれる、彼の過去を知っている貴重な人物には違いなかった。ほんの些細なことでいいから、彼の子ども時代のエピソードを聞いておきたい、聞いておかなければいけない、と思った。

4.

私が再び彼の親友に電話をかけたのは、私の体調がほぼ元に戻ったタイミングで、彼が亡くなってから11カ月が過ぎるころだった。

その人は私の要望を思いのほか快く受け入れてくれた。私はすぐにその人に会いに行った。結果は200パーセント、その人に会えてよかったと思った。会わずに終わっていたらと思うとゾッとしてしまうくらいだが、かなりのブランクにも気後れせずにその人に連絡を取ることにした私の直感を頼もしく思う。

彼から聞いていたほんのわずかな情報から、私は親友氏に対し、彼とは正反対の人物を想像していた。実際に会ってみると、親友氏の第一印象は見た目も人に対する物腰なども思った通りに彼とは正反対だった。というより、人と全くと言っていいほど交わらない彼のほうがどこにも居ないタイプなので、いかなる人も彼と正反対だと言えばそうなのだが、親友氏は私の中で最上級に社交的で人当たりのいい人物で、伺ってみるとその人生で身を置いてきたステージもまた、彼とは真逆だと言っていいものだった。

ところが、話しているうちに私は気づく。一見真逆のタイプである親友氏の瞳の奥に湛えられているものは、しっかりと彼と同じ匂いがするということに。

5.

少年時代の二人は、私から見て、親友と言って差し支えない間柄だった。絵描き仲間で漫画オタク同士の二人は、同じ夢を見ていた。しかし、その夢への向かい方は正反対だった。二人は夢を語り合い、互いに議論し合った。そして、途方もない時間を二人でただ黙って紙に向かい続けた。紙と鉛筆さえあれば、二人は何者にでもなれたし、どこへでも行かれた。

こうして、高校入学を機に二人の人生が別々の道に分岐するまでの間、二人は毎日のように会い、精神の成長を深く共有していたのだった。二人はとっくに言葉の要らない間柄になっていたようで、その後つき合いの途切れていた40年あまりの間も、近所で出くわすことがあっても互いに一切言葉を交わさなかったという。それでも目と目で通じ合えていた、と親友氏が教えてくれた。

なんと不思議な関係だろう。同じ目をした二人の少年が、同じ地域で全く正反対の人生を歩みながら、60数年もの間、心の中ではお互いをいつも思い合っていたなんて。

彼と親友氏は、まるで同じ魂の裏と表のようだった。

6.

私は親友氏に彼の未完成の遺作原稿を見せた。親友氏は目を見張りながら、
「この域に達していたのか……!天才だよ、これは!!」
と興奮して言った。そしてさらに、信じられないことを言った。
「この原稿は完成しているよ。俺にはわかるんだ。描き終わってはいないんだけど、彼の中ではすべて出来上がっていたんだよ。“未完成の完成”なんだよ。」
親友氏はそう言いながら目をキラキラさせた。私はそれを聞いて雷に打たれた。

「いや、あれは彼が生涯かけて探求してきたものの完成形だよな。自分の人生をあれほどまでに完成させられる人って、いったいどのくらいいる?あれはもう大成功だよ。」
彼とは正反対の人生を歩んできた親友氏が、ささやかで人目に触れない彼の人生の孤独な大成功を唯一理解した、いや「発掘した」ということに私は打ち震え、感服した。

そしてつくづく、ふとした思い付きが重なって私が彼の親友に会いに行き、彼の遺作の原稿を見せるに至った一連の流れをしみじみと、不思議に感じるのだった。

曲は本文とはあまり関係ありませんが、このところ私の頭を巡っている曲です。

<永遠の少年たちへ。永遠の少女より。>

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