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旅立って見る景色 ~家族との新たなつながり~

●テーマがあれば話せる
決して雑談が得意な家族ではない。
でも、テーマがあれば話せる家族であった。
新たな発見である。
そのテーマとは、親亡き後のアレコレについて。
家族との新たなつながりが、コロナ禍で生まれた。

●話し合いにくいと言われるが
巷では話し合いを持つのが難しいケースを耳にするが、比較的建設的に話ができていることは幸運だと思う。
もちろん、感情的なものは多く発生する。
家族である、身近な存在であるがゆえに「(分かってほしいのに)何で分かってくれないんだ」と起こる爆発。
このカッコ書きの中のことに気づけているかどうか、冷静になった時に思い至れるか、が試される。

●この世を去ることへの距離感
親と子であれば、距離感はだいぶ違う。
子の年齢なら、頭による情報処理に近いから、感情を抜いて会話することができる。
でも、親の年齢なら感情を抜きにして会話することは相対的に難しくなる。
そういった視点や感覚の違いを理解して、言葉選びをする。
それが一つの学び。

●親兄弟と言えども
価値観は違うという前提は、とても大きなカギになる。
同じ出来事、風景を見ても皆受け取っているものが違うのだ。
それは、生きる中で何を大切な軸としてきたか?何に引っ掛かりを感じるか?紡いできたストーリーが、違うから。
親兄弟だからと言って、一色にすることは出来ない。
だから、言葉の端々などから「きっと、こういう価値観を持っているのだろう」と仮定していくことが大事になる。
それらの違いを、目の前のテーブルに出し合っていくことでしか、進まない部分だってある。
言いづらいことや、見たくない内なる感情があったとして、そういうものを出し合う練習をするのが家族というものなのかなと、一旦解釈している。

●微笑ましい家族像でなくとも
この年齢になって、こんなコミュニケーションを家族とできると思っていなかった。
けれど、テーマをふまえれば、この年齢になったからこそできるコミュニケーションなのだ。
10代の頃に描くような家族像ではないけれど、この感じを少し誇りに思う。
一つ屋根の下に集った魂同士としてシェアする体験があり、それが何なのかは人それぞれ違うのかもしれない。
それに、このテーマがあるからこそ初めて触れた情報や仕組みもたくさんあり、意識の広がりを実感する。

●どう生きたいか
どう生きたいかを問う側面もある。
親世代ほど土地や集団や時間への縛りが強くない中で、何を選んで経験していきたいのか?プラン創りが試される。
この世を去ることへの距離感がまだあるからと緊急性を感じなくとも、重要性はとてもある。
さぁ、心の綿毛をふぅぅぅっっっと、飛ばせる支度を。

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