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サッカー観て 神社に行きたい。ーヴィッセル神戸編

試合前に耳にすると滾るチャント、他のチームのものでもありますよね?
敵ながら、ちょっと感動しちゃったりするけど、我に返って「負けないぞ!」と焚き付けられるような。
神戸讃歌も、その一つだったりします。
こんにちは、神戸は行ったことのないかちこです。

 今回はヴィッセル神戸編。
兵庫県は淡路国あわじのくに播磨国はりまのくに但馬国たじまのくにと摂津、丹波の一部から成りました。
三国+二国の一部・・というのは中々の広さ。面積としては第10位ですが、日本海と瀬戸内海と面してますからね。
「兵庫」は「ツワモノグラ 」、交通の要所に設置された武器を仕舞う倉庫のことです。

なんと、兵庫県は古墳の数が日本一!
日本に存在する古墳の12%が兵庫県を占めています。
「神戸」の地名は全国に沢山ありますが、三重県以東の東日本では「かんべ」、以西「こうべ」の発音が多いようです。
平安時代に編纂された「和名抄」には「摂津国八田郡神戸郷」と記されています。
 「神戸」は神社に属した民戸みんこのこと。
後述する生田神社の属した民戸があった土地であったことが、「神戸」の由来。
源平合戦の舞台となった場所でもあり、源平絡みの史跡も多く残ります。
神戸の港は「務古むこ」(務古水門)と呼ばれ、大輪田おおわだとまりとして奈良時代からの海外との玄関口。
務古(无古)の由来は、椋木むくのきの地だとか、難波の「向こう側」だから、とか諸説あり。
港は平清盛が改修し、鎌倉時代からは「兵庫津ひょうごつ」となりました。
時代は下って慶応四年、外国人との紛争を避けるために、幕府は神戸港を開港場とした。

ヴィッセル神戸のホームスタジアム、NOEVIRスタジアム神戸。
ノエスタは、ホームとアウェイの席が通常と逆。スタジアム北側に病院があるから振動や騒音を考慮してなんですってね。
初めて知りました!

生田神社いくたじんじゃ

ノエスタから車で17分、電車だと30分弱。
「生田」は元々「活田」だったそうで、「活田」は円玉を示し、海から見ると生田の場所が半円に見えるからという説があります。

創建は201年。元は生田川の水上、砂山いさごやまにあったとされ、川の大洪水により現在地に避難させたとのこと。砂山は神名備かんなび(神さまが降りるご神体となる山)。
神社の西南約100mのところには、祭祀用土器が出土した生田遺跡があります。祭祀土器は縄文時代のものですが、遺跡の一画には弥生時代から明治時代までの複合遺跡も出土したそうです。複合遺跡は日本では珍しい。
生田川を中心に村が出来て拓けたようです。

神紋は八重桜紋。
「梅は岡本、桜は生田、松の良いのは湊川」と謡われて、桜の名所だったことから、桜紋になったようですね。
生田社、生田宮などとも呼ばれていました。

御祭神は稚日女尊わかひるめのみこと、天照大神の幼名だとか、もしくは妹だとか様々な説があります。
ワカヒルメの「ワカヒル」は「若昼」=卯~巳刻(午前6時~10時)を表すので、天照大神の幼名及び妹では?と推測されているようです。
神功皇后が外征の帰路に、稚日女尊からの神託があり創建されたと伝わります。
歌枕にもなっている生田の森。
昔は壮大な鎮守の森でしたが、開発が進み今ではかなり小さくなったようです。かつて、源平合戦の戦地になり、幾度か戦場になった場所です。
ちなみに生田神社では、お正月に門松ではなく「杉盛」を飾ります。昔々に杉が倒れて本殿を壊したから…という話も伝わりますが、生田の森の地層には溜水が多く、松が育ちにくいのではないか?という考察もあります。
境内には松尾神社と大海神社。
特殊神饌として「へそだんご」があり、子どもに食べさせるんですって。色々オシャレなのに「へそだんご」は、なんだか素朴で民俗学好きには、グッとくる。

御祭神が稚日女尊ということで、縁結びをご利益とされ、女子向けな物が目白押し。
縁結び水占いや、Familiarコラボの御守り、御朱印もキラッキラ~~~!うん、都会的。立地も含めて都会的神社。
創建時に四十戸余だった神戸も明治には十二戸に減ってしまっていたようですが、こちらも可憐に復活し街も非常に栄え、戦災も地震災害からも復活したとして、甦りや復活をご利益に求められる方も多いようですね。

ちなみに生田神社の裔社(氏子地)の八社を巡る「八宮巡り」もあり、専用の御朱印帳もあります。
一宮神社から始まり八宮神社までを巡る旅。
おすすめコースの紹介もあるサイト、載せておきますね。
一宮から八宮まであるなんて、中々レアですね。
背番号8の選手推しの方に、特に巡ってもらいたい♡

 長田ながた神社

ノエスタから車で13分。生田神社からも車で18分ほど。

長田は「奈以多」「奈加多」と書かれ、川に沿って細長く水田が広がっていたのを由来とされています。
神紋は菊菱ですが、昔、境内に鶏がたくさんいたらしく鶏紋も使用されています。かわいい。
一の鳥居に坐す狛犬。足に布のようなものが巻き付けられています。これは江戸時代から始まった風習で、家出人が戻って来るようにの願掛けや、愛情止め、不幸止めの願もあるみたい。

御祭神は事代主神ことしろぬしのかみ
神功皇后が御祭神の事代主から神託を受け、山背根子やましろのねこの娘・長媛ながひめを斎き祀らせたことが始め。
事代主は神功皇后の船を護ったとされ、神域は北に向いた舟形をしている。(地図見ると確かに、そう見える~!)
事代主は所謂、恵比寿さまと習合されて商売繁盛のご利益です。
 中世は武家から崇敬され、源頼朝奉納の御神輿(国の重文)などがあります。
境内には小さめな末社がありつつ、少し大きな楠宮稲荷社。裏手に大きな御神木のある稲荷社なんですけど、ここは「痔病平癒」のご利益!
ある時、大雨で洪水に見舞われた境内に赤エイが彷徨い、楠の元で消えたとされ、それから赤エイは神様だとされるようになったので赤エイの絵馬なんですって。
名前書かなくて良いらしいので、痔病に悩まされてる方はボラギノールと共にこちらにもお参りを。

あとは眼鏡の碑があり、10月1日(メガネの日らしい)に「眼鏡感謝祭」を催し、眼鏡を供養するんですって。へえ。

長田神社といえば、有名なのが特殊神事の古式追儺ついな。追儺とは、「おにやらい」簡単に言うと、節分の鬼は外~です。
ですが!
長田神社の追儺は、鬼は内。
鬼は神様の使いとされます。神事では松明を持った七人の鬼たちが練り歩き、無病息災、一陽来復を祈ります。
いやぁ、フロサポとしては鬼は内なので、親近感ですよね。
松明の燃え残りを家の入口に吊るして、餅花っていうのを食べるんですって。

https://youtu.be/O6Apg471lpQ

和田神社わだじんじゃ

ノエスタからも近い神社。徒歩10分ほど。
ヴィッセルさんの必勝祈願を執り行う神社。

和田岬に御祭神である蛭子大神ひるこのおおかみが流れ着き、お祀りしたことに始まる和田神社。
和田宮とも呼ばれています。
 流れ着いたのは、蛭子えびすの森と呼ばれる場所だったそうですが、明治時代に岬の埋立が進み、現在地に移転。
平清盛が厳島神社の御祭神である市杵嶋姫大神いちきしまひめのみことを勧請し、祀られています。
そして、もう一柱。天御中主大神あめのみなかぬしのおおかみ、高天原の主祭神。概念的な神様で、信仰の対象となったのは近世に入ってから。
ご由緒も1659年に天御中主大神の祀られた御神輿が流れ着いたのをお祀りしたとのこと。
天御中主大神は北斗信仰、北極星信仰や妙見信仰と習合されていて、それらは海に関わる人々の信仰が多いです。
港町ですから、海に関わる生業の人々の信仰を集めたのでしょう。現在では、主祭神となっています。
和田宮と呼ばれ、南浜の産土神うぶすながみとして、航海安全の神として崇められてきました。
和田神社の神紋が束綿ゆいわた
どうも関わりが見えない紋で、神職家と関係があるのかしら。家紋としても珍しい。

2828坪の境内には、巳塚へびづかがあります。
白蛇が度々現れた話が伝わり、神様の使いとされています。
お社の中には山ほどの白蛇~~~!
500円を奉納し、小さな白蛇さんに願い事を書いて納めるんですって。
御祭神の市杵嶋姫大神は弁財天と習合されていて、弁財天と白蛇もセットで表現されることもあります。
白蛇っていうと、金運アップなイメージですが、弁財天様もいらっしゃるので女子力アップをお願いするのも良いかもしれない。

前述の長田神社と同じで、ここでも狛犬に足止めの願掛けがされていて、和田神社では願掛け用の布も用意されてるそうです。


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