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あんな「大人」になりたい

昨年、志村けんさんがお亡くなりになられた。

私達の世代にとって、志村さんは特別な存在だ。学生時代からネットのある生活環境で育った世代をデジタルネイティブと呼ぶならば、小学校入学前から「志村けん(敬意を込めて敬称略)」がいた私達はドリフネイティブだ。東村山音頭、ひげダンス、「からすの勝手でしょ~」、、、。学校で人気者になるためには、とりあえず志村けんの物真似をしておけばよかった。ネイティブでない親世代との間には少なからぬ断絶があった。「全員集合」の視聴妨害工作にあったり、抱腹絶倒をしかめっ面で牽制されたりしたものだ。

大人への階段を上る途中、ドリフ的なものが多少子供っぽく感じられ、「好き」を公言するのが気恥ずかしく感じられることもあった。「ひょうきん族」や、もっと「おしゃれ」で「ひねりの効いた」お笑いの方がイケてるようで、そちらに浮気したりもした。しかし、志村けんはずっと変わらず待ってくれていた。こちらが歩み寄りさえすれば、いつでも、小学生の頃と同じ抱腹絶倒を約束してくれたのだ。ガールフレンドと別れた後も、仕事でへこんだ後も、つい最近まで。いつしか志村けんは、面白いコメディアンの一人から、憧れの大人の一人になっていった。あんな大人になりたい。

今回のような特別なロス感は忌野清志郎さんがお亡くなりになられて以来だ。清志郎(敬意を込めて敬称略)も、小学校以来、いつも憧れの大人、人生の先導者であった。そして親世代との断絶を作るものでもあった。志村けんも清志郎も、親世代の代弁者ではなくて、自分達側に寄り添ってくれる年上の存在だった。そんな存在が、自分も早く大人になりたいと思わせてくれたのだ。

言うまでもなく、50代は世間的には大人だ。しかし50代にもやはり、憧れの「大人」の存在、あんな「大人」になりたい、が必要だ。年を取ることに対して前向きになることが出来るからである。

私にとっての、あんな「大人」、は他にもいる。敬意を込めて敬称略にて。

平沢進(1954年生まれ67歳):「師匠」。1970年代日本でテクノを始めたYMOじゃない方。今年もフジロックのステージに上がる。

鮎川誠(1948年生まれ72歳):シーナ&ザ・ロケッツのボーカル・ギタリスト。1970年代日本でロックを始めた人の一人。恒例の73thバースデー記念ライブを今年も行う。愛妻家。

タモリ(1945年生まれ75歳):認知度ほぼ100%の人生の達人。タモリ倶楽部、ブラ散歩。

田中泯(1945年生まれ76歳):1960年代から独自のスタイルで踊るダンサー、海外で高い評価。八日目の蝉、龍馬伝等、えぐい存在感。今年も東京で3日間のダンス公演を行う。

こんな「大人」になりたい。

50代など若輩者なのである。

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