コロナ禍のオリンピックが見せつけた格差と分断

オリンピズムの根本原則には 社会的な責任、普遍的で根本的な倫理規範、 人間の尊厳の保持、平和な社会の推進、人類の調和のとれた発展を掲げている。しかし、コロナ禍のオリンピックが見せつけたのは様々な格差と分断であった。

オリンピック開始前にオリンピック開催反対の声があがった。コロナ禍でお祭りをすれば感染拡大につながるとの声です。結局オリンピックは無観客で開催され、新型コロナは急激に拡大しています。

医療関係者は自宅で静かに感染するようにとアピールしましたが、残念ながら街に多くの人が繰り出した様子が報道されました。家で静かに観戦すれば、人流の抑制につながったのですが、逆になりました。

オリンピックに興味のない人、オリンピックをスポーツとして楽しむ人、お祭りとして楽しむ人の3つに別れていたと思います。きっと元から別れていたのですが、今回のコロナ禍ではっきりしたのです。お祭り=ハレを楽しむ習慣が定着している人はお祭りに依存し、他の楽しみに気持ちを切り替えられないのでしょう。コロナ禍で人命が失われても、その人達の命と気持ちに寄り添うことができないようです。しかし、大会関係者も報道関係者も行政関係者も競技中はお祭り気分を煽っているかのようです。

逆にスポーツに興味のない人は人生を賭けてスポーツに臨むアスリートの気持ちに寄り添うことはできないようです。同じ場にいても、関心の有無でお互いの気持ちが通わせられないのです。

他にもウイルスに対する知識や、倫理観、論理的思考、貧富の差など様々な格差をはっきりと感じました。コロナ禍で政府が医療の専門家の発言を軽視したことも含め、人を尊重する文化が根づいていないこともはっきりとわかりました。今、私達は格差と意識の分断の社会に生きています。

オリンピックは成功ではなく、課題を明確化しました。明文化されたルールや約束は、今まで守られないことがあるから明文化したわけです。そして明文化したから自動的に守られるわけでもありません。オリンピック憲章はこれから実現させなければならない目標ではないでしょうか。それは他人事ではなく私達も当事者だと思います。

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