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50代女が行くー弾丸!日帰りみちのく一人旅 in平泉② 高館義経堂・中尊寺編

こんにちは。カブトムシの母です。
 
私は20年来の大河ファンで『北条時宗』から欠かさず見ています。
今回の『光る君へ』も楽しく視聴。
これまで、平安時代にこんなドロドロした争いがあったのは詳しく知らなかったので勉強になっています。
 
そして、今回の平泉の旅で思い出したのが『義経』『鎌倉殿の13人』
頭に浮かぶのは『義経』で義経と弁慶を演じたタッキー&松平健、
『鎌倉殿の13人』で義経を演じた菅将暉

前回の記事はこちら ↓ 

サイクリング


駅前で誕生日の私と同じ「52」の自転車を借り、いざ出発。
 
その日はとても天気がよく、絶好のサイクリング日和
 
平泉でたくさん人が降りて行った時には「混んでるな~」と思いましたが、
みなどこへ行ったのか、自転車で走っていても観光客らしき人はほとんど見かけませんでした。
 
親切なレンタルサイクル屋のおじさんが道を教えてくれたのに、いきなり道を間違えて、地図アプリで検索してもイマイチよくわからず、モデルコース①の平泉世界遺産ガイダンスセンターはスルーすることに。

 次の無量光院跡は広い緑の広場?があるだけ。
ちょうど芝の手入れを作業員の人がしていました。
とりあえず写真をとって次へ。 

実物は平等院より大きかったとのこと

※    「無量光院」は3代目の藤原秀衡が京都の平等院を模して建てたもの。しかし、度重なる火災で焼失。現在は土塁と礎石が残っているのみだそうです。  

高館義経堂 

次は義経最期の地と言われる「こうかんよしつねどう」へ。
…と思ったら、正しくは「たかだちぎけいどう」(恥) 

たかだちぎけいどう

ここは世界遺産にはなっていませんが、毛越寺の飛び地境内だそうです。(「飛び地境内」って初めて聞きました。) 

階段を上っていくと芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」の石碑と見晴らし台がありました。

この景色を松尾芭蕉も見たのでしょうか。 

芭蕉が見た景色?

さらに行くと義経関係の小さな資料館と供養塔、義経を祭ったお堂が。

 資料館の資料によると、常盤御前が義経を亡くしたのが今の私と同じ52歳だったそうです。 

幼少期から晩年まで、共に暮らすことはほとんどなかった親子でしたが、
子に先立たれるのは辛かったでしょうね…と義経よりも常盤御前にシンパシー。 

稲森いずみ(常盤御前役)、そして、タッキーと菅将暉を思い浮かべながら合掌。  

弁慶のお墓

そのまま道なりに行くと、中尊寺が見えてきました。その手前には弁慶のお墓が。

 五条大橋での義経との出会いや最期の立ち往生などは後世の創作とも言われているとのこと。
しかし、義経の忠実な家来であったというのは史実ということです。

松平健の立ち往生を思い浮かべて合掌。  

弁慶のお墓

中尊寺

さすがに平泉で一番有名なお寺だけあり、さっきまでとは打って変わり、観光客でにぎわっていました。 

勉強不足でお恥ずかしいのですが、中尊寺というのはぽつんと一つの寺があるだけだと思っていました。
が、門をくぐり、山道を登っていくと、ここにもあそこにも寺や神社が! 

後から知ったことですが、この山全体の総称が「中尊寺」

その中の本寺が「中尊寺」と名前のついた寺で、それ以外の17カ院は支院であるとのことです。
なんと山全体が「中尊寺」とは!?  

しかし、全ての寺社をお参りしている時間はないので、とりあえず本寺である中尊寺を目指しました。 

本寺の中尊寺は成田山新勝寺などと比べると、こじんまりしたお寺でした。 

石の手水舎

そこで息子の病気回復祈願をしてから、一番見たかった金色堂へ。 

チケット千円払い、中に入ると暗い部屋の真ん中に写真などで見たおなじみの金色堂。 

第一印象は「思ったより小さいな。」でした。 

写真で見る金色堂はそこだけアップで写されているので当たり前といえば当たり前ですが、自分の頭の中で、さらに大きく壮大なお堂を作り上げてしまい、期待値を上げすぎて、「あれ?」という感じ。 

お寺の中にあるものとばかり思っていたのが、そこだけ切り取られて博物館の一角のようになっていたのもちょっと違和感。 

たとえるなら、マスクで顔下半分隠れた人の顔を勝手に美しく想像して、実物を見た時に「あれ?」と思う感じ。 

これは、30年くらい前、エジプトでピラミッドを見た時に感じたのと同じ感覚でした。

写真を見過ぎて、勝手に広い砂漠の中にドーンとそびえ立っているのを想像していたら、思っていたより小さく、すぐ近くはガヤガヤした街で、舗装した道路に車やラクダが歩いているのを見て、ちょっとがっかりしたことを思い出しました。 

冷静に考えれば、これだけ金を使うのもものすごいことなんですが…。

 勝手に期待して、勝手に失望してごめんなさい…と何だか申し訳ない気持ちになってきました。 

面白いと思ったのは、下の部分に奥州藤原氏4代のミイラが眠っているということ。

後で同僚に得意げに話したら、「はいはい」という感じだったので、知ってて当然の知識? 

4代泰衡は源頼朝に討伐され首を晒されてしまったのでミイラも首しかないとのこと。お気の毒に…。 

せっかくなので、記念に建立九百年記念の特別御朱印(千円)をいただいてから、金色堂をあとにしました。 

 その後、博物館も見学し、お土産にかりんとう饅頭と、自分用に南部鉄器の風鈴を買い、能楽殿、薬師堂などいくつかのお寺を回った後、下山しました。

全部は回り切れませんでしたが、風情のあるお寺や神社がいっぱい。
日帰りじゃなければ、もっとゆっくり回りたかったです。

でも、天気がよく、緑に囲まれたパワースポットで、
しっかりフル充電できました!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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