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歴史小説の門を開ける

長年、歴史小説には苦手意識を持っていた。
漢字が多いし、文体も固い。
なにより、登場人物の名前がみんな似ていて、誰が誰だかわからなくなり、物語に全然入っていけない。

そんな私だが、最近夜な夜な「戦国無双」というゲームを楽しんでいる。
「戦国無双」は歴史上有名な武将を操り、敵をばったばったと切り倒していくアクションゲームである。
仕事終わりで疲れている夜に、自分が強い武将となって雑兵をなぎ倒すのがいいストレス解消になっているのだ。

武将になりきって戦っていると、登場するキャラクターにだんだんと愛着が湧き、戦国時代が身近なものに思えてくる。
そんな中で、本棚に『村上海賊の娘』という歴史小説が刺さっているのを思い出した。
『村上海賊の娘』は戦国時代、瀬戸内海の村上海賊を舞台にした歴史小説で、2014年の本屋大賞を受賞している。
たびたび面白いという噂は聞いていたので、古本で安くなっていたものを買っておいたのだ。

「今なら歴史小説が読めるかもしれない」
そんな思いで、パラパラとページをめくっていく。
序盤でゲームにも登場する雑賀孫市が登場し、テンションが上がるが、やはり似たような名前ばかりでなかなか物語に入っていけない。
主人公の周りの登場人物の名字はみな村上で、名前は武吉、吉継、吉充、元吉となっており、なにがなんだかてんてこまいである。
挫折しそうになりながらもなんとかページをめくっていき、3日をかけて1巻を読み終えた。

『村上海賊の娘』は文庫で全4冊。
この冊数も読むのをためらわせるものだったのだが、1巻を読み終えた私は2巻が待ちきれず、その日の夜に本屋に買いに行った。
つまり、もうハマっていたのである。

それからは早かった。
2巻3巻をそれぞれ1日で読み切って、次の日の出勤前に4巻を買いに行き、その巻も日中に読み終えた。
こんなに小説にハマるのは珍しいと思うほどの、5年に一度くらいのハマりっぷりだった。

何がここまで自分を夢中にさせたのか。
『村上海賊の娘』は登場人物の魅力もすごかったが、それを包括する歴史小説自体の魅力としては、戦国時代における命への向き合い方が挙げられる。
それを象徴するのが、主人公の景(きょう)と一向宗門徒のやりとりを解説する以下の文章である。

景に限らず、当時は、自他の命が現代とは比較にならぬほど軽く考えられていた。ゆえに戦に及べば自らの命など塵芥のごとく捨てて掛かったが、門徒たちのように浄土があるからと、あっさり死を受け容れる境地にあったわけではない。景はむしろ死など蹴り飛ばし、命ある限りこの世の面白さを味わい尽くすつもりでいた。

『村上海賊の娘』

現代ではとにかく死を避けようとするのが当たり前だと思う。
100歳までは生きれるかもしれない。でも生活するために楽しくもない仕事をし続け、結果としてなんのために生きているのかがわからなくなる。
それとは対照的に、死ぬかもしれないが自分の意志に従って生き抜く作中の人物は輝いて見えた。

歴史小説はその構造から、「どう生きるか」を突きつけてくる作品になるのかもしれない。
そして、その問いは「生きる」意識が麻痺している現代人の胸に深く突き刺さってくる。
少なくとも私は『村上海賊の娘』を読んで、「もう少し人生を楽しんでもいいかもしれない」と思ったのである。

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