見出し画像

なんのために詩を書いていたんだっけ

若い頃はただただ「書かないとしぬ」それだけだった。
自由に楽しめた。
月日が過ぎて、「人より優れるのが嬉しいってどういう気持ちか知りたい」と思うようになり、地方新聞に投稿するようになった。
短歌とともによく入選した。

ところがそれが仇となり、詩がまったく思い浮かばなくなった。
100%自分のために自分が楽しいものを書く。
その喜びとエネルギーを失ったからだ。

ネットの某所に詩の投稿所があり、ないものを振り絞るような思いで詩を書き、投稿した。
2回入選した。

しかし、「この人は巧い」とか「最後の一行で陳腐に終わらなくなった所が良い」という感じの選者さんのお褒めのお言葉を見て、
「もはや私が私のために書く詩など入れない場所ではないか。小細工を埋め込んで小細工だけを評価されたようなやるせなさだ」。

そもそも輝くような才能はないので、応募はそろそろ潮時だと思っている。
でも、一度失った詩を書きたいというエネルギーはそれで帰って来るのか。それ以前に帰って来て欲しいと思っているのか。
自分にも分からない…。


追記
日本現代詩人会の投稿欄で二回入選。
それぞれ違う作品を違う先生が評価してくださったのだが、選評に一致点があることに気づいた。
「最後の一行が巧い」。

え?なんのこと?

…と、偉い先生に読んでいただくことは、自分では気づかない何かを教えてくれるありがたみはある。

この記事が参加している募集

スキしてみて

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?