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【タイ移住日記2023/12/27-2024/1/3】「年末つまんね」って回文になってるよねって言ってたら年越してた

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

地震や事故で被害に遭われた方のお悔やみとお見舞いを申し上げます。

目次の下から本文が始まります。

こんなに年末感のない年末は初めてだった。そして気づけば私は2024年にいた。
半袖を来て師走の暮れに外を歩いているからだろうか。クリスマスもツリーがそこら中に立っているものの、それが意識に語りかけないようになっている。そして年を越してもなお、家では半袖短パンだ。外は風があったり、お店のクーラーが効きすぎていたりと寒いので、上着は持っていくが、それもUVカットメインで、かなり薄いやつで事足りる。
なぜか家では日テレと日本版NHKが映るので、駅伝を見てようやく新年を感じ始めた。

友と過ごす年末年始

12月の頭に友人が「タイにいきたいなあ」「ラオスに行きたいなあ」と話しており、年末タイにいるしおいでや!という話をしていたら即刻もう一人友人を誘い、年末年始4泊5日のチェンマイ旅行が決定した。

なんともフッ軽すぎる友である。二人とはインドネシアに共に派遣され、コロナ禍でも連絡を取り合い、年に一度はあっている。二人とも最近海外に旅行に行っていたので、さすがに年末年始はと思っていたが、やっぱりフッ軽な友である。

妻も予定がなかったので、4人でチェンマイの有名なマーケットを巡ったり、チェンライに日帰りで行ったり(日帰りとはいはいえ、朝7時に出発して帰ってきたらもう深夜だった)、タイ初めて&過去にチェンマイに一日滞在し、バンコクにも行ったことがある二人で、タイらしいアクティビティを体験し、私は動物が苦手なので見るだけに徹した。

年始から業務お疲れさまです。人間を癒してくれてありがとう。

海外にいるのに年越しイベント会場に行かない私たち

大晦日。私たち4人は朝からマーケットやスーパー、雑貨屋さんなどを転々とし、日が暮れたころにターペー門に着いた。そこはチェンマイで一番大きな年越し会場になっており、新年のお祝いとクリスマスが混じった特殊な雰囲気であった。4人で写真を撮りまくった後、サンデーマーケットを一通り歩き(年末でもやってるんだと驚き。ロイクラトンの時よりは観光客は少なかった)、北タイ料理を食べるためにそのまま歩いて旧市街の有名店へ行った。

夕暮れ。イベント会場。

お腹いっぱいになって帰ろうとしたときにはタイ時間21時半になっていた。車を探せど、アプリではなかなか捕まらず、街を歩いて見つけたソンテウに飛び乗る。その時点でタイ時間21時50分、つまり日本時間23時50分。やばいもうすぐで日本は年越しや!なんてテンションを上がっている中、途中で中心地で年越しをしたいカップルが乗り込んでくる。私たちは次の日はゾウキャンプに行く予定をしており、出発は朝早いねということで、早めに寝るつもりでいたので中心地の年越しイベントには参加せず帰ることにしていた。だからせめてこそ日本時間に合わせて年を迎えようということで、結局帰る道中のソンテウ車中でカウントダウンをし、ハッピーニューイヤーをした。インスタに上げようと思い、その瞬間を動画にしていたが、年を越した今何度見直してもエモい。イベント会場に行くのと同じぐらい、いや、それ以上に記憶に残る年越しになったかもしれない。タイらしい車に乗って、旧来の友と新年を迎える。チェンマイでの初の年越しは私の記憶に留まりづづけるだろう。

これだけで撮ろうとしたら、1人でこんな感じに撮りたい人が殺到。ボクちゃん日本のメディアデビュー。



今年の紅白は見るべきだったかもしれない

と思ったのは紅白放送終了後。日本時間で年越しをして間もなく、家に着いた。妻がシャワーを浴びている間にインスタやTwitterを散策する。あけおめのメッセージを載せている友人が去年より減ったのか、みんな寝正月にするのか、あまり流れてこない。特にTwitterでは紅白でのアイドルがすげえと話題になっている。タイムラインに流れてきた誰かが載せたテレビの映像を見たら確かにすごい。日韓アイドルというだけでなく、おそらくファン層が異なるアイドル達を同じステージに立たせ、そしてYOASOBIは曲の世界観を保つことに徹する。最後にあのちゃんと橋本環奈さまにある種ネットミーム化している二人の代名詞のポーズをさせる。YOASOBIの熱烈ファンかそれとも何かと文句をつけたいやつらなのかはわからないが、YOASOBIをバックステージで歌わせることに異議を唱えていたものも多くいたが、あのステージを作り上げようと発案した人、それを実現させるために調整をした人、「アイドル」として演じる人、そしてYOASOBIの演奏、そのベースとなる世界観を提供している「推しの子」、すべてが重なり合ってハーモニーとなっていた。最近はikuraちゃんのインスタライブは見れていないが、「夜に駆ける」ヒット前に幾多りらとして配信で歌っていた姿が当時衝撃で、そしてその子がYOASOBIのボーカルと知ったときはずっこけた。好きなことを極め、夢を大きく描き、素晴らしい仲間と出会うことを体現してくれているのがすごい。海外でのライブはまさに夢をかなえましたよ!というのを爆発させているようで、何度見てもすげえなあと思う。

タイでもワールドじゃなく日本版NHKが見られるマンションに住んでいるので、見たかったなあと思いつつ、チェンマイでの年越しは一生忘れられないものになったので、後悔はない。すばらしい年越しだった。


新年初投稿なので目標など書いておく

この記事のタイトルの通り、本当にいつのまにか年を越していた。それはただ単にぼーっとしていたわけじゃなくて、充実した生活の中でいつの間にか年を越していたので、年越しの見本ともいうべきなのかもしれない。

ただ、区切りをつけるというのも大事。特に気候の変化はあれど、日本ほど劇的に変わらない気候の中で暮らしているので、こうした新年の区切りとして昨年を反省し、今年をどうしたいか考えるのはとても大事なんだろう、と思い、書いておく。

2023年を振り返る

昨年は2月に結婚し、ほぼ同じタイミングで妻のタイ行きが決定、そして職場では以前から出していた希望が通り、会社全体を動かしていく部署に配属される。人生の大きなターニングポイントになったのは間違いない。停滞したコロナ禍の反動があった年だったとしか思えない。そのあたりは本当に日々モヤモヤした気分で過ごしていた。どうしようか、どうしたらいいのか。
結婚はその前から決めていたことであったので、明るい将来しか見えていなかったが、部署異動し、いわゆる上層部と話す機会が多くなり、コロナ世代と呼ばれる私の世代がどんどん転職をしていく中で残った「期待の新人」とされていた中での妻のタイ行き決定。私は会社員人生としては成功しているなと思っていたので、とても悩んでいた。妻についていくべきか、留まるべきか。ただ、その悩みは無理やり解決できるのではないかと思い、というか、その悩みは一瞬で消えた。二人で生活しながらもどうにかこの会社でできることはないかと。

異動でつかんだコネ(異動によりトップが直属のボスになった)を最大限使わせていただき、その事業部トップに直談判。グループの中でも海外事業をずっとやってきたトップは最大限いろんな提案をしてくれたが、結局はお互いの希望が合わず、離職せざるを得なくなったが、再雇用可能という条件を付けてくれ、円満退社。

退社後は退職金などが入るも、職をまだ見つけていない状況であったため、本当に大丈夫だろうか、とタイに来てもなおずっと思い悩んでいた。この日記を書き始めたころのを見るとずっとそんなことを書いている。ある種無気力状態であったと思う。タイ語も週に2日だけで、しかもやる気も出ない。

そんな中、ぐだぐだと生活していても妻は「早く働いたら」の一言も言わず、淡々とこのエッセイを読み、誤字があれば伝えてくれ、何もしていない私でもほっといてくれた。

そんな状況に甘えてられないと、タイ移住後3カ月後の9月に、伝手で、海外にいる日本ルーツの子供たちに勉強を教える家庭教師の仕事を紹介してもらう。学生時代にボランティアで海外ルーツの子供たちに勉強を教えたことはあったが、仕事としてはなかったため、初めての模擬授業。だいぶ緊張したが、これまでの経験を活かすことができ、そのまま採用してもらった。

11月になると、スカウトが来ていた会社のオファーで海外にいても大丈夫とのことで面談をしてもらうと、営業職だったが、趣味の話でブログや本屋の運営をしていることを話すと、それに興味を持ってもらい読んでもらうと、予想以上に褒めてもらえ、ライターとしてやってもらえないかと言われる。誰によんでもらえるかわからないネットの世界で苦に思わず長文を書き続けられる人はなかなかいないと言われ、確かにそれは私の強みというか特徴なのかなと気づく。そして今は学生として学んでいる身でもあるので両立できるようにととても柔軟な働き方を提案していただき今に至る。興味のあるAIのことを勉強できるし、記事を書く訓練を積むことができ、生活費の足しにもなるので一石三鳥。無理のないように自分の生活スタイルは崩さず、仕事に取り組んでもらえればいいよと温かく迎えてくれ、これまで通り、こんな長い日記を書くことができている。

プライベートでは(全部プライベートで、全部ノンフィクションでいろいろとさらけ出してしまっているが)、9月に大学1年の時からのチューターで今もよくしてくださっている先輩がバンコクまで遊びに来てくれたり、10月には同期のKくん、そして妻の家族が11月、そしてインドネシア時代からの友人が年末年始に、と日本からたくさん友人・家族が遊びに来てくれた。航空券も高いのに、最低6時間以上かかるのに来てくれてありがたい。そのおかげで、たくさん思い出ができるし、普段の生活の解像度が格段に上がった。だらだらと日々ポケモンだけしている日々では得られないことを来てくれる人たちのおかげで得ることができた。

2024年は。

2023年をバーッと振り返ってみた。私は結局自分から何かやろうとしてやってきたことなんてなく、周りの人たちに助けられて、ようやく今の自分を形成しているのかなと、トイレで長時間座っている時にいつも思う。

そういう人間性なので、学校や会社で無理やり決めさせられる目標以外はあまり自分から目標を決めたことなんてないし、大学受験の時もでかでかと目標なんて掲げずに、もくもくと知識欲だけで勉強していた気がする。

目標はどうしようか。
この生活を守り、一日一日を楽しむ。ことかな。別にこの楽しい生活が続くのなら欲しいモノなんてないし(本は読みたい)、アグレッシブに○○%の成長なんてできない。というか人間てそういう風にできていない。

やりたいことと言えば、んーーー悩ましい。パッと思いつかない。夏前に家族でやる結婚式を控えているのでそれをいい日にしたいというぐらいか。あとはたくさん本を読み、映画を見て、ポケモンのランクマッチでレートを上げ、タイ語をある程度できるようになり、このブログをもっと読んでもらえるようにオモロイ話をしたり(承認欲求のカタマリ(笑))、とかぐらいだろうか。近隣諸国もいけたら行きたい。

今年もがんばって書きますので、読んでくれると嬉しいです。
生きてるよ~と報告するためのものでもあります。
本年もよろしくお願い致します。


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