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こんな寒い中でよく桜のシーズンの旅行の予約なんてできるな、と思いながら、一日中電話やメールでくる旅行の問い合わせを捌いていった。窓の外に目をやるとコートをぶかっと羽織り、レンガ造りの駅舎に急ぐ人々が見える。もうそんな時間か。今日は仕事のきりが良かったので帰ろうかと思っていると、奥の会議室からドスドスと音を立てながら駆け足で大山部長が戻ってくる。

ああ、そうだ、今日は第三木曜日だ。周りの社員がそわそわしているなと思ったら異動発表日だったのか。まあ私はここに来てから一年しかたっていないし、と思い、ロッカー室に外套を取りに行こうとすると、

「小泉、こっちこい」

と後ろから大山部長に声をかけられた。

早すぎないかという顔を部長に晒しながら、部長のあとについて昼間はホテルなどの施設の営業マンと商談をするスペースに入った。

大山部長は席に座るや否や、私が座りもしないうちに、

「小泉やったじゃないか、来月から新戦略室に異動だ。高井室長のもと、アフターコロナの旅行業界をさらに盛り上げるための施策を考えて新しい収益基盤を作っていく仕事だ。小泉の希望ではないかもしれんが、この前の社内プレゼン大会があっただろ?その時のお前の鋭い意見を高井室長と神崎社長が気に入ったらしい。直々のご指名が入ったんだ。ここでのお前のてきぱきした仕事をそのまま活かしてくれよ。帰ろうとしているところすまんかった。残業代十五分申請通しとくよ」

 次の面談者がいたのだろうか、大山部長はそそくさと部屋から出て行った。がらんとした部屋の中、胃液の音が鳴り響いた。今日は牛丼屋に寄ってから帰ることにした。


「出世じゃないですか~小泉パイセン」

朝出社すると後輩の磯口がいつもの馴れ馴れしい様子で話しかけてきた。面白い返しをしてやろうかと思ったが、

「おお、磯口はいつ出世するんだろうな」

と、適当に返してしまった。何をやるかもわかっていないのに面白い返しなんてできない。ましてや今はまだ朝だ。頭も回転していない。

 就業時間となり、朝礼を終わらせ、メールボックスを見ると、一番上に神崎社長から高井室長と私宛に、

『今日十時から社長室に来てください。用意は何もなくて結構』

とだけ、社長から短文でメールが来ていた。朝溜まっていたその他のどうでもいいようなメールを全て読み終え、社長室に向かった。


「おう、お疲れ様。まだ配属されてもないのに急遽呼び出してしまってすまないね。次の業務は今からでも考えておいてほしい件だったから一日でも早くと思ってミーティングを設けさせてもらったよ」

とメールの文調とは違い、就職面接のときと同じような柔らかい物腰で神崎社長は私と高井室長を迎えてくれた。私がこの会社に新卒で入ったのは神崎社長のこの柔和な感じとそのマスクの下にある論理的な考え方に惹かれたからだ。日本では誰もが知る有名な社長なのに変な驕りがなく、ブラック企業ではないことを裏付けているような気がしたのが決め手だ。

「君たちの時間を奪ってしまうのも申し訳ないので本題に入らせてもらおう。新戦略というのは役員で話し合ったのだが、旅行業界はこの度のパンデミックで起こったように、ある国が入国できない措置を取るとそれに倣って他の国も同様の対応を取る。その結果、海外旅行ができなくなり、旅行会社は大打撃を受ける。なんて言ったって今の旅行業界はどの会社も海外旅行なくして収益を立てるのが難しい、というか、不可能だ。国からの公募事業をなるべくたくさん受注することでしか生存戦略はない。最近では地球温暖化の進行によって病原菌が多数発見されている。長期的な視点に立っても、国からのおこぼれ仕事をもらい続けるということもできなくなる可能性がある。つまり自分たちで稼げるような事業を作らなければならない。そこで、病原菌や世界情勢に巻き込まれない新事業とは何か。それはどの国の領土でもない、そうだ、宇宙旅行だ。それしかないだろう?」

と約三分間室長と私が口を挟む暇もなく、社長は語り続けた。隣で室長が待ってましたといわんばかりに、

「それはすばらしいではありませんか。そのような仕事をさせていただけるなんて、とても光栄です。私、じつは天文物理学を大学時代は学んでいまして、それをなんとか活かせないかとずっと思っていたんです」

と話し終えた室長は冬なのに溶けてしまったアイスクリームのようにデレデレした顔で社長の顔を見つめている。

「小泉くんはどうだい。君のこの前のプレゼンで一つのアイデアとして出していたものを採用したんだよ。君には室長任せにせず、どんどんこの事業を引っ張っていってほしい」

と社長に言われた私は、

「まだまだ先の出来事と捉えていたので、今からこの事業に取り組むとは思っていませんでした。頑張ってみます」

と、ありのままに話した。社長がぎょろっと大きな目が見えなくなるぐらい、にこっと笑った。こうして初めての新戦略ミーティングは終了した。


一週間後、本配属となり、同じフロアの隅っこにある『新戦略室』に荷物を引っ越して来た。元々物置小屋だったので机は新しいが、電灯が少し古いのか薄暗い。高井室長はミーティング以来だったが、少し溶けてスプーンの入りやすくなったカップアイスのように微笑みながら、

「よし今日からよろしくな相棒!いきなりだが午後にアポを取ってあるから荷物を片付けたら出るぞ」

高井部長と私は埃っぽい部屋で書類の山を順番に片付けていった。


午後、一時間半電車に乗って『ムゲンダイユニバース株式会社』の社屋に着いた。これまたおしゃれなのかどうかわからないが蔦が張り巡らされた古いビルの三階にある。案内されて中に入ると窓ガラスはあるもののすべて蔦で外が見えなくなっている。

「遠いところお越し頂きましてありがとうございます。お見せしたいものがありまして高井様にはご足労おかけしてしまいました」

と迎えてくれた栄主任がこちらに微笑みかける。笑っていないと吸い込まれるような大きな目で私に話しかけるので、内心おどおどしながら栄主任に案内された席に座る。

「本日わざわざお越し頂いて見ていただきたかったのはこちらのマシーンです」

と、手のひらに乗ったミニカーを見せられる。ただ、見た目でこれがおもちゃではなく複雑な機構を伴ったマシーンだとわかる。

「こちらはナノマテリアル技術を応用した伸縮自在の新素材、ユニマテリアルというものです。約百万倍の伸縮能力があり、これをもとに宇宙観光船を造船するため、ぜひ御社にはチャーターとして旅行商品を作ってほしいと高井室長にはメールでお話しておりました。この技術は世界初となり、世界中からお客さんが集まるでしょう」

 私はそんなものがあるのかと驚愕し、何も話せずにいると、室長は、

「是非ともうちで作らせてください。リーディングカンパニーである私どもが御社の新技術を世界に示して見せましょう」

とあっさり承諾しているのに違和感を覚えた。

「また私どものつながりで多くの宇宙関係者を紹介できますので彼らにランドオペレーターならぬスペースオペレーターになってもらうのはいかがでしょうか。打ち上げとなるといろんな手続きや打ち上げの安全を期すための宇宙観測や搭乗者の検査会社も企画のお役に立てるかと存じます。」

栄主任の大きな目と淡々とした言葉でいろいろと説明が続いた。高井室長は栄主任と意気投合したようで、このあと飲みに行くらしいので私はお先に失礼することにした。街の暗闇に向かっていった彼らは電灯に照らされた影が日に照らされた影よりも長く伸びていた。


 企画から手配そして募集にかけて三年を要し、種子島から打ち上げる日になった。私はこの間に結婚をして、職場ではリーダーに昇進した。この社をかけた一大事業に三年間で社内外から有能な人々が百名集まり、宇宙事業部が立ち上がった。私はパートナーに一カ月地球を後にするとかっこつけて家を飛び出してきた。高井室長は部長となり、打ち上げ前のセレモニーで共にこの事業を引っ張ってきた栄主任と神崎社長と共に登壇した。

 「お集まりの皆様、本日はお越しいただき誠にありがとうございます。ここに辿り着くまでにはいくつもの銀河を越えて参りました。この企画にはムゲンダイユニバース株式会社の技術がなければ実現することは不可能でございました。人類の夢でもある宇宙旅行にはこれまで技術や知識、そして巨額のお金を持たない人々は実行することができないことでしたが、我々の努力が今ここに実り、多くの人々に夢を叶えるチャンスを与えることができたことを嬉しく思います。この数十年私は弊社の神崎、ムゲンダイユニバースの栄と共に、地球人として馴染むまで苦労を重ねてきましたが、友人である地球人に我々の故郷をようやくお見せできることになりました。地球人のような醜い争いがなく、差別や偏見、そして格差は存在せず、お金などなくとも幸せに生きられるユートピアへ、これから皆様をお連れ致します!」

これが答え合わせだったのか。



この小説は、#青ブラ文学部の応募作品です。

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