kabocha_curvature

大学院生(地学?) 科学に関する日記や、旅行の記録など書いていければと思ってnoteを…

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大学院生(地学?) 科学に関する日記や、旅行の記録など書いていければと思ってnoteを再興しました。いずれは個人サイトへの移行を目指しています。身バレ防止のため専門に近すぎる話はしないかも。 mastodon: @kcurv@mastodon-japan.net

最近の記事

ドーナツとマグカップの話 後日談

4年くらい放置していた記事 が急にいっぱい読まれるようになっていてびっくりしました。どうやらXでバズった投稿があり、トポロジーを象徴する「ドーナツとマグカップ」の喩えを検索してこの記事に辿り着いてくれた人々が多かったようです。 一方Xでは、この「ドーナツとマグカップ」の話は何度もネタとして消費されつくしているので飽きてしまった、という人もいくらか見受けられました。 幾何学における「構造」の話そういう人のために、数学において「ドーナツとマグカップの同一視」はどのような位置

    • 放置されていたnoteを再び書く

      このnoteアカウントは、2年以上前に書いた記事を最後として長らく放置され、インターネットの海の底で藻を生やしていました。しかし、このアカウントを再び拾い上げ、続くかどうかは自信がないものの、また新たな記事を書いていこうという気になっています。 理由としては大きく分けて3つあります。まず、3年前に書いた数学の記事 が今でも結構読まれていることです。3年前の記事ですが週に100回くらい読まれています。数学のトポロジーを一般向けに説明する際に多く使われる、「ゴムのようにぐにゃ

      • 数学書の表紙を読む ちくま学芸文庫Math&Science編

        究極の浅読へのご招待数学の専門書を読むのは難しい。数学書を読むことはある意味で究極の精読を強いられる行為である。まず定義に始まり、命題や定理が述べられる。そしてその証明が展開され、それを繰り返しながら数学の理論がページを追うごとに組み立てられていく。難しいのは、その証明や定義が正しいものであると納得する行為である。ある定理が使われていれば、その定理が使える状況かどうかを確認しなければ正しさを納得できないし、初学者がうっかりスキップしてしまうような「行間」もあることが多い。知ら

        • 「ドーナツとマグカップは同じ形」をより深く考える 「同相」ってどういうこと?

          ドーナツとマグカップ  「数学者にはドーナツとマグカップが同じに見える」とは、トポロジーの考え方のたとえ話としてよく言われる。実際これは正しくて、ドーナツとマグカップのそれぞれに自然に「位相空間」としての構造を導入すると、2つの位相空間は同一視できる、すなわち「同相」であるということができる。  では、「同相」であるとはどういうイメージなのか。それはよく、上の例でいえば「ぐにゃぐにゃとドーナツを変形させていけばマグカップの形にできる」と説明される。これはわかりやすい説明であ

        ドーナツとマグカップの話 後日談

          グリーン関数の定義"ΔG=δ"とはどういう意味か? 数学的に正しい意味を知る

          グリーン関数との出会いと困惑 理学部の1・2年のカリキュラムにおいて楽しみだったのは電磁気学の講義である。私は物理学科ではないが、地球物理において重要な基礎の物理の中核であること、そして、電磁気学は数学の中でもっとも好きな分野であったベクトル解析を生み出し、また電磁気学自体がベクトル解析の最初の応用となることから、物理学科の電磁気学のコースを概ね履修した。  電磁気学のなかで困惑したのが、真空中に連続的に分布する(静止した)電荷によって生じる静電場を、「グリーン関数」なるも

          グリーン関数の定義"ΔG=δ"とはどういう意味か? 数学的に正しい意味を知る

          個人的高校数学最強定理「オイラーの多面体定理」について

          うつろうカリキュラムのなかで 高等学校の数学は中学で習う数学よりもいっそう抽象性が増し、多くの人々の青春時代において微分積分やベクトルという概念たちはことあるごとに立ちはだかる悪役としての役割を果たしてきた。一方で、その抽象性の広がりは、小学校以前から少しずつ広がってきた「数の世界」が際限なく続いていることを予感させることもある。私は数学の魅力にひきこまれて高校時代を過ごした。  さて、そんな高校数学も、その時代ごとのカリキュラムの変更によって、高校を理系選択で卒業した全て

          個人的高校数学最強定理「オイラーの多面体定理」について