放置されていたnoteを再び書く

このnoteアカウントは、2年以上前に書いた記事を最後として長らく放置され、インターネットの海の底で藻を生やしていました。しかし、このアカウントを再び拾い上げ、続くかどうかは自信がないものの、また新たな記事を書いていこうという気になっています。


理由としては大きく分けて3つあります。まず、3年前に書いた数学の記事

が今でも結構読まれていることです。3年前の記事ですが週に100回くらい読まれています。数学のトポロジーを一般向けに説明する際に多く使われる、「ゴムのようにぐにゃぐにゃ変形すると同じ形になる」という言明に違和感を覚え、そして書いた記事です。重箱の隅をつつくような話だと思っていてあまり自信のない記事でしたが、この話題が一般向けにここまで深く言及されることもあまりないので、それなりに読んでいただけているのかなと思います。

noteを書かなくなってからアクセス数が増えた記事で、自分の文章がそれほど読まれると思っていなかったので、やはり書くことをやめてしまうのはもったいないかな、と思いました。自分自身、過去の記事を改めて読み返すと結構面白くて、また書いてみたいなあという気になっています。

2つ目の理由は、最近twitterを見るのをやめてSNSへの抵抗感が薄れ、以前よりも軽い気持ちでインターネット世界を泳ぐことができるようになったこと。

Twitterはだいぶ前から見る専になっていましたが、Twitterを見ること自体に中毒性があり、それに染まっていました。しかし、あの世界は攻撃的なトレンドを常に見せつけることにより、人間の悪い本性を刺激し、さらに攻撃的なものを生み出すという非常に危険なスパイラルを内包していました。そこを毎日覗き続けた私は疲れてしまい、自分自身もそういった攻撃的な存在に化けてしまうことへの恐怖を覚え、ますますインターネットに何かを書くことが怖くなっていました。

転機となったのが昨年秋ごろからのTwitterの改悪に伴う他のSNSの「再発見」です。Twitterを離れて他のSNSに移住しようという運動が盛んになりました。その中でも、Twitterと似たミニブログでありながら、異なる特性・ルールを持つ別々のサーバーが共存し緩くつながりあう「分散型SNS」への注目が高まりました。そこでは、1つの巨大サーバーに全アカウントが詰め込まれるのではなく、ひとりひとりが自分に合ったサーバーを見つけることができます。また、検索機能やトレンドという便利な機能がないために、Twitterにあるような攻撃性の増幅機構が存在しないという、「不便の益」があります。

私自身もmastodonのアカウントを取り、使っていますが、サーバー単位で見たときの規模が大きすぎず、より人間本来の距離感に根差した適切なコミュニケーションが取れていると感じています。いつしか、インターネットに自分の文章やつぶやきを放り投げることへの必要以上のガードは剥がれ落ちてきました。そこで、このnoteアカウントを再生することで、mastodonと両輪でインターネット上で再び活動するための自分の基点としたいのです。

3番目の理由として、旅行の記録を公開する場所を作りたかったことがあります。

自分はもともと旅行が好きで、小規模なものも含めれば何度も旅をしています。そして、それを忘れないために、たまに文章として旅行記を書いています。ただし、これらの旅行記は誰にも公開していないものでした。

公開してこなかった理由としては以下の通りです。まず、旅行記は自分が旅先を歩いたときのことを思い出し、忘れないようにするために書くものであり、他人に見せるために書くものではないこと。次に、過去の旅ひとつひとつは主観的に見れば現在の自分自身を形作る極めて重要な経験でありますが、もしもそれらをインターネットの客観的な視点に晒してしまうと、その価値がひどく矮小なものに映ってしまい、結果自分にとって何か重要なものを失ってしまうのではないかという危惧です。

そんな旅行記の公開に踏み出す背中を押したのは最近読んだ

という本です。この本は観光学の研究者により書かれた観光学の入門書で、とても面白かったので、その詳細な感想についてはまた別の機会に書きたいと思っています。ともかく、この本が主張するのは、観光=旅をして「観る」ことも絵画や音楽の演奏と同様に、トレーニングを通して上達する「技能(art)」であり、そしてそれが「自由になるための技能(liberal arts)」であるということ。

観光をただのレジャーだと割り切ってしまうことも可能でしょう。しかし、観光を何度も繰り返すうちに、どうすればもっと上手に「観る」ことができるのか気になってくるのはやはり自分にとって自然なことでした。本書では、より良く「観る」方法を探究するための様々な方法や視点が展開されています。

その中で、観光を写真や文章として記録・表現し、自分で見返し、他人にも見てもらうのはよいトレーニングになるということが述べられています。重要なのは、後半部の「他人に伝える」ということです。今までの自分の観光活動は前半部までで完結していました。しかし、他者の視点を参考にすることは、自分自身の「観る」行為を深化させることになるのです。逆に、自分の視点が他者の「観る」を深化させることもあるでしょう。

観光が上手くなりたいという思い、自分の過去の旅が誰かに響くかもしれないという思いを込めて、旅行記を開示していくのです。


そういうわけで、これからはゆるゆるとnoteを再開していきたいと考えておりますので、適当に読んでいただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?