ドーナツとマグカップの話 後日談

4年くらい放置していた記事

が急にいっぱい読まれるようになっていてびっくりしました。どうやらXでバズった投稿があり、トポロジーを象徴する「ドーナツとマグカップ」の喩えを検索してこの記事に辿り着いてくれた人々が多かったようです。

一方Xでは、この「ドーナツとマグカップ」の話は何度もネタとして消費されつくしているので飽きてしまった、という人もいくらか見受けられました。

幾何学における「構造」の話

そういう人のために、数学において「ドーナツとマグカップの同一視」はどのような位置づけにあるのか、ということを少しremarkしておきたいと思います。

まず、ドーナツXとマグカップYが位相空間として同相だとします。同相なので、同じと見なせます。では、ドーナツXとマグカップYは何が違うのでしょうか?

例えば、ドーナツXはどこを見ても曲線的につるっとした、なめらかな形をしているでしょう。しかしマグカップYの持ち手の部分は継ぎ目の接着が下手で、なめらかにつながっていないかもしれません。こうなっていると、ドーナツXの表面には空間R^3の微分可能な部分多様体という構造を見出せるのに対し、マグカップYの表面にその構造を見出すことができなくなります。

もしマグカップYの持ち手の接着が非常になめらかで、こちらの表面もR^3の微分可能な部分多様体だったとします。しかし、目で見てわかる通り一般にXとYは大きさも異なれば見た目も異なります。これを記述するには、多様体の「大きさ」に関する構造が必要です。このためには、XとYの表面に沿った「長さ」の概念を定めればよいことが知られています。それぞれにこの「長さ」を定めるのが「リーマン計量」という概念です。多様体の大きさや長さを知るには、このリーマン計量を見なければなりません。我々が素朴にドーナツXとマグカップYを見たとき、(模様や材質など物質的な要素以外の認識で)両者が違うと判断するのは、リーマン計量のレベルにおいて両者が違う形をしているからです。

以上のことをまとめると、数学における図形の同一視には、いくつかのレベルがあることがわかります。まず、XとYは位相空間として等しいか? つまり空間の繋がり方は等しいか?という問いがあります。もし等しい場合にも、XとYのそれぞれは微分可能な多様体になっているか?という問いが立ちます。その次に、XとYはリーマン計量を持ち、それらは等しいか?が問われます。

図形の構造を把握するための一定の構造を各レベルで定義し、それらの定義が細かくなるに応じて「位相空間」> 「微分可能多様体」>「リーマン多様体」のように扱う対象の呼び方が変わります。トゲや枝分かれを許すような空間の繋がり方を考察する場合には位相空間のレベルで考えなくてはなりませんし、形状や曲率を考察するためにはリーマン多様体のレベルで考えなくてはなりません。ドーナツをマグカップと間違えて、ドーナツにコーヒーを注いでしまった人は、リーマン多様体の構造を考えなくてはならない場面で位相空間の構造しか考えていなかったのです。

そして、各レベルにおいて、2つの空間が等しいかどうかは、各レベルを象徴する構造を保つような写像が両者の間に存在するかどうかで決まります。

このようにして、数学における図形の把握がある意味構造主義的に行われることを知れば、ドーナツとマグカップの喩えに飽きてしまった人でも、自分の興味に応じたレベルで幾何学の面白い話が見つかると思えるのではないでしょうか。さらに面白いことに、リーマン多様体の構造をあえて考えることで、それよりも「粗い」構造である微分可能多様体のレベルでの空間の性質が理解できることもあります。数学でもっとも美しいとも言われるGauss-Bonnetの定理は、リーマン計量から決まる曲率と、空間の繋がり方から決まる位相的指数が一定の等式で結びつくことを主張しています。

最後に

久しぶりにnoteを書くのですが、いまは(学部生だった4年前と違って)あまり学術的な記事を書いていません。それどころかnote自体ほとんど書いていません。念願かなって個人サイトを作って旅行記を書いたりしていますので、もしよければ見ていただければ嬉しいです。http://kabocurv.starfree.jp/




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