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イライラさせる人は居ない。イライラする自分が居るだけ。

人間を変えることはできない。
「変えれる」と思ってると不満が溜まる。
人間なんて変えれない。

今日の午前中は仕事で家に居なかった。
午後は妻が出かけるとのことで
13時過ぎには帰った。
でも帰ったら朝ごはんの食器とか炊飯器とかがシンクに溜まってた。

「なんでなん?何をしてたの?食器ぐらい洗ってよー!いつもほぼ俺がやってるやーん」って思ったよ、そりゃ。
でも「あーそうだ、この人は片付け不得意王国から来た人だった。ましてやそこの女王だ。」と思い直して、直ぐに食器を自分で洗った。
ようこそ!!片付け得意国へ!!

怒ることは簡単。
でも「怒り」の先からは何も産まれないことを知っている。
勿論、「怒り」が有効な場面はあるだろう。
でも、それはごく稀だ。
子供が道路に飛び出した時、ぐらいのもんだ。
だから一瞬の怒りに任せて何かを言っても無駄だ。
まして、その裏側に「愛情」がなければ尚更、軋轢が生まれるだけ。

そして、何より、
「わざと、やったんじゃない」というマネジメントの基本方針に冷静になって立ち返った。食器を見てからここまで0.5秒。
わざと、食器を残して
『あー!私!怒られたい!!!カモン!怒り!!』
なんて人は居ないのだ。
全力で生きて、全力でやって、この結果なのだ。
全員が自分と同じペースや要領で動けるわけではない。
自分を基準にするのが間違い。
多様性を認識しよう、多様性を。
今こそ金子みすゞの「みんな違ってみんないい」だ。
もう出身が違うんだから。
片付け不得意王国と片付け得意王国は
日本とブラジルほど離れているので文化も常識も違うんだ。
もし、彼女が海外の人で文化も言葉も全然違ったら怒るかな?
いや、怒らないかも?なんか、受け入れちゃいそう?
まぁしょうがないか、ぐらいになりそう。
だよね!!

ってかそもそも
自分の思い通りに人が動くと思ってない?言えば、人は変えれると思ってない?
ザ・傲慢!!
GOUMAN!!

人は変えれない。

勿論、「話合いで解決」という方法もあるでしょうね。
それができればそれでもいいと思う。
でも僕は僕自身が器を広げるというか、自分の考えを変えた方が楽だから
こうしているって話。
昔読んだ本で
「イライラさせる人は居ない。イライラする自分が居るだけ。」ってフレーズが、この考えの元になってるかな。
Aさんの行動を見てイライラする人と、しない人が居るのはAさんに問題があるわけではなく、受け取り側の問題だと、そうゆう話ね。

というわけで、夕飯の食器を洗うとしようか。

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