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好きとか愛とか恋とか

「好き」とか「愛」とか「恋」とか

一種類だと思わされていた。

でも、何種類もあるよなあって最近より強く思うようになった。

小学生の高学年の頃、「好きな人、誰?」が周りの流行語だった。

答えずにいると「隠してる」とか「どうせあの子でしょ」とか答えるまで道を通してくれないこともあったり。

その度になんだか違和感を持っていた。

「好きな人がいなきゃいけないんだ」

当時、私は異性の誰にも恋心を抱いていなかった。

強いていえば私は一人の女の子ととても親密な関係だった。

愛おしいとまでは行かずとも彼女が別の女の子といると嫉妬していた。

「結婚しようねー」なあんてお遊びの一環で、だけど半分本気で言い合っていた。

私はそんな周りの子たちの恋バナにはついていけず、なのになぜか巻き込まれてそれがあの私の一番辛かった対人関係のトラウマのきっかけとなった。

「好きな人がいない」ことがおかしいというかそんなふうに周りが私を悩ませた。

中学に上がって最後の1年間、今でも忘れられない大切な子に出会った。

その子も女の子だった。

愛おしくて守ってあげたくて、でも守ってほしくて慰めてほしくて褒めてほしくて。

世間一般の好きな人に該当する人への感情を彼女に出会って初めて持った。

私も人を好きになれるんだと少し安堵もした。

と同時に自分が変になったのではないかとも思った。

けれどあの感情は嘘ではなくて

プラトニックラブだったのだと思う。

今でも思い出す初恋のような感情。

彼女の笑顔が見たくて横顔も何もかもが好きで毎日会いたくてたまらなかった。

彼女の好きな曲を聴くようになったり、好きなアイドルを好きになったりもした。

彼女が勧めてくれた本は今も私の一番お気に入りの本であるし、好きなアイドルのライブにも行ったり、ファンクラブに入るまでになった。

(彼女はもうそのアイドルが好きではないらしい)
(でもそんなことはどうでもよくて)

それらは彼女を思い出すアイテムというかあの頃の愛しい感情に包まれるから

なんだか切り離せないものなのだ。

私は彼女のおかげで初めて異性のアイドルのファンになった。

異端児と呼ばれるようなchaos killerと叫んでしまえるような海外のお菓子のCMをやるようなグループの。

私はその中で一人特に好きな人がいて、けれどメンバー全員が好きで空気感になんとも言えない愛しさを持っている。

恋愛感情全抜きで大好きで愛している。

彼らは私の行動力を広げてくれている。

行ったことのない会場に行ったり、彼らの聖地巡礼を嗜むようになったり、知らないお菓子のためにいろんなところへ行ったり。

そして元々私は同性のアイドルが大好きだ。

最近また大好きなアイドルに会いに行った。

アイドルの彼女を見た時、なんとも言えない感情で胸が苦しかった。

終わった後も苦しかった。

音楽に涙が止まらなかった。

大好きなのにこんなにも大好きなのに

届くはずのないこの愛の一方通行は苦しくてたまらない。

同性なのに?

同性だからこそ苦しくてしんどくてつらいのだ。

これは誰にも分かってもらえはしないだろうし

馬鹿らしいことを、という人が大多数いるだろう。

だけれど、これもまた「恋」なんだと思う。

本当の好きであり、愛であり、恋なのだ。

現実の世界で好きな人はいるか?と今聞かれたら正直まだよくわからない。

たった一人学校で気になる子がいる。

その子に「髪型が好き」と初めて言ってから

彼は髪型をそのままにしてくれている。

「なんだかこの人、気になるなあくらいの」

まだ恋ではないなあなんて。

私は確かに世間一般の言う「好き」とか「愛」とか「恋」とかには疎いのかもしれない悲しいくらいに。

だけどさ、種類は違くても私は人やものに「好き」とか「愛」とか「恋」とかの感情を持つことはできる。

そう思っている。

なんだか長い独り言が私を包んでいたので。






#忘れられない恋物語

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