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トレッキングはじめ 【ネパール紀行】

日付: 2019.02.22 ~ 2019.02.23

トレッキング概要

今回、ネパールを訪れた最大の目的はトレッキングをして、エベレストを見る事だった。多くのトレッカーは、カトマンズからLukulaまで飛行機で向かい、そこからトレッキングを開始してエベレスト・ベースキャンプ(EBC)を目指す。要する日数は大体10日間くらいだ。また、お金の節約のためにもっと手前のPhalpuと言う場所までジープで向かって、トレッキングを開始した。この場合、飛行機よりも片道で+3~4日余計にかかる(トレッキング中に計算して分かったのだが、この期間の滞在費と食費を合わせると飛行機代より少し安いくらいで思ったほど節約はできなかった、そもそも飛行機代が安い)。

また、自分はより良い景色が見れると言うGokyo-Ri(EBCの峠を挟んで隣)を目的地にセットしていた。この場合、Namcheからのルートの取り方がEBCに向かう方向とは異なってくる。

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トレッキングの軌跡

初日: 13時間のジープ

朝早く、カトマンズを出発した。TATAと言うインド製の車に乗り、トレッキング開始地点に向かう。飛行機だとカトマンズからLukulaまで40分ほどで到着するのだが、車だとその手前の宿まで文字通り半日かかる。しかし、飛行機が片道2万円ほどに対して、ジープだと1700 NRsで着くと言う。破格の値段に惹かれ、今回のトレッキングではジープを選択することにしたのだ。

出発の時刻は5時、流石のカトマンズでもまだ静かであり、幾分か空気は澄んでいた。自分はジープの助手席に乗り、旅路が始まった。最初の2時間は、アスファルトに舗装された(だけど大量のヒビが入っている)道だったが、途中から山道に入り、そこから先は延々と続く山道であった。初日で気がついていたのだが、この国では車のクラクションが本当に多い(と思っていたけど、インドはもっと多かった)。昼間のカトマンズなんかいつでもどこでも「プップー」と言う音であふれている。それどころか、よく「パラリアパラリア」なんと言う改造された音も聞くことができる。本当にうるさい。

そんなクラクション文化の国なのだが、今回のジープの運転手は特にクラクションを鳴らす男だった。隙間に我先に入ろうとする運転手は、車を見つけたらすぐにクラクションを鳴らす癖があるらしい。何回か観察していたのだが、見通しの良い道で対向車がなくても意味もなく鳴らしていた。僕が無意識に鼻くそをほじくってしまう癖があるのと同じかもしれない。盛っていないけど、彼は1分間に1回は鳴らしていた。もしかしたら、30秒に1回だったかもしれない。流石にこれは盛っているけど。

山道に入り始めた頃、第一回の休憩をした。外に出ようとしたけれども、開かない。どうやらドアが壊れており、外側出なければドアが開かないらしい。だけど、目を遣れば運転手は開けてくれる。このような不便や適当さにだんだんと慣れてきていた。ネパールに染まっているなと、自分で感じた。

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通称、ジープ。スズキ、トヨタ、現代自動車、そしてTATA製の車をよく見た

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後部座席。枕は4つあるけど、シートパッドは3つという違和感

(この段落は汚いものが嫌いな人は読み飛ばしてください)

休憩中、トイレに行った。入国した時から思っていたのだが、ネパールのトイレは究極的な和式トイレである。陶器の穴といった具合であり、そこに水を自分でかけて流すボットんトイレだ。日本の山小屋を彷彿とさせる匂いの中、毎回用を足すのだが、休憩所のトイレは一味違った。基本どこのトイレも紙を常備しているのだが、ここのトイレにはそれがなく、水で洗い流すしか方法がなかった。完全お手製のウォシュレットで耐え凌いだ。これ以降、お尻をふく用の葉っぱを常備するようになった。

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掃除は簡単そうだけど、しっかりと汚い

休憩スポットには、トイレ以外にも寄る所はある。屋台だ。木立の下に屋台は開かれ、水、スナック、オレンジ、野菜などが売っている。小腹が空いていた自分は、5 NRsでキュウリに唐辛子が塗ってある物を買った。残念ながら味は覚えていない。

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結構いろいろなものが売っている。

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食べ始めてから写真を撮っていなかったことに気が付く。

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沙羅双樹の樹かなー?よく生えていた。

さらに先の休憩中、ありえんくらいの藁を背負った女性が歩いていた。Phalpuまでのこの道路沿いでは、外国人観光客はかなり少ない。そのため、観光地化されておらず、その地域の人がどう言う生活をしているのかが垣間見れた気がする。だけど、道路の存在はやはり大きいのだと思う。この道路ができたことで、屋台を潤す量の商品が入ってきている。この道路は比較的新しい道路だ(とは言っても既にヒビだらけだったが)。ここでの景色というのは、資本経済化が一気に進みつつもそれまでの伝統的な生活も残っている、移行期のような景色だったのかもしれない。外国人である僕がとやかく言うのはおかしいかもしれないが、失われる文化を目の当たりにするのはなんとなく悲しい。こうしたなんとなく悲しいと言う気持ちは外国人だからとかそう言うのではなく、人として大事な気持ちであるんだと思う。

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藁を背負う女性と、休憩所

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道路の状態の割には交通量が多い(交通量が多いから道路の状態が悪い?)

その後、車は峠を超えたり(最高地点は3000 m超)、谷間を縫って行ったり、休憩して行ったりしてPhalpuに向かった。途中で車が故障する。他のジープに乗り移ったのだが、プラスで1300 NRsの料金が発生した。宿に着いた時には時刻は6時をまわっており、周囲は薄暗くなっていた。

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道路の終点。車進入禁止マークを車で超えてしばらくし、降ろしてもらった

宿は暗かった。この地域では電気が弱いため、明るい電球が使えないらしい。一応コンセントはあったのだが、電気を消費することが申し訳なくなり、結局充電はしなかった。そもそもWiFiもないトレッキングで、充電をする必要もなかった。宿泊代 1250 NRs。夕飯はまた、ダル・バートだった。このトレッキングを通して、寝具は充実していた。日本の山小屋よりずっと寝心地は良い。しかし、この日、何回も夜中に目が覚めた。変な予感が的中しないといいな。

トレッキング初日

トレッキング初日は、峠を一つ超えてNuntalaという村に向かう。いよいよトレッキング開始だ。朝ご飯のヌードルを食べ、出発した。希望を胸に抱き、出発した。道にはたくさんのうんこが落ちていた。たまにうんこを踏み、休憩中に臭い。その原因はロバだった。車が通らないこの道では、ロバが荷物を運ぶ重役を担っている。よく、ロバが列をなして歩き、荷物を運んんでいる。この日の午前中に出逢ったロバの列は短く、追い抜いたりすれ違ったりするのが簡単だった。しかし昼頃、向こうから先が見えない長いロバ列がやってきた。ロバが歩く道は斜度が緩く、蛇行している。対してトレッカー用の道は蛇行している道を突っ切るように走っている(写真参照)。この長い列では、ロバ列とたびたび衝突した。その度に、ロバの間を縫って進まなければならない。途中、ロバの間が開くのを待っていたら、ロバがなんと止まって僕らが進むのを促してくれた。ロバの列は基本1列であるため、1頭が止まると後ろが抜かしてくることはない。この心優しいロバのおかげでここはいとも簡単に列を横切ることができた。驚きの経験だった。人でさえなかなか譲り合いをしないこの国で、ロバに道を譲られるのだ。すごい、感激だと思っていると、すぐに次の列に出会う。今度もロバが避けてくれるだろうと思って横切ろうとしたら、イラついたと思われるロバから頭突きをされた。我が物顔で歩いた僕がいけないのだが、ロバにも優しさの個体差があるようだった。

お昼頃になったら、近くの村でご飯を食べる。ガスがないこの地域では、竈門でご飯が作られる。内容はダル・バートだ。ネパールに来て食べた食事のうち、半分以上がダル・バート。いい加減飽きてきた。

1時間以上の大休憩を取った後、また歩き始める。途中で峠を超えるのだが、景色が良い。眼下に本日の宿、Nunthalaが見えた。2時間ほど歩き、Nunthalaに到着する。Nunthalaは前日のPhalpuより大きな村で、ロッジも綺麗だった。また、3時頃に着いたため、砂糖たっぷりのブラックティーでひとまず一休みすることにした。明るい陽気の中、ゴロゴロくつろいでいると、サンゲがビリヤードに誘ってくる。なかなか大きなロッジだなと思っていたが、なんとビリヤードまであるらしい。トレッキング客はこの日、ロッジには僕だけだったがなんでこんなに栄えているのだろう。色々謎だ。ちなみにビリヤードは大敗した。そして、夕飯はまたダル・バートだった。

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ロバ道とトレッキング道 模式図

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サンゲ。彼にはとっっってもお世話になりました。

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昼食。竈門で料理をしている。料理ができるまでめっちゃ時間がかかる。

思ったこと

Phalpuより先では車が走る道路がない。もちろん、ヘリコプターによる空輸という手段もなくなるため、沿線の生活の様子が一気により資本化されていない姿となった。

初日、同じ宿に泊まっていたトレッカーは自分たちの他にもう一人のみだった。Luklaまで行く飛行機があり、飛行機代もそれほど高くない現在においては、ここからトレッキングを始める人はほとんどいないようだ。Lukla までの道中も、他のトレッカーには滅多にすれ違わず、1日に2~3組程度だった。この人気の無さも、この地域の伝統的な文化から資本的な文化への推移を妨げているんだろうなと思った。
貧困。
Luklaまでの道中で出会う多くの人は、使い古した服を着ている。新しい服を買う必要がないからかもしれないし、新しい服を買えないからかもしれない。途中で、ジャガイモを剥いている人に出会い、写真を撮った。その後、この写真を見返すと、自分の影が写っていた。人に覆いかぶさる形で映る影、自分の高慢さを表しているような気がして、嫌になる。この地域の人は、その時を生きている。カトマンズの寺院で見た人も、地震の瓦礫の中で楽しそうに卓球をしていた。もちろん、貧困が少ない方が健康や死亡率も改善するのだろう。だけど、だんだんと何が良いのかわからなくなってきた。

結局、帰国した今でもわかっていない。

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ジャガイモを剥く人々。

次回: トレッキング中盤





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