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トレッキング中盤 【ネパール紀行】

日付: 2019/02/25-2019/02/27

トレッキング2日目 2019/02/24

欧州では本当に全ての道がローマに通じているのだろうか?この辺りでは全ての道がナムチェバザールに通じている。ナムチェバザールとは、エベレスト街道の中心地であり、一際大きな街が存在する。ロッジの数も他の場所よりずっと多く、WiFiや充電、シャワーが浴びれるスポットだ。僕もトレッキングで滞在する予定であり、とりあえずそこを目指してトレッキングをしていた。

Nunthalaを出発してからは、しばらく下りが続く。ボトムには川が流れており、吊り橋にてそれを渡る。ちょうど先のロバの隊列が渡っている最中だった。10分の足止め。これからも幾つか吊り橋を渡るのだが、この吊り橋は一際大きく、そして揺れた。だから結構印象に残っている。その後、特にハプニングもなく、宿に着いた。Busqaという小さな村だった。自分が泊まったロッジはそれ以上に小さく、明かりも弱い。しかし、そこに暮らしている家族は底抜けに陽気だった。子ども二人が文句をブーブー言いながら両親に𠮟咤されて宿題をしている。そこにカメラを向けると、興味を持ったように寄ってきてしまった。「ゲストが話したそうだから」、宿題から逃れる最大の言い訳を与えちゃったなと思いつつ、結局日が落ちて真っ暗になるまで話したり遊んだりした。

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ロバを待つ

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二人の子供、明らかに宿題には集中していない

トレッキング3日目 2019/02/25

山路を登りながら、こう考えた。中略。とかくに人の世は住みにくい。全く同じような道を、ただただ様々な事を考えながらずっと歩く。ペースが早ければ、考え事なぞしないのだろうが、サンゲの歩く速さは驚くほど遅かった。ペースを上げたい自分とペースを上げないサンゲ、この先それで喧嘩にもなった。変わり映えのない景色を見ながら単調に歩く(乾季の終わりだから花も少ない!!)。あまりにも単調だったため、思考が深みに嵌っていく。スノーボードからゲストハウスでのアルバイトについて、取り留めなく、たんたんと、止まる事なく。そしたら、うんこを踏んだ。ロバ、ヤク、犬がこぞって利用するこの道には、道中に大量のウンコが鎮座している。運の悪いことに、今回踏んだウンコは新鮮なブツだったため、靴の裏にしっかりくっついてしまった。初めは、気にせず歩こうと思ったのだが、臭い。サンゲにうんこ休憩したいと言ったら、笑われた。

石を使って必死にウンコを剥がしていると、1匹の犬が寄ってきた。愛嬌のある犬だった。少し遊ぶと、懐いてきた。可愛い。そうだ、ポチと名付けよう。大方うんこを剥がし取り、ロッジまで少し歩いて大休憩を取った。ブラックティー(紅茶みたいなやつ)に砂糖を5杯入れて甘々にした紅茶を飲む。高山病対策には大量に水を飲むことが重要で、また砂糖を入れる事でエネルギー補給にもなる。まだ道は長い。

大休憩を終えて出発する時、なんとポチがまだ居た。はち切れんばかりにしっぽを振っている。餌付けもせずただ単に遊んだだけなのにすごいなつきようである。歩けば後ろから着いてきて、たまに抜かされ、後ろを振り返って待つ。つまらない道に花が咲いた。しかし、花はすぐ枯れる。1時間ほど歩いた後、サンゲが杖で叩いて追い払ってしまったのだ。何でそんなことをするのか、そもそも何でこんなに歩くのが遅いのか、口論となる。サンゲが諭すように言う。「焦る必要なんかない、ゆっくりだ、ゆっくり」。結局、元のスピードでゆっくりと歩く事になった。ポチという遊び相手もいなくなり、再び思考が深みに嵌っていく。ポチは元気にやっているだろうか?今でもたまに思い出す。つらつら考えていると、またうんこを踏んだ。とかくに人の世は歩きにくい。

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名犬、ポチ

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お昼ご飯を食べれば険悪な雰囲気も無くなってしまう

住みにくい世の中を歩いては休憩していた。この日の行動時間は他の日と比べると比較的長い。10時間ほどだ。途中のロッジで休憩していたら、子どもが僕の麦わら帽子に興味を持ったようだった。どうやら、この日は休憩中での小さな出会いが多いらしい。麦わら帽子を被せてやると、すごい嬉しがった。また、かなり似合っている。大きくなれよと思いながら、その麦わら帽子をあげることにした。シャンクスになった気分だ。この時はいい気分だったが、この先で帽子をあげたことで直射日光を顔に受けることになり、ひどい日焼けを負う未来なんて想像もしていなかった。

景色が変わった。Luklaとの道と合流し、道幅が広がってさらに石畳となったのだ。Luklaには、Kathmanduからの飛行機が止まる飛行場が存在する。多くのトレッカーがLuklaからトレッキングを開始するため、ここからの道はよりたくさんの人が歩く道なのだ。合流した時には既に午後になっていたため、自分たちと同じ方向に歩くトレッカーは少なかったが、すれ違う人の数は増えた気がする。また、ここから先は国立公園や世界遺産の保護地域及びそのバッファー地域となり、よりネパールの文化色が強く出ている。道中にお経が掘られている岩やマニ車がポツリポツリと出現してきた。それまでの、どことなく親しみやすい道から一気に神聖感が漂う道に変わった。ぼんやりと、もし死に向かう道があるとしたら、こんな雰囲気なのかなと思った。そして、これはこれからヒマラヤのピークを狙う人はもっとシビアにそれを思うのかなとも思った。さらにその先の道からの景色の妄想に気持ちを熱くしながら、Namcheに向かう途中の集落で宿泊することにした。夕飯を食べ、いざ寝る時もNamcheから先の景色を夢想していたが、ふとポチがどうなったのか、ポチのこれまでが気になった。これからも元気でやっていくのだろうか?

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将来のルフィ。

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お経が掘られているらしい、観光用じゃありません

トレッキング4日目&5日目 2019/02/26〜02/27

えたいの知れない不吉な塊が僕の心を始終圧おさえつけていた。昨日までの日よりたくさんの声が、外から聞こえている。Luklaから合流した後は人流が遥かに増加して、より街道沿いの賑わいが増していたのだ。いつもの静寂な朝とは違い、一気に人の量が増して歩いている。これまで静かな道を歩いていた自分にとって最初、こんなに人がいるのかと少し戸惑いを感じた。だが、 慣れるといよいよエベレスト街道に来た、という感が出てくる。

休憩中、帰りがてらトレッカーと話をする。エベレスト・ベースキャンプ(EBC: Everest Base Camp)に行けた人、高山病で断念した人、EBCとGokyoの両方行った人。誰もがエベレストの山の景色は最高だったと言っていた。なんと素晴らしいのだろう。そんなウキ × 3 気分で最初のエベレスト展望スポットにやって来た。が、ガスが山頂にかかり、エベレストを拝むことができなかった。やや残念であったが、これまでのLuklaまでの道と比べて、様々な近景を楽しむことができ、良い歩きだった。

道中、日本から来たという男の人と話をした。もう何回もエベレスト街道に来ているらしい。「まぁー、最近のエベレスト街道はすっかり観光地化されちゃって、昔はよかったなー」という、テンプレートを聞くだけ聞いた。きっと日本では最近の若者は〜節を連発しているのだろう。そう思ったけど、確かに昔のこの街道は今とは全く異なっているんだろう。そのころを経験しているこの人を羨ましいというか、妬ましく思った。もし、自分が沢木耕太郎のように1970年代に東南アジアをバックパッカーできたら、、、、、。そんなことを思わずにはいられないが、きっとその時代に生まれていたら東南アジアには行っていなかったのだろう。全て「もし」がついたらの話になってしまうし、今自分ができた精一杯のことがこのトレッキングだった。文化は変わっても景色は変わらないだろう、そう思い、男の人と別れた。そういえば、このトレッキング中には国を問わず様々な人々に出会った。中にはこの男の人のように2回以上来ている人も多かった。だけど、昔の方が良かったと僕に直接言って来たのは2名くらい(思い出せるのが2人だけでもっといたかも)で全員日本人男性だった。妬ましい気持ちに恥ずかしい気持ちが追加される。

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心の綺麗な人にはエベレストが見えるらしい

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テンジン橋っていう名前だった気がする。

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見事な河岸段丘、環境系専攻の血が騒ぐ、この辺りは木も多い

そのうち入山手続きをする役所的な場所に来た。サガルマータ国立公園入場料を支払う。そのうちそのうち、道の両端に大きなマニ車が出て来た。そのうちそのうちそのうち、ナムチェ・バザールに到着した。噂に聞いた通り、ナムチェは一際大きな集落、いや街で活気に溢れていた。ボール状になった地形に、ロッジ、アウトドアショップ、お土産店、バー、様々が溢れていた。歩いていて楽しい。そして、何より目の前に聳え立つ圧巻の景色が美しかった。ここを目的にしてくる人がいる理由がよくわかる。それほどにヒマラヤにいることを実感させてくれる景色だった。サンゲ一押しの宿に向かう。その宿は、ナムチェの街の中心にあり、テラスが綺麗な場所だった。宿の中は綺麗で、シャワーの他、なんとテレビまで映っていた。散歩をしたりや近くの展望台に出かけたりして、時間を過ごす。翌日はよく休む予定だったため、気分は幾分か楽だ。宿で、久々にブラック・ティーではなくて珈琲を飲んだ。もちろん、砂糖は入れない。なんて優雅な時間なんだ。この空間にずっといたくなる。テレビではカトマンズの偉い大臣がヘリコプターの墜落事故によって亡くなったというニュースを繰り返し放送している。だけど、このナムチェの空間はたわやかな時間であり、ニュースを流しているテレビだけが浮いているように感じた。この日、久々にダル・バート以外の夕飯を食べて、気持ち良い眠りについた。

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絶景ナムチェ

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ロッジの中。洗練された雰囲気だった。

次の日、焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか、前日朝の不吉な予感が形になる。前日から張り出して来た雲の厚みが増し、昼間になってもあたりは明るくならず、だんだんと雪がチラつくようになって来た。ここネパールでは、2月は冬と春の間の季節であり、雪が降ることがしばしばある。だけど、だいたいすぐ止むものらしい。前情報を信じ、とりあえず気を他に紛らわそう。本を読む。しかし、雪は一向に止む気配はない。結局のところ、この雪は数年に1度レベルの季節外れの大雪であり、カトマンズにまで降雪のニュースが伝わった程だった。気を紛らわそうとしていた僕は、どんどん勢いを増す雪を片目に、結局檸檬は見つからずに不安で潰されそうになっていた。今日もテレビでは同じく、ヘリコプター事故のニュースを繰り返し流している。映像もキャスターも同じだ。ただ、この日はテレビとこの空間は同化していた。

次回 トレッキングの後の方

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